第7話:負けない約束

 黒と紅の軌跡が、宙で激しく交差しあう。

 不思議だ。

 体はとうに限界を迎えているはずなのに、思考はクリアに澄んでいて、世界はより鮮やかに映っている。

 極限状態の中、思わず笑みがこぼれてしまう。


「どうした! 殺す気で来いっていったろ!」


「そんなこと言ったって……」


 少しの時間とはいえ、本気で剣を打ち合ったから分かる。

 フレアは今、迷っている。

 人生の大半を費やしてきた魔法で、相手を殺しかけた。

 これからも決闘に勝ちたい。

 勝ち続けたい。

 そのためには、目の前で立ちはだかるワンツを倒さなければならない。

 しかし本気を出せば、今度こそワンツはーー。

 適当にフレアの攻撃を受けて、距離を取る。

 ワンツが笑みを送ると、フレアは気まずそうに目をそらした。

 もはや戦意もついえてしまっているのか、体を覆う炎も白煙となり消えてしまった。


「あんた、防御魔法も使わずによく剣を振れるわね」


「そっちに回す魔力が無いからな。それとも、防御に回したらお前は本気を出せるのか?」


「そういう訳じゃ……」


「じゃあどうしてさっきみたいに戦えない。疲れたか? そうじゃないよな」


「だって私が勝ったらあんたは……」


「俺は死ぬ?」


 コクリとフレアはうなずく。

 やはりそうだった。

 フレアが決闘にのぞむのには、何かしらの理由があるのだ。

 決して、権威だけを求める戦闘ジャンキーではない。


「バカだな。余計な心配ばかりして」


「……はぁ?」


 少しの困惑の後、低い声で疑問が返ってくる。

 恐怖と躊躇で涙ぐんでいた顔に、少し闘志が戻ってくる。


「心配しなくても、お前の思っていることは起きやしないよ」


「どういう意味よ」


「お前が言いたいのはこういうことだろ? 防御に魔力を回せないほどに満身創痍状態の俺は、次にお前の本気の攻撃をくらったら、いよいよ死んでしまう」


「そうよ。もしも私が本気で振った剣に、あんたが当たったら……」


「さっきまであんなに丸出しの殺気をぶつけてきたくせに、よく言うよ」


「あ、あれは! 分かってた……分かってたけれど。剣を振るうということは、いつか取り返しのつかない罪を犯すことになる。そう考えたら私……」


 何を想像したか知らないが、フレアは両肩を抱く。

 もはや大剣も消え去り、己から吹き出る煙を抱きしめる姿からは、戦う意志が感じられない。

 体も前向きな気持ちも、燃え尽きてしまったかのように見える。


「さっきから何お前が勝つ前提で話してるんだよ」


「そらそうでしょ。比べたことはないけど、あんたは結構強いんだと思う。そんなあんたを、私は追い詰めてる。もう勝負は決まったようなものでしょ?」


「バカいえよ。勝つのは俺だ」


「ただの強がりね。もしくはただの死にたがりか」


「死にたがりなら、お前と決闘なんてしてないさ。ただひとつ言っとくけど。見切ってるからな、もうお前の攻撃には当たらない」


「言ってくれるわね、そんな体で……あんたそれ」


 フレアの言葉が途中で止まる。

 向けられている方へワンツも視線をやると、左半身の炭化した部分にヒビが入っている。


「熱ッいな……」


 力を込めると、連鎖的に破裂音を鳴らしながらクラックが全体に広がり、ついにすべての炭化部分が崩れ落ちる。

 ワンツは炭の鎧を脱ぎ捨て、傷一つない素肌が現れた。


「あんたそれ、どうして!」


「知るかよ、俺だって」


 ブラフではない。

 ワンツの左半身は、確かに炭化していた。

 しかし今は、さっきまでまったく感じなかった温かみを感じる。

 ワンツの左半身に、この瞬間から血が通い出したのだ。


「フレア、魔法を始めて何年になるんだ?」


「え? ええと……10年くらい? かしら」


「じゃあ次で最後にしよう。お前の10年間の集大成。すべてを真正面から受け止めて、その上で勝ってやる」


 軽い動作で左手を突き出し、フレアに向ける。

 意味不明な現象を見せられ、困惑しているようであったが、すぐに踏ん切りをつけ、自信に溢れた笑顔を向けてくる。


「……ふふ、いいわ。アンタのこと、信じてみることにする!」


 太陽のように眩しい笑顔に応じるようにフレアは、これまでで最も強い炎をまとった。


「これで最後なのよね」


「あぁ。お前のこれまでの努力も、憎しみも、希望も。全部まとめて俺が受け止めてやる! だからスキもキライも全部こめて、俺にぶつけてこい!」


 フレアはゆっくりと大剣をかつぎ上げる。

 元々フレアの身長以上あった刀身が、炎をまとってさらに巨大化している。

 炎の化身らしい、燃え盛る大剣。

 それを構え、フレアはいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「奇跡が起こったようだけれど、最後に勝つのは私よ」


