第20話:新校舎へ、面倒くさい青パーカー
旧校舎付近にある女子寮の一室。
ひとりの少女が、朝一番の講義を受けるため、身支度を整えていた。
丁寧に着ているからか、いまだにパリッとしている制服に着替える。
姿見の前に立つと、小麦色の髪を持つ少女が、不安そうな表情を向けてきた。
きっかけは最悪だったが、こんな立派な学園に入学させてもらうことができたのだから、髪型くらいはオシャレにしても良いのではないだろうか。
そう思ったが、農村しか知らない少女には、オシャレな髪型が分からない。
聞けるような友達もいないので、少女は手慣れた手付きでおさげを作って、両肩の前へ垂らした。
「ぴぴっ」
「え?」
テーブルの上に置いてある銀縁の丸眼鏡を取ろうとしたその時、小鳥の鳴き声が聞こえてきた。
聞こえた方へ目をやると、紙切れのような物を加えた小鳥が窓枠にしがみついている。
当然少女に、小鳥の友達はいない。
ともすれば、爪が引っかかってしまったのかもしれない。
ゆっくりと窓を開けてやると、小鳥は紙切れを少女の手の中へ落とした。
「ぴぽっ!」
「あ……」
小さく鳴くと、小鳥は空へ飛んでいき消えてしまった。
手の中に残された紙切れを見てみると、そこには数行の文章が記されている。
『マリー・フローレンスへ。
魔法学の講義が終わった後、新校舎の裏庭へ行け。
そこには、きっと君の罪悪感を和らげてくれるかもしれない人間が現れる』
文章を読み終えると、紙切れは小鳥のように消えてしまった。
「いたずらかな……。でも誰がこんなことを……。それに私の罪悪感って」
何度も夢に見ているので、もう吐き気を催すことはなくなった。
それでも、あのことを思い出す度に、後悔に押しつぶされそうになる。
『罪悪感を和らげてくれるかもしれない人間が現れる』
こんな人間がいるはずはない。
それでも。
それでも、もし本当にそんな人がいるのだとしたら。
マリーは鼻筋あたりのそばかすを隠すように、銀縁の丸眼鏡をかけた。
◇
「はぁ……、ここまでとはさすがに想像してなかったな」
薄暗い廊下に、ワンツの声が響いている。
強張っていた力を抜くように、柱にもたれかかり、大きくため息をついた。
「申し訳ありません、ワンツ様。まさかワンツ様のご尊顔が、ここまで出回っているなんて、思いもしませんでした」
「ゲルダ、ご尊顔はやめてくれ」
ご尊顔なんて呼ばれて相応しいのは、神仏かそのレベルで容姿が整っている人間くらいだろう。
あまりにも自分に不相応な言葉で褒められると、自覚している現実の自分とのギャップで、嫌悪感に襲われる。
「あら、わたくしとしましては、ワンツ様に相応しいお言葉だと思ったのですけれど」
「マジで、勘弁してくれ……」
ゲルダは本心で言っているのだろうが、その無邪気さが今はむず痒い。
「そんなことより、これからどうするのよ!」
ゲルダとのやり取りに割り込んでくるように、フレアが不満気に声を荒げる。
あれだけ走ったのに元気だなぁと見ていると、フレアは顔をそむけてしまった。
そっちから話しかけてきたのになんで……、と少し傷つきながら天井を見上げる。
「ホントに、どうするかな」
目をつむると、この短時間で起こった出来事が順に思い出されていく。
約1時間前、ワンツたちは新校舎の前へと到着した。
黒い雨染みがべったりと張り付き、あちらこちらに入っているヒビから、つるの長い草が生えてきて、自然に取り込まれつつある。
そんな旧校舎とは、雰囲気が全く違う。
白を基調とした立派な建物だ。
遠くから見ると太陽光を反射して、白銀に輝く城のようにも見える。
さらには、新校舎に至るまでの道も石畳が敷かれており、そこには商店やアパートが立ち並ぶ。
伝統と新しさが上手に溶け込んだ、まさに学園都市といった感じだった。
「こうも違うもんかね、新しいってだけで」
見上げると首が痛くなるほどに、目の前の建物は巨大で荘厳だ。
屋根が尖っている塔が何本か建っていたり、白い石が使われた外壁は、積み上げるのにどれだけの時間がかかったのかと思うほどに高く広かったり。
建築物に詳しくないワンツでも、白い新校舎と薄汚れた旧校舎とを見比べると、技術や文化の進歩が感じられる。
「講義や設備などは、すべて新校舎とその周辺の研究棟に機能が移されたそうですから、これは仕方のないことでしょうね」
「じゃあ、あのジメジメとした箱物には、もう誰もいないのか?」
「いいえ、希望すればクランの拠点として貸し出されていたはずです。ですがまぁ、立地が立地ですから、変わり者しかいないそうですが」
「変わり者ねぇ」
ソルシエール魔法学園。
この学園は主に3つのエリアに分かれている。
1つ目は、学園長や教師などが利用している管理棟エリア。
