第32話:決闘前、それぞれの過ごし方

「……寝れない」


 ワンツは天井を眺めながら、何度目かのため息を吐いた。

 明日は天才ルキウス・ランギスとの決闘だというのに。

 いや、強敵との決闘だからか。

 いつもより少し早い時間にベッドに入ったのにも関わらず、無駄に寝返りを繰り返すだけの結果になってしまっている。


『俺の命くらい喜んで賭けてやるさ』


 あんな大見得を切った割には、すんなりと寝付けやしない。


「結局、根っこの所はすこしも変わっちゃいない。情けない奴だな、俺は」


 次々と湧き出てくる自己嫌悪を少しでも吐き出す。

 そうでもしないと、明日の決闘から逃げ出してしまいそうだから。

 

「はぁ……夜風にでも当たってみるか」


 爽やかな夜風なら、にじみ出てくる淀みを少しでも吹き飛ばしてくれるかもしれない。

 ワンツはかすかな期待感を胸に、部屋を出た。



 人の気配がまったく感じられない旧校舎の廊下を歩く。

 深夜の校舎というホラースポットの定番所ではあるが、青白い月明かりが今はなんとも心を落ち着かせてくれた。

 セレーネの工房を通り過ぎて、屋上への階段をのぼる。

 重たい金属の扉を押し開けると、隙間から風が吹き込んでくる。


「ちょっと風が強いけど、まぁいいか」


 風が耳元を通ると、誰かが笛を吹いているような高音が聞こえる。

 目元で揺れている前髪をかきあげながら、鉄柵にもたれかかる。

 この辺りには旧校舎よりも高い建物がないので、遠くまでよく見える。

 ポツポツとしか光が点いてない旧校舎エリアと比べて、新校舎エリアは深夜にも関わらず煌々と輝いている。

 ゲルダが言っていたが、新校舎エリアの宿舎に入るためには高い学年順位と、学園に対するそれなりの寄付金が必要らしい。

 ソルシエール家も慈善事業で学園を運営している訳ではないとはいえ、なんともえげつない話だ。

 ワンツが社会の残酷さを感じていると、管理棟である通称ソルシエール城の頂点に位置していた月が雲に隠れてしまった。

 さっきまで青白く照らされていた世界に、暗い影が伸び落ちていく。


「はっ、なんとも縁起の悪い話だな」


「失礼な話ね。私が来たことが、そんなに気に入らない訳?」


「え?」


 完全に意識の外から入ってきた声に、胸が激しく跳ねる。

 しかし、どこか不満げな声を聞いて、少し心が安らいでいる自分がいた。

 後ろでブスッとした顔を向けているであろう少女の名前を、振り返りながら呼ぶ。


「フレア」


「そうよ、ここに来たのが私で残念だったかしら?」


「違う、さっきのはそういう意味じゃ……」


「ふふっ冗談よ、冗談。分かってるわよ、そんなこと。ちょっとからかっただけ」


「からかうってお前なぁ……」


「仕返しよ、普段の私への物言いのね」


 ゆっくりとフレアは歩いてきて、ワンツの隣でしてやったりという顔で笑った。

 風呂上がりだからかラフな格好をしていて、普段はポニーテールをまとめている赤いリボンも、今は長い髪を後ろで簡単にまとめている。


「はぁ……、まったくお前は」


 やれやれと空を眺めていると、フレアは鉄柵にもたれかかりながら聞いてくる。


「緊張してる?」


「緊張なんて……そうだな悪い、やっぱり緊張してる」


 顔を向けると、フレアは驚いたような顔をしている。


「……なんだよその顔は」


「いやだって、珍しいなって思ったのよ。あんたが素直に本音を言うなんて」


「どういう意味だよ」


「だって普段のあんたなら、私に聞かれたからって絶対に弱音を吐かない。大抵のことはひとりで出来るって余裕があるからかしら」