「バカ言え、勝つのは俺だ」


「本気で行くわ!」


「来い、フレア・スカーレット!」


 挑戦的な笑みが交差したと同時に、ふたりは突進する。

 相対するまでの一瞬の間に、ワンツは考える。

 炎をまとったフレアの大剣を、ワンツが防ぎ切ることはできないだろう。

 オーバーファイアは、簡単に防御魔法を貫通してくるからだ。

 炎の破壊力が高いなら、相反する氷系の魔法で相殺してやればいい。

 理論上は正しいが、ワンツが扱えるレベルの氷系魔法では、フレアの炎を一瞬たりとも止めることはできないだろう。

 ならば残された案はひとつ。

 先の言葉の通り、真正面から受け止めることだけだった。

 残された魔力のすべてを燃やしきるような覚悟を決めて、ワンツは唱える。


「オーバーファイア!」


 フレアのように、全身を覆うほどの高出力の炎は出せなかった。

 しかしワンツの相棒、黒剣ロンドは青みがかった炎をまとっている。

 間合いに入る直前、ワンツは力強く地面を踏み込む。

 奥歯を噛み締め、振り下ろされてくる大剣を持ち上げるように、剣を切り上げる。

 青と紅の軌跡がぶつかりあった瞬間、猛烈な破裂音と閃光がふたりを襲う。


「うぐッーーなんて熱さだ」


 腕を直火で炙られているかのようなーーいや実際に炙られているのだ。

 圧倒的な力に押し負けないように、青い炎を剣に集中させているせいで、逃した炎がワンツを襲ってくる。

 氾濫してきた紅の炎が、ワンツの素肌を焼いているのだ。

 熱いという感覚は一瞬で通り過ぎ、純粋な痛みが脳を叩く。

 やせ我慢をして耐えられる地点など、とうに超えている。

 痛みは人間が持つ防衛本能だ。

 どんなに惨めでも、命さえ捨てなければ、いつかチャンスは訪れる。

 そのことを人間は、人間という存在が生まれたときから知っているから、本能として刻まれているのだ。

 だから危険な状況から逃げるという選択は、決して悪いことではない。

 ではなぜワンツは今、本能に抗い死の危険が迫る方へひたすらに、走っているのだろうか。


「俺はただの死にたがりか? 違うなそれは。緩やかな自殺を望んでるなら、3年後に死刑になるその日まで、家で引きこもっていただろうさ」


 自然と口からこぼれ落ちるように、言葉が出てくる。


「だけど俺は生きたい。今を精一杯に生きて、いつか証明するんだ。災禍の力だって、誰かを助けることができるんだって。だからフレア! お前は俺が絶対に救って見せる!」


 濁流のように襲いかかってくる炎にもまれながら、ワンツは進む。

 フレアに示してやらなければならないからだ。

 どれほどの困難であろうとも、進み続ければいつかは抜けられるのだと。


「ぐっ……うおおお、やあぁあ゛! このままじゃ押し負けるぞ……はっ!?」


 瞬間、痛みは消え去り思考がクリアになった。

 フレアの炎のパワーは尋常ではない。

 これまでないほどに疲弊しているだろうに、最大出力でぶつかってくる。

 そんなパワータイプの相手に、パワーで勝負しても力任せの押し合いになるだけだ。

 ならば力で劣るワンツが、勝つにはどうしたらよいのか。

 答えはひとつだ。

 思考を言葉にして唱える。


「オーバーファイア・シャープエッジ」


 ワンツの黒剣を覆いこむように燃え盛っていた青い炎は、その姿を変え収束していく。

 そしてその姿は、華奢なるも鋭いロングソードへと変化した。


「切り抜けるぞ、ロンド・シャープエッジ!」


 これまでで最も強い炎の濁流が、ワンツを襲う。

 しかしこの辛さも一瞬だ。

 炎の濁流すらも、切り裂いて見せる。

 そうイメージして、一思いに切り抜ける。


「うッおおおお!」


 ひときわ大きな金属音が鳴り響いて、砂煙が舞う。

 魔力の限界だ。

 軽やかな音を残して、ロンドが光となり消えた。

 頬を撫でる心地の良い風が、決着を予感させる。

 振り返ると、ちょうどフレアが倒れていく所だった。


「……フレア!」


 慌てて手を回して、フレアを支えてやる。

 柔らかい感触を腕に感じたのも束の間、フレアは何かを隠すように抱きついてくる。


「攻撃!? いやお前……どうした?」


