第29話:対等な交渉
昨日と同じように、旧校舎の階段をのぼる。
昨日と違うのは、数個下のフロアにまで響いていた金属音が、少しも聞こえてこないことだ。
「なんか嫌な予感がする」
焦る気持ちをおさえながら、階段をかけのぼる。
足音が聞こえるくらい、やけに静かな廊下を歩きセレーネの工房をのぞく。
「大丈夫……か?」
セレーネの工房は、昨日とはまったく別の光景へと変化していた。
中は荒らされ、機材は無惨にも鉄くずになっている。
数々の作品も原型を留めている物のほうが少なく見える。
工房の入り口で突っ立っていたセレーネが、ゆっくりと振り返る。
「あぁワンツ君か。はは、笑えるだろ?いや、笑ってくれると助かる」
目の前の惨状を見て、涙はむしろ出ない。
すべてを諦めたような表情。
無邪気な子供のような笑顔を知っているからこそ、ワンツはかける言葉を失った。
「おやおや皆さん、お揃いでどうしました?」
やけに機嫌のよさそうな声が聞こえてくる。
振り返ると、入口側に昨日の男たちがニヤケ面で立っていた。
今日も短い髪を、ガッチリと整髪料で固めている。
「これはこれは、目を覆いたくなるような惨状だ。しかしこれで、このゴミ捨て場のような場所に執着する必要がなくなったとも言える」
「ゴミ捨て場ですって!? どれだけの思いで、セレーネがこの場所を作ってきたのか、あんたたちは知ってるの!?」
「機械づくりなど、ゴミを量産するだけの無駄な時間だろう。見ろ! そこらに広がっているゴミを。クズをいくらいじった所で、クズ以上になりはしない!」
「言ってくれますわね。これをやったのは、あなたたちでしょうに」
「証拠はあるのか、証拠は? もっとも、掃除をしてくれたおかげで、ライトニング様の未練を断ち切ってくれたことには、どこかの誰かに感謝したいがな」
誰がセレーネの工房を荒らしたのかなんて、男たちの表情を見ていれば明らかだ。
しかしニヤケ面でワンツたちを見る男たちが犯人であることを証明できる人間は、ここにはいない。
汚い手段を使った男たちに、ゲルダはせめて嫌悪感のこもった視線で睨んだ。
「これではどちらがクズか、分からないですわね」
「自分に都合の良いレッテル貼りは、賢明な他者からの評価を落とすぞ? ライトニング様、もういいでしょう。そのような野蛮な奴らとは縁を切り、勇者陣営へと付きましょう。その方が、お家のためにもなります」
さぁ! と男が迫る。
力なく一歩を踏み出そうとしたセレーネの足を、ワンツの言葉が止める。
「その言葉、そっくりそのままあんたに返させてもらうぞ」
「……なんだと? 魔王が今更何を言おうと無駄だ」
「どっちに付くか。これから何をしたいのか。これらを決めるのはあんたらじゃない。セレーネ自身が決めることだ、そうだろ?」
「ワンツ君……一体何を?」
「俺が今日ここに来たのは、他でもない。セレーネ、あなたを俺たちのクランに勧誘しに来たんだ」
「魔王のクランに勧誘だと? ふざけるのも大概にしろ! その方は御三家がひとつーー」
「ライトニング家のご令嬢、だろ? もう知ってるよ、そんなことは。こっちは興味が無いのに、ご丁寧にあんたが教えてくれたんだからな」
「ならば分かるだろう。御三家の令嬢が、魔王側なんかに付くはずがない。いや、そんなこともわからないほど阿呆なのか、魔王は?」
「だから言ったろ、それを決めるのはセレーネだって。交渉させて欲しい。俺と組むことは、あなたにとっても利点があるはずだ」
少しだが、セレーネの目に輝きが戻ってくる。
いたずらを思いついた子供のような笑顔を、セレーネは向けてくる。
「……ほう、聞かせてくれるかな?」
「ライトニング様、お待ち下さい!」
「まぁいいじゃないか、話を聞いてからでも。それとも貴様は、私が彼の口車に乗せられ、誤った決断をすると思っているのか?」
「くっ……」
「続けてくれ、ワンツ君」
「あんたが最後のメンバーになってくれることで、俺たちは正式にクランを結成することができる。つまり拠点と資金が与えられる訳だ。それらを提供する。時間はかかるかもだが、あなたにはここで研究を続けてほしいと、思っているからだ」
