第9話:妖しい求婚

「ソルシエール魔法学園は、身分や家柄による区別の一切を行いません。ここにいる誰もが、テンスラウンズに入ることができる可能性があるのです。ですのでーー」


「遠いわね」


 フレアは目を細めながら呟いた。

 それもそのはず。

 数百人は収容できるような巨大な建物の一番後ろの席の、そのまた後ろにワンツたちは立っているのだ。

 コンサートホールのように後部席ほど位置が高くなっているので見えないことはないが、やはりステージは遠く見えづらい。

 アリスの挨拶もある程度は聞こえるが、やはり鮮明に聞き取ることはできない。


「アリスって本当に学園長だったんだな」


「当たり前でしょ。もしかして最近まで知らなかったの?」


「名前だけは知ってたさ。けど身近な存在が凄い役職なんだって言われてもピンとこないだろ? 実際、自分に見せるのはそれ以外の顔だけなんだから」


「……それもそうね」


「悪い」


「悪いって何が?」


「ええと、それは……」


 この謝罪に特に意味はない。

 フレアが物悲しげな顔をするから、何か傷つけるようなことを言ってしまったかもしれないと予防線を張っただけだ。

 言葉につまっていると、フレアはため息混じりにたたみかけてくる。


「謝罪って何か悪いことをしたときにするものでしょ? 何が悪いか分かってないのに、謝られても困るわね」


 全くもってフレアの言う通りだ。


「……悪い」


「ふん、私もなんで謝られたか分かんないから別にいいけど」


 石の壁に背中を預け、ため息を吐く。

 ボーっとアリスの演説を聞いていると、昨日のことが思い出される。

 純粋な実力勝負なら、おそらくワンツが負けていた。

 ワンツの勝因は、スキルアンロック。

 見たことのない魔王の力で、フレアを動揺させたからだ。

 しょせんあの力は、人の努力をかすめ取る猿真似に過ぎない。


「たぶん次は無いだろうな……」


 なんて賢そうな分析をしてみたりもしているが、ワンツにとってもっと重要なことがある。

 それは決着がついたあとに放った、数々の名言たちだ。

 あのときは文字通り命を燃やして、やっとこそ掴んだ勝利だった。

 たいそう興奮していたのだろう。

 普通の精神状態なら、口が滑っても言えない恥ずかしい名言を、いくつも生み出してしまった。

 横目でフレアを見る。

 少しでもアリスの舞台を見ようと、手を目元にやりながら目を細めている。

 年頃の少女からしたら、あれくらいの言葉なら普通なのだろうか。

 ワンツはこんなにも気にしていると言うのに、フレアに特段おかしな様子はなかった。


「ん? どこ行くのよ。まだ終わってないわよ」


「いたたまれない気持ちになったから、帰ろうかなって」


「は? 意味分かんないんだけど。せっかくだから最後まで見ないともったいないわよ」


「いいよ別に。面白いもんでもないし」


「じゃあ私も行く」


「え? なんで、お前は残ってもいいんだぞ」


「あんたが行くって言うから行くの」


「あ、そう」


 あんなにキラキラとした表情でステージを見ていたのだ。

 楽しそうにしていたのだから、最後まで見ていればよかったのにと思いながらも、ワンツたちはホールの外へ出る。

 ホールの外は、まだ入学式の最中だということもあり人通りが少ない。


「あー、いてて」


 やはり、まだ昨日の傷が完治していないのか、全身に筋肉痛のような痺れがある。

 エクスプロージョン。

 フレアが己の命すらを燃やし尽くす覚悟で放った大技だ。

 文字通りの意味で、火球はワンツの左半身を一瞬で消し炭へと変化させた。

 しかし、あの時はすぐに身体機能が回復した。

 まるで初めから、そこに傷なんて無かったかのように。

 あの時と今、どうして回復力に違いがあるのだろうか。

 やはり気合なのだろうか。


「あなたが魔王様ですか?」


「んあ、はい?」


 考え事をしていると、目の前に少女が立っていた。

 背丈はフレアよりも低く、アリスと同じくらいだろうか。

 少し毛先の跳ねた、光が当たると青みがかった輝きを放つ銀髪を持っている。

 そんな青っぽい不思議な銀髪は腰ほどまでの長さがあり、それが余計に目の前の少女を小柄に見せた。

 目が合うと、少女はにっこりと笑顔をワンツに向けてくる。

 人当たりが良さそうな素敵な笑顔だ。

 しかしなぜだろうか。

 彼女の左目を見ていると、背中に氷を当てられているかのような寒気を感じる。

 妖しい魅力を感じる左目に視線を奪われて、うまく言葉が発せない。

 銀色の前髪で右目が隠れているので、余計に透き通るような左目の方へ視線を集中させてしまう。


「えと……」


「誰よあんた」


「あなたには聞いていませんことよ。部外者は黙っておいてくださいまし」


「誰が部外者ですって!?」


 今にも殴りかかりそうなフレアを制して、ワンツは改めて少女を見る。

 フレアに向けられていたおぞましい表情は、ワンツの見間違いだったのだろうか。

 少女は人懐っこい笑顔でワンツの目を覗き込んでくる。


「仮面の早替えみたいだね」


「淑女のたしなみですわ。それより」


「ああ、俺が魔王なのかって? 人違いじゃないかな。そもそも魔王なんて、本当にいるのかい? 俺はそうは思わないんだけど」


 魔王を探している人間など、ろくな人間であるはずがない。

 適当にはぐらかしてこの場を離れた方がいいだろう。

 しかし少女がワンツの制服の袖をつまむので、立ち去ることができない。


「嘘を吐くなら、もう少しお上手になさらないと」


 クスクスと楽しそうに笑う少女を見ていると、なんとも言えない恐怖感が湧いてくる。

 警戒感からか、つい語気を強めて聞いてしまう。


「……どういう意味かな」


「魔王がこの学園に入学したこと。学園関係者で、このことを知らぬ者なんて、ひとりも存在しませんのよ。そうでしょう、魔王様?」


 だから学園のことをもっと教えといてくれって言ったのに!