「……悪い、余計な心配をかけちゃったな」


「いいのよ、それで。むしろ嬉しかったわ、素直にあんたから本音が聞けて」


「今後は気をつけるよ。今だって、俺が緊張してるかもって様子を見に来てくれたんだろ? これ以上、お前らに迷惑をかける訳にはいかないもんな」


「あら、いいじゃない。迷惑をかけるくらい」


「え?」


 今ワンツは、拍子の抜けた顔をしていることだろう。

 それほどまでに、フレアからの返事は予想だにしていなかったからだ。


「で、でもただでさえ俺のせいで、沢山迷惑をかけてしまってるだろ? これ以上はせっかく俺を信じてくれた皆に申し訳がたたないよ」


「ホンッッット、バカねあんたは。私たちは仲間なんでしょ? 困ってたら一緒に解決してあげて、不安がってたら元気づけてあげる。そんな当たり前のことを、迷惑だとかなんだとか言うような奴はいないわ。それとも、そんな薄情な奴をあんたは仲間だと思ってるの?」


「いやそれは……」


「だったら頼りなさいよ! 私たちはあんたを信じて……あんたのことを好きになって付いて行ってるの! 私たちが好きでやってることを、迷惑だとか言わないで!」


 一気に言い放って、フレアは顔を真っ赤にしながら肩で息をしている。

 そして自分で言っておいて恥ずかしくなってきたのか、顔を背けてしまう。


「……ありがとう、フレア。すぐには難しいかもしれないけれど、これからはもう少し皆のことを頼りにしてみようと思う」


「ふん、それでいいのよ。あとひとつ、これだけは言わせてちょうだい」


「え? あ、あぁ」


「さっきす、すす、好きって言っちゃったけど、別に変な意味じゃないからね!?」


「分かってるよ。今更そんなことくらいで、勘違いなんてしないさ」


「あ、そう……それはそれでなんか腹が立つわね」


「はぁ? 何言ってんだよお前」


「うっさいわね。少しは私に対する物言いを改めなさいって言ったばっかりでしょ!?」


「やれやれ、まったくお前は……」


「ふん!」


 お互い言い合いで火照ってしまった顔を、夜風で冷ます。

 なんとなく空を眺めると、ソルシエール城の真上で月が光り輝いていた。

 美しい光景だからと目を見開くと、眩しいくらいだ。

 しばらくふたりで大きな月を眺めていると、おもむろにフレアが聞いてくる。


「そもそも、どうしてルキウスを仲間に加えようと思ったの?」


「どうしてか。そうだな……」


「あんたのことだから、セレーネに頼まれたからってだけで十分な理由なんだろうけど。それでも他に何か理由があるんじゃないの?」


「そら決まってるさ。テンスランズ末席であり有史以来の天才と言われるような男を仲間に加えられたら、勇者側の戦力を削ぐことができる。ついでにうちの戦力も大幅アップ。一石二鳥の作戦ってやつさ」


「ふーん、それで?」


「そ、それで?」


「別に嘘をついてるとは思わないけど、本心じゃない。そんな気がする」


「はぁ……お前の前じゃ下手なことは言えないな」


「どういう意味よ、それ」


「褒めてるんだよ、素直で勘が鋭い子だってな。正直、俺にもしっかりとした理由はないんだよ。けど…」


「けど? 何よ」


「あいつ時々、すごい悲しそうな顔してるんだよ。成功を約束されたような将来が待ってるだろうに、これからの人生に絶望しているような顔をさ」


「天才なんて言われる人間の絶望なんて、考えつかないわね」


「天才には天才にしかわからない悩みがあるんだろうさ。けど将来に希望が持てない若者ほど可哀想な物はないだろ? だから俺があいつの絶望をはらえるなら、そうしてやりたい」