これは、学園の北側に位置している。
2つ目は、大半の学生が利用している新校舎エリア。
テンスラウンズの拠点や学生宿舎もあり、ひとつの町レベルの設備が置かれている。
これは、学園の西側に位置している。
そして3つ目は、新校舎エリアに相対するように置かれている、旧校舎エリア。
主に、学園長による推薦組が利用する学生宿舎や、かつて利用されていた設備が残されている。
これくらいは、興味のないワンツでも知っているくらいの、学園地理に関する知識だ。
しかしそれでも、わざわざ旧校舎に近づく人間が、普通ではないことは左右のふたりを見ると分かる。
「何よ、ジロジロ見てきて」
「……別に何も」
「いや、あんた今、絶対に失礼なこと考えてたでしょ!」
「考えてないって」
「いや絶対嘘。考えてた!」
フレアがヒートアップしてきたので、逃げるようにゲルダの方を見ると、頬を押さえながら体をくねくねさせていた。
なんだ、やっぱり俺の考えていた通りじゃないか。
こんなことを思いながら、甘美な内容のつぶやきをしながら、自分の世界に浸っているゲルダを無視していると、悲鳴が聞こえる。
「一体何が……って、何だ?」
悲鳴が聞こえた方へ顔をやると、顔面蒼白状態の女生徒が、口元を手で覆いながらワンツへ向かって指を指している。
「これは分かった。聞いたことがあるぞ。こういう時はだいたい後ろを向けば人が……」
いなかった。
それどころか、さっきまで賑わっていた群衆が、ワンツたちを避けるように散らばっていく。
「きゃーー! 魔王よ、魔王がいるわ!」
女生徒の叫びを合図に、群衆たちはそれぞれの方向へ走り出してしまう。
さっきまで笑顔で声をかけてくれた人たちでさえ、恨めしそうに奥へ隠れこんでしまった。
「まったくお見事だな、これは」
ここまで嫌われていると、もはや笑いが込み上げてくる。
「ワンツ様、あまりお気になさらないでください。これは勇者陣営の謀略でしょう。必要以上に、魔王という存在への恐怖と忌避を、強調し流布するという」
ゲルダの声は低く、少し震えていた。
手元を見ると、色白の肌が赤く腫れるほどに、拳を強く握りしめている。
「許せない。ワンツが……私たちが一体何をしたって言うのよ!」
「おい、ちょっと待てフレア!」
走り出そうしたフレアの腕をとっさに掴む。
「何すんのよ!」
「何って、どこへ行く気だそんな顔で」
「どんな顔よ! 勇者かなんだか知らないけれど、こんなの酷すぎるわ。直接乗り込んで、文句言ってやるのよ!」
絶対に文句を言うだけでは済まないだろう。
不審者と帰されるだけならまだマシで、魔王の仲間だからと何かしらの罰を与えられるかもしれない。
ここでフレアの腕を離す訳にはいかない。
少し痛いであろうくらいの力で、腕を掴んで引っ張る。
「行ってどうするんだ、門前払いされるだけだぞ」
「それでも!」
「ちょっ、おまっ、力強いな!」
どんどんヒートアップしていくフレアを、なんとか引き止めていると、遠くから笛の音が聞こえてくる。
脳に直接響いてくるような、甲高い不快な音だ。
思わず耳を塞いでいると、複数の足音が近づいてきてワンツたちの近くで止まる。
「貴様だな、魔王という輩は!」
集団からひとりの女生徒が一歩前に出てきて、指をさしてくる。
ワンツたち一般生徒とは異なり、パーカーのような薄暗い青色の上着を着ており、同系色の帽子を被っている。
彼女らが只者ではないことは、片手に持っている長い得物が示していた。
この学園では、いたずらに自らの武器を見せびらかすことが禁じられている。
それなのに、彼女と同じ格好をした集団は、全員が長物を持ち歩いているのだ。
厄介な集団に絡まれたと、ワンツは奥歯を噛んだ。
「人違いじゃないのか? 魔王ってのはこう……もっと、怖い顔をしているもんだろ?」
「ならば委員会室で、じっくりと証明してもらおうか。貴様が魔王ではないことをな」
唯一、腕章が取り付けられているリーダー格の女生徒は、高圧的な返事をしてくる。
初めから話し合いをする気がないじゃないか、とワンツは舌打ち混じりに言った。
「なんて横暴な。そんな権利が、あんたらにあるのかよ」
「あるともさ。我らには、風紀を乱す輩を拘束する権利が、与えられているからな」
「風紀? 拘束? 大体なんなんだ、あんたらは」
一方的すぎて話にならない。
苛立ちを隠さずにワンツが言うと、ゲルダが袖を軽く引っ張ってくる。
「風紀管理委員会ですわ、ワンツ様。学園の設立当初から存在するクランのひとつで、学則に基づき、唯一生徒の身体を拘束する権利を有する特殊な組織です」
「そちらのお嬢さんの言う通りだ。理解できたのなら、ご同行願おうか。認められているとはいえ、私たちも荒事は避けたいのでね」