「悪くない話だ。だが研究をしたいだけなら、見返りとしては物足りないね。私がわがままを言えば勇者だって、最低限ここレベルの場所くらいなら用意してくれるだろうからね」
「俺にはもうひとつ、勇者には決してできない価値を提供できる」
「それは資金や場所、地位の全てを覆すことができるような価値なのかい?」
「俺が提供するのは、レールガンを完成に近づけるための情報だ」
「失礼な話だね、ワンツ君。あれは私の最高傑作だよ、既に完成形に近いと言ってもいい」
「いいや、俺に言わせてみれば、しょせんは素人に毛が生えた程度の出来に過ぎない。あの程度のおもちゃなら、簡単に作れるだろうさ。俺のいたトコではな」
「言ってくれるね。ワンツ君、君は私にケンカを売りに来たのかい?」
「そんなまさか。さっきも言った通り、俺は交渉するために来たんだ。誰よりも機械いじりを愛するセレーネ・ライトニングさん、あなたにね」
「……ほう?」
「あなたが持っている知識、発想をすべて過去に置き去りにできるような情報を俺は持っている。俺があなたに差し出すのは研究場所と、情報、このふたつだ」
「そうか……」
セレーネはふむ、と深くうなずくと、ゆっくり勇者陣営の男たちに近づいていく。
「やはりライトニング様は賢明な判断ができるお方だ。信じておりました」
「君の言う通りだ。私は賢明な判断ができる人間だよ」
「ライトニング様?」
「悪いが君たちとの話は無しだ。私は魔王陣営……いいや、ワンツ君の方へ付くことにするよ」
「なっ……なな、どういう意味ですそれは!」
「今言ったろう。そのままの意味だよ」
肩にかからないくらいの毛先をたなびかせながら、セレーネはくるりと男に背を向ける。
「私は君たちが思っているような人間じゃない。尊敬する家よりも、研究者としての私情を優先するような、駄目でわがままな人間さ」
「そ、そんなライトニング様!」
「ワクワクしてこないか?」
「は、はぁ?」
「だってこれ以上はないと思った私の最高傑作を、彼はおもちゃと言い放ったんだよ? 怒りよりも先に、彼が見ている世界を私も見てみたいと思った。まぁ私の世界をクズだゴミだと断じた君らには分からないロマンだろうがね」
セレーネは楽しげにワンツの方へ歩み寄ってきながら、嫌味をこめた微笑を男に返した。
「という訳だ、これからよろしくねワンツ君」
「こちらこそ、セレーネ」
どちらからともなく手が差し出され、かたく握手をする。
「という訳だから。君たちに用はない。もう帰っていいよ」
「そ、そういう訳にはいきません! 考え直してください、ライトニング様!」
腕を掴もうとしてくる男の腕を、セレーネは低い声で固めさせる。
「勘の悪い子たちだな。私の、ライトニング家の所有物を、身勝手な理由で損壊させた。今ならこの無礼を、見逃してやると言ってるんだ」
迫力の感じられるセレーネの声に、男の顔は一瞬で青ざめた。
数秒固まったのち、次は顔を真っ赤に変化させてワンツをにらみつける。
「チッ、貴様のことは絶対に許さないからな、魔王!」
「え、俺?」
男たちは捨てセリフを吐き残し、去っていった。
◇
「という訳だ。改めてよろしく頼むよ、君たち」
ワンツら3人からの盛大な拍手が、セレーネを歓迎する。
ここまでそれなりに苦労が多かったからか、なんとも感慨深い。
自然と拍手の音も大きくなるものだ。
「なに、ここに来るまでに君たちからは散々なことばかり聞いていたが、存外悪くないじゃないか。確かに少し、時の流れは感じるが」
年季の入った椅子に優雅に腰掛けながら、セレーネはボロ小屋を珍しそうに見渡す。
「気に入ってもらえたのなら、良かった」
「うん、とても気に入ったよ。皆を身近に感じられるような場所は新鮮で、とてもいい」
足を組みながらカップを傾ける姿からは、余裕のある大人の気品を感じる。
ワンツからしても新鮮な風景で、とてもよい。
しかしひとつ、難点がある。
それは目のやり場に困ってしまうということだ。
今日のセレーネは、女子用の制服を着ている。
つまり足を組み替えるたびに、白く細い足が、どうしても目に入ってしまうのだ。