「それが今回も、無茶な決闘を受けた理由かしら?」


「悪いと思ってるよ、毎度毎度」


「けど決闘を受けたからには、勝つ見込みがあるってことでしょ? ならいいわよ」


「さぁ、今回ばかりは相手が相手だからな。やってみないと分からんさ」


「結局、いつも通りぶっつけ本番ってことね」


「即時対応と、言ってもらいたいかな」


「何よそれ、意味わかんない」


 ワンツの冗談で笑ったのか、本当に言葉の意味が分からなくて笑ったのか。

 真実を本人に問い詰めるほど、ワンツは生真面目な男ではない。

 何より、無邪気に笑うフレアを見ていると、自然とこちらまで笑顔が溢れてくる。

 今、この場の楽しい雰囲気を守るためなら、他のどんなことも瑣末事に感じる。


「それに、見てみたくないか? 俺たちの想像を絶するような天才が、己の限界を超えたとき、あいつにはどんな未来が見えているのかを。だから絶対に勝つよ、俺は」


「俺たちは、でしょ?」


「あぁ、そうだな。俺たちは絶対に勝つ。たとえ相手が、天才だろうとな」


 自信に満ち溢れた笑顔を、フレアと向けあった。



「あんな笑顔を見せられて、あのふたりの間にわたくしが入っていけるはずがないではありませんか」


 ゲルダは屋上へ繋がる金属の扉に背中を預けながら、力なく座り込んでいく。

 消え入るような声が、屋上にいるふたりに聞こえることはない。

 かといってゲルダに気づいてもらって、あの場に招き入れて欲しいとも思わない。


「だってあのお方には……ワンツ様にはわたくしだけを頼って欲しい。わたくしだけに笑顔を見せて欲しい。わたくしだけに、弱い所を見せて欲しい……」


 つまらない嫉妬だとは分かっている。

 しかしフレアと一緒にいる時のワンツの顔を見ていると、つい嫉妬の感情が湧き出てきてしまうのだ。


「ただでさえワンツ様は心労の絶えないお方。けれどあの方は、わたくしたちに決して悩みを吐き出されたりはしない」


 ひざを抱いて顔をうずめると、目元が湿っていく。

 こんなつまらない嫉妬心に振り回されるような今の自分は、それに相応しい醜い顔をしていることだろう。

 ゲルダは鼻をすすりながら、目元をこする。


「わたくしは淑女ですもの。あんな子供のような人とは違う。ワンツ様だって、それなりの立ち振舞いを求めてくださっているに違いないですわ」


 そうに決まっている。

 ワンツの周りには、一癖も二癖もある人間ばかりが集まってくる。

 ならばせめて、ゲルダだけは彼に気苦労をかけないような常識人でいなければならない。


「でも少しだけ……ほんの少しだけでもいいのです。わたくしも、あの方に甘えられたのなら……」


 彼の笑顔を独り占めにしている彼女への嫉妬。

 自分だけに愛情を向けてくれない彼への不満。

 そしてそんなワガママな自分への嫌悪。


「ワンツ様、わたくしは一体どうすればいいのでしょうか……」


 声にならないようなつぶやきは、ふたりの笑い声にかき消された。



 あいつを許すことはできない。

 能天気で、簡単に傷ついてしまう彼女を戦いに巻き込んだ。

 そして彼女に対する怒りがないこともない。

 なぜ彼女は、こちらの忠告を無視して彼の方へ付いてしまったのか。

 彼女からしたら、この怒りは理不尽だと感じるだろう。

 しかし彼女を守ること、これは使命なのだ。

 たとえそれが、彼女が持つべき自由な選択肢を潰してしまうことだったとしても。


「ルキウス様、そろそろお時間です」


「了解した、すぐに行く」


 軽くお辞儀をして出ていった部下の背中を追うように、ルキウスも作戦司令室代わりにしている部屋から出る。


「学園長があいつの何を期待しているのか知らないが、あいつを……セレーネを巻き込んだことは絶対に許せない」


 魔王の顔が浮かんできて、苛立ち混じりに柱に拳を打ち付ける。

 これは儀式だ。

 覚悟を決めるための。


「魔王……お前だけは絶対に倒す。たとえどんな泥臭い手段を使うことになろうとも」


 魔王の顔が浮かび上がった柱を、ルキウスは再び乱暴に殴りつけた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

次回は1月30日、18時頃公開予定!

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