「丸腰の俺らに、武器を向けて言えたことかね、それは」
ワンツたち3人なら、返り討ちにすることは不可能ではないだろう。
いくら相手が、10数人規模の武装集団であったとしてもだ。
「どうするワンツ、まとめてやっちゃう?」
耳打ちしてくるフレアに、同じく小さな声で返す。
「剣は出すなよ、フレア。こいつらと戦ってはいけない」
「どうしてよ。ケンカ売ってきたのは、あいつらでしょ?」
「私闘は学則で禁じられているんですよ、フレアさん」
「で、でもこのまま舐められっぱなしってのも、気に入らないじゃない」
「でもじゃないです。腐っても向こうは学園に認められた組織で、正式に権利を行使しているだけです。それを相手取ってみなさい。不利になるのは、ワンツ様ですのよ」
「む、むぅ……、ならどうするのよ!」
言葉のやり取りをしているこの瞬間にも、風紀管理委員会の面々は、少しずつ距離を縮めてきている。
このままでは、むざむざ逃げ帰されるか、拘束されるかのどちらかになってしまう。
「せっかくここまで来たんだ。ただで帰る訳にはいかない」
「だからどうするのよ!」
「戦ってもいけない、捕まってもいけない。なら残された方法は決まってるだろ」
大きく深呼吸をして、ワンツはふたりの手を掴んだ。
「追っ手をまくまで逃げ切る、これしかない!」
叫ぶと同時に、ワンツはふたりの腕を掴んで駆け出した。
「わっ、急に危ないじゃない!」
「悪い! でも奴らを突破するにはこれしかなかったんだ!」
ワンツが強引に引っ張ったので、フレアは姿勢を崩しかけていたが、文句を言いながらすぐに立て直す。
さすがの運動能力だ。
ゲルダの方はどうかと目をやってみると。
「あらまぁ、ワンツ様ったら大胆ですわね。こんな公衆の面前で、わたくしを無理やりどうにかしようだなんて」
頬を染めながら、独り言を呟いている。
返事をすると面倒そうなので、構わないことにした。
走り出した時には腕を掴んでいたワンツの手が、いつの間にか指を絡めあった恋人繋ぎになっていたので、放って置いても構わないだろう。
ワンツたちは風紀管理委員会の追跡を受けながら、新校舎の中を走り回る。
学校らしい広くて綺麗な教室。
歴史の匂いがする図書室。
なんの実験に使うのか見当もつかない魔法道具。
そしてこれらの教室を繋いでいるツルツルとした床を、ワンツたちはひたすら走り抜けていく。
そして、風紀管理委員会の追跡を、受け続けること10数分。
ワンツたちはようやく人気の少ない場所に逃げ込み、彼らを撒くことができたのだった。
「……チッ、しつこいな。ここが見つかるの時間の問題か」
息遣いだけが流れる空間に、かすかではあるが威勢のいい声が混じる。
このままジッと隠れていても、いつかは見つかってしまうだろう。
「このまま帰るしかないのは癪だけど、仕方ない。ここは一度、撤退するしかないか」
「わたくしも賛成です、ワンツ様。この様子ではろくに情報を集めることも、できないでしょうし」
ワンツたちが考えなしに新校舎に踏み込めば、まともな活動などできない。
ルキウスはこのことを知っていて、腹いせに情報を教えてきたのだろうか。
確かにルキウスは、一方的にワンツとの会話をぶった切り、挑発的にマリー・フローレンスなる生徒の情報を置いていった。
あの場面を思い返すと、八つ当たりのようにも思える。
「だけど本当にそれだけだったのかな……」
考え事をしていると、ゲルダの声が遠くから聞こえてくるような気がした。
意識をそちらへ向けると、声が次第に大きくなっていく。
「……つ様、ワンツ様」
「あ、あぁ悪い、どうかしたのか」
「いえ、帰りは新校舎の裏を迂回していきましょう。幾分かではありますが、人目も避けられるかと思いますので」
「分かった、行くぞフレア」
声をかけるが、フレアは難しい顔で首を傾げたまま、返事をしない。
「おいフレア、大丈夫か」
「あんたたちは先に行ってて、私ちょっと行ってくる」
「あ、おいちょっと待て、フレア!」
言葉半ばでフレアは走り出してしまう。
引き止めるべく慌てて手を伸ばすが、すんでの所で間に合わなかった。
あっという間に、後ろ姿が小さくなっていく。
「まったく、しょうがない奴だなあいつは」
「そのお言葉に関しては、全くの同意しかありませんが、偶然にもあちらの方向ですわ、校舎裏は。追いかけましょう、ワンツ様」
「不幸中の幸いだな、行こう」
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次回は1月18日、19時頃公開!
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