 ワンツは内心でアリスに文句をつけながら、少女と相対する。

 少女がつまんでいる袖から、寒気が上ってくるのは、きっと気のせいではないだろう。


「なんてお可愛らしいのでしょう。ちょっとカマをかけさせて頂いただけですのに。こんなに早くお会いすることができるなんて、わたくし感動です。あなたはどうですか? 魔王様」


 少女が向けてくる笑顔の温度が変わった。

 体を氷漬けにされたように、少女から目を離せない。

 凍りついたように動かない声帯に、強引にツバを流し込み口を開く。

 

「君の目的はなんなんだ。いち早く魔王を討ちにきた。ということか?」


「いいえ。わたくしは英雄には興味がございません」


「それじゃあ、如何用で?」


 なんとか会話の主導権を奪おうと余裕を装ってはみるが、見透かされているのだろう。

 少女は「フフフ」と意味ありげに、微笑みを返してくる。


「わ、わざわざ俺のこと待ち伏せしてたんだろ? 偶然を装ってはいたようだけど」


「偶然ではありません。わたくしとあなたがここで出会うのは必然ですもの」


「必然? 俺たちは運命の赤い糸で結ばれているとでも?」


「それはとてもロマンティックですわね。ですが少し違います。だって今朝からずっと、あなたの背中を追いかけていたんですもの」


「あ、朝から……だって?」


 フレアに部屋を爆破されそうになった今朝のことを思い出し、ゾッとする。

 あの時からずっと見知らぬ第三者の目が向けられていて、それに気が付かなかったのだ。

 認知していない存在に監視されていたということに、気味の悪さを感じる。


「朝からってことは……もしかして私がこいつを起こしに行った時からずっと付きまとっていたって訳!?」


「もちろんですわ。だってわたくしの使命ですもの。このお方を見守るのは」


「うげぇ……、あんたそれ自分がおかしなことしてるって気づいてないの?」


 フレアは気味悪そうに両肩を抱きながら、言い放った。

 快活で無邪気な雰囲気のフレアが、あんな人を蔑むような目ができるのか。

 フレアの冷たい目と、フレアにそんな目をさせたゲルダに、少し引いてしまう。

 

「まだ入学初日ということで、荒事は避けようと思っていたのですが、仕方ありません。存在するだけで不快な羽虫は、早い内に潰してしまいましょうか」


「羽虫ぃ? 一体誰のことを言ってるのかしら?」


「虫程度の頭しかないから、分からないのではなくて?」


「もういっぺん言ってみなさいよ、この変質者!」


「羽虫がブンブンうるさいですわね。叩き落しますよ」

 

 さっきまでキャンキャン鳴いていたフレアが無言で殴りに行こうとしたので、慌てて引き止める。


「ちょ、待て待て、殴りにいこうとするんじゃない!」


「なんで止めるのよ!」


「なんでも、へったくれもない! それより君は一体なんなんだ! まさかケンカを売りに来た訳じゃないんだろ?」


 フーフー息を荒らげ、隙あらば飛びかかるチャンスを窺っているフレアを抑え込みながら、問いかける。

 

「あら、わたくしとしたことが自己紹介を忘れてしまうとは。申し遅れました、わたくしゲルダ・スノウクインと申しますわ。以後、お見知りおきを」


「ゲルダ・スノウクイン……お前は知ってるか?」


「こんな変な奴、私が知るわけないじゃない!」


 ひとまず隙を見て襲いかかろうという目論見は止めてくれたらしい。

 フレアは精一杯舌を出して、威嚇している。


「そういうあなたは、現代に復活した新しい魔王、ワンツ様ですわよね。昨日、拝見した所、随分と学園長様と仲がよろしく見えましたけど。推薦枠の方かしら」


 学園に入学する前、アリスは言っていた。

 ワンツの存在を隠している訳ではない。

 しかし、義理とはいえワンツとアリスが親子であるという事実は、おおっぴらげに言い回ることでもないので、知っている人間は少ないと。

 ならばここで、ワンツがいらないことを口走る訳にはいかない。


「そういう君は、アリスの知り合いなのか?」


「いいえ。ですがわたくしが、あなた様のことを知っているのは当然のことなのです」


「……それはどうして?」


「だってわたくし、あなた様に結婚の申込みをしに参ったのですから」


「へー俺と結婚か、それはそれは大変おめでたいな……ってはぁ?」


「うふふ」


 ワンツのみならず、フレアまでも固まっている。

 静かな世界に、ゲルダの上品な笑い声だけが響いていた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

次回は1月7日、21時頃公開!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る