 反射的に振り払おうとした腕を抑える。

 なぜなら体に回されたフレアの腕は、震えていたからだ。


「負けちゃった、私。絶対に負けない、勝ち続けるって皆に言ったのに」


 ワンツの胸に顔をうずめるフレアの声は、震えていて少し湿っている。


「みんな?」


「お父様、お母様、兄さま姉さまたち」


「家族が言ったのか? 勝ち続けてこいって」


 フレアは無言で首を横にふった。


「私が一方的に叫んで飛び出してきた」


「どうしてそんな家出みたいなことを。家族が心配してるんじゃないのか?」


「ううん、それだけは無いわ。兄さまたち姉さまたちには、誇れるような特技があった。だけど6人兄弟の末っ子の私にはそれがない。だから私は無価値の存在」


「そんなこと……」


 胸に顔をこすりつけながら、フレアは叫ぶ。


「だから私は勝ちたかった! 勝てば皆が私を見てくれる、そう思ったから! だけど……だけど私は負けちゃった。兄さまみたいに強くなければ、姉さまみたいに可愛くもない。戦士にも淑女にもなれない。そんな中途半端な私に、居場所なんてどこにもない」


「そんなことないよ」

「そんなことあるのよ! たくさん練習したけど、姉さまみたいにうまく踊れなかった。兄さまみたいに賢くなれなかった。だから私は剣と魔法を学んだ。体を動かすのは好きだったから」


 それでも! とフレアは強く頭をこすりつけてくる。

 ワンツの背中に回された腕は、悔しそうに震えていた。


「私は勝てなかった! ずっとひとりで修行し続けてきたのに! これ以上私は強くなれない。だからもう私に意味はないのよ……」


「それは違うよ、フレア」


 何が違うのかと、フレアは見上げてくる。

 恨めしそうな表情は、涙で歪んでいた。


「お前が言った通り、俺の力はただの真似事だ。お前が繰り返してきた、血の滲むような努力の結晶を、掠め取ったに過ぎない。だけどお前は違うだろ?」


「違う?」


「結果がすべて。というのは正しいと思う。だけどお前が、がむしゃらに積み上げてきた過程は決して無駄にはならない。結果だけを掠め取る俺にはできない、お前にしかできない素晴らしい未来を掴むことができるはずだ。ずっと努力してきたフレアなら」


 微笑みながら涙を拭ってやると、大きく開かれた目から一筋の涙がこぼれた。

 涙を隠すようにフレアは顔をうつむかせる。


「……私の負けね」


「え?」


 ぼそっとフレアが呟いたのは分かったが、内容までは聞き取れなかった。

 素っ頓狂な返事をすると、フレアは顔を真っ赤にして言い返してくる。


「私の負けでいいって言ったの! もう、何度も言わせないで!」


 恥ずかしそうに頬を染めながら、フレアは睨みつけてくる。


「そっか。ありがとう、フレア」


「ふ、ふん! 今回のところは勝ちを譲ってあげる。でもねひとつだけ約束しなさい」


「約束?」


「次に私とやるまで。誰にも負けないこと」


 フレアはそう言って、指をさしてくる。


「こんなしんどい決闘を、またお前とやらなくちゃいけないのか?」


「当然よ。勝ち逃げなんて、絶対に許さないんだから」


「……分かったよ。約束する。俺は次にお前と決闘するまで負けない」


「ダメ、絶対負けない」


 大事な部分を強調するようにフレアは言い直してくる。

 やれやれと、表情を緩めながらワンツは言った。


「はいはい、絶対に負けない」


「それでいいのよ。だからそれまで、私がずっと隣にいてあげるわ」


 恥ずかしがる様子もなくそんな言葉を投げてくるフレアの笑顔を、太陽がひときわ魅力的に照らした。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

次回予告

「だってわたくし、あなた様に結婚の申込みをしに参ったのですから」

「決闘、してくれるよね?」

「さあご覧になって! わたくしの本性を、ありのままのワタクシを!

「待ってろよお姫様。今から魔王が迎えにいってやる」


次回「第8話:決闘の翌日は」

1月5日、21時頃公開!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る