凝視してはいけないと分かってはいるものの、視線は迷子だ。
決してよこしまな気持ちはないのだが、自然と目はそちらの方へいってしまう。
己の中の欲求と戦っていると、とつぜん悪寒を感じる。
大体想像はつく。
左右からプレッシャーをかけてくる存在から、声がかかる。
「ワンツ様……」
「あんたやっぱり、変な意味でセレーネを仲間に加えた訳じゃないわよね?」
「そ、そんな訳ないだろ」
「おや私も改めて聞いてみたいな。特に私が気になることは、なぜ私を口説き落とそうと思ったのか。かな」
「口説き!? ちょっとワンツ、一体どういうことよ!」
「俺は別にそんなこと言ってないだろ!」
火種を作ってくれたセレーネに抗議の目線を送る。
しかし仲裁をしてくれる訳でもなく、ただ楽しげな笑顔が返ってくるだけだった。
フレアは些細なことで怒ってくるし、ゲルダも事ある事に冷たい視線を送ってくる。
ワンツの困った顔を見て、張本人であるセレーネは楽しげに笑う。
ワンツにとっては、災難なことばかりだ。
しかしなぜだろうか。
活気が溢れているこの場所は、思っていたより悪くない。
「……あんた、なんで笑ってるのよ」
「はぁ? こんな状況で、笑えるわけないだろ」
「ふん、もういいわ。私もあんたの怒り顔より、笑顔を見ていたいもの」
「なら俺がいつでも笑顔でいられるように、努力してくれ」
「それはあんた次第ね」
「なんだよ、それ」
付き合ってられないと、椅子に腰掛けテーブルに頬杖をつく。
無意識に緩んでしまう頬を隠すように。
そんなやり取りをしていると、ドアが開けられる。
「よぉ魔王、外まで楽しそうな声が聞こえてきたんだが、何があったん……だ」
いつもの調子で、軽口を叩きながらルキウスが小屋に入ってくる。
しかし入ってくるやいなや、目を大きく見開いたまま固まってしまう。
ルキウスとは、余裕と自信が人の形で動いているかのような男である。
ワンツはこうイメージしていた。
明らかに動揺の色が見て取れる視線の先を追いかける。
その先には、優雅にカップを傾けるセレーネの姿があった。
ルキウスの声に反応して、セレーネはゆっくりとドアの方へ振り返る。
「あぁご機嫌よう、ルキウス。もしかして今日も私を訪ねてきてくれたのかい? 悪いね、今日は工房にいなくて」
「な、なぜお前がここに?」
震えた声でルキウスは聞いた。
そんな彼の、らしくない様子など気にもとめずに、セレーネは能天気に返す。
「うーん、色々あって説明するのが面倒くさいな。過程を省いて結論だけ言うと、ワンツ君のクランに参加することにした」
「そ、そうか。彼女が言っていたことは、こういうことだったのか……」
ルキウスは頭を抱えながら、回れ右して帰ろうとする。
明らかに様子がおかしい。
ワンツは思わず引き止める。
「お、おいどうしたんだよ、ルキウス。今日のお前、ちょっとおかしいぞ」
「おかしい? 俺が? あぁそうだな」
また来る、とだけ言い残して、ルキウスは後ろ手に扉を閉めて、そのまま去ってしまう。
あれは見間違いだったのだろうか。
去り際にルキウスから向けられた、敵意のこもった鋭い視線は。
咄嗟に胸のあたりを押さえる。
何か鋭利な物で貫かれたような、寒気を感じたのだ。
「どうか致しましたか、ワンツ様」
「いや、なんでもない」
胸をざわつかせる寒気が、セレーネに会いに行った本来の目的を思い出させた。
「それよりセレーネ、すっかり忘れてたけど聞かせてくれないか? ルキウスがどんな人間なのか」
「あぁ、そういえば君が私を訪ねてきたのは、そんな理由だったね」
セレーネは椅子に座り直して姿勢を正す。
「私と彼は幼馴染なんだ。といっても、そんな間柄の人間なんて山程いるからね。たいした話はできないと思うけれど」
セレーネは昔を懐かしむように、話し始めた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
次回は1月27日、18時頃公開予定!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます