第10話:烙印を背負いし氷の魔女

 箱の茶葉を適当な量掴んで、熱湯の入ったポットへ投入する。

 流し台に手をつきながら、窓の方へと目をやると、セピアにくすんだ旧校舎が見えた。

 茶を淹れている時だけは、なんにも考えなくていい。

 そう、なんにもだ。

 たとえ今、大きな問題が発生していたとしても。

 焦点の合っていない目で外を眺めていると、ポットから良い匂いが漂ってくる。

 そろそろ頃合いだろう。

 ムスッとした表情のフレアが待つテーブルへと運び、カップに注ぎ入れる。

 上手い茶の前では、言葉など必要ない。

 目の前の一杯こそが、本人よりも雄弁に思いの丈を語ってくれるからだ。

 ワンツはそっと、仏頂面をしているフレアの前へとカップを置いてやる。

 ほとんど熱湯に近い淹れたての茶を、フレアは勢いよく飲み干した。

 

「熱いわよ!」


「見てたろ!? お湯沸かすの!」


 そんなの知らぬとフレアが睨みつけてくるので、コップに水を注いでやる。

 どうやらワンツの淹れた一杯は、本人よりも無口だったらしい。

 熱湯が走ったノドを冷やすように、ゆっくりとフレアは水を口にふくむ。

 しばらくすると落ち着いたのだろう。

 大きく息を吐いた。


「それで、するの?」


「するってなにが?」


「それはあんた……あの女と結婚するの?」


「やけに暗い顔してたと思ってたら、そんなこと考えてたのか?」


「だってあんた断らなかったから……」


 尻すぼみになっていく言葉と同じように、フレアも顔をうつむかせていく。

 カップを傾けると、あの時の言葉が脳内で響く。 


『だってわたくし、あなた様に結婚の申込みをしに参ったのですから』


 ワンツはホールの前で、ゲルダなる少女に突然求婚された。

 もちろん受ける気はない。

 そもそも、ストーカーに求婚されて、了承できる人間などいないだろう。

 しかし昨日の今日でイベントが起こりすぎて、頭が思考を拒否したのかもしれない。

 ワンツは、解散! と一言叫んで、こうしてアジトへ逃げ込んできたのだ。

 アジトというのは、アリスが入学祝いと称してプレゼントしてくれたあの古びた小屋のことで、フレアと決闘した旧校舎の裏庭の端っこに立っている。


「あのときは気が動転してたんだ。する気はないよ、結婚なんて」


「そ、そうよね!」


「当たり前だろ。恋愛だってする気ないのに、結婚なんてもってのほかだ」


「そう……」


「フレア?」


 明るくなったと思ったら、すぐにフレアの表情が暗くなった。

 理由を聞こうとした瞬間、木製のドアが開く音がした。


「やっぱりここにいたんだ」


「アリス、もういいのか?」


「入学式の挨拶なんて、長くても退屈なだけだからね。それでも、最後まで聞くことができなかった生徒がいたようだけれど」


 アリスがゆっくりとワンツの隣に座って、笑顔を向けてくる。


「あはは、それはそれは」


 表情は笑っていたが、目の奥が全く笑っていなかった。

 つい目をそらして話をごまかしてしまう。

 少しでも自分に非があるときは、余計なことを言わない方がいい。

 これは人生の教訓だ。


「楽しそうなお話ですわね。ぜひわたくしも寄せてくださいな」


 音もなく開かれたドアから、さっき聞いたばかりの声が聞こえてくる。

 背骨の溝を氷の針でカリカリとなぞられたような気味の悪さを感じながら、名前をこぼす。


「ゲルダ……」


「あら、わたくしの名前を覚えていてくださったのですね。嬉しいですわ」


 猫なで声をあげながら、ゲルダはフレアの隣に座る。

 あまりにも自然な様子で自分の席を確保するものだから、一瞬フレアの反応が遅れた。

 ポカンと口を開けて、隣に座るゲルダを眺める。

 しかし状況が飲め込めると、すぐに飛び退いてゲルダを睨みつける。


「ちょっと! なんで私の隣なのよ!」


「だって御覧くださいな。空いているのは、あなたの隣の席だけですよ? それとも、わたくしは端のほうで立っておけとでも、おっしゃるのでしょうか」


「ええ、そうよ。ここは私とワンツの秘密基地なんだから」


「あら、妬いてしまいますわね。ぜひわたくしもお仲間に混ぜてくださいな」


「いやよ! 初対面で求婚してくるような、変な奴と友達になるなんて」


 フレアはそう言い放つと、ワンツとアリスの間に割り込むように入り込んできて、隠れるようにしゃがみ込む。

 テーブルの下から顔だけを出して、ゲルダを睨みつけている。

 飼い猫が見知らぬ客を警戒している時のようだった。


「ちょっ、おい狭いだろ」


「しょうがないじゃない。あいつが来たんだから」


「お前なぁ……」


 ワンツもゲルダの雰囲気は少し苦手だが、さすがにフレアの態度は失礼だ。

 軽く注意してやろうと思ったが、顔をプイッとされたので、ため息が出た。


「おや、ワンツ結婚するの?」


「しねえよ!」


「しないわよ!」


 ワンツとフレアが同時に否定するものだから、アリスは、あらまぁ、と微笑ましそうに口元に手をやる。


「君は確か、ゲルダ・スノウクインさんだったよね?」


「ええ、入学試験の面接以来ですわね。学園長様」


「君はワンツのどんな所が好きなの?」


「ちょっ、おい、アリス!」


 その気はないにしても、目の前で自分の好きな所を語られるのは、あまりにも恥ずかしい。

 しかしワンツの苦情は、アリスが人差し指を口元に持っていくジェスチャーだけで止められる。

 昔からこのジェスチャーをされると、有無を言わせない雰囲気で黙らされてしまうのだ。


「そんなの決まってますわ。魔王はピッタリですもの。わたくしのような氷の魔女に」


 ゲルダはそう言って、右目にかかっていた前髪を上げる。

 あらわになったのは、白い雪の結晶が浮かぶ右目だった。


「驚いた、魔眼だね」


「その名を雪女の魔眼といいます。かつて魔王の傘下に下った、悪しき魔女の烙印とも言われておりますけど」


 妖艶に笑ってゲルダは魔眼を前髪で隠す。


「魔王を受け継いだ以上、あなた様も大きな野望をお持ちなのでしょう? 悪しき魔女の血を継ぐわたくしが、あなた様の野望のお手伝いを致しましょう」


「へえ、そうなんだってワンツ」


 そうなんだって言われても、ワンツにその気がないことは、アリスが一番よく知っていることだろう。


「いや、俺にその気はないよ。世界征服とか面倒くさいだけだし」


「あなた様は、魔王としての運命を背負って生まれてきたのに?」


「ああ。それに信じたかないよ。良くも悪くも運命なんて」


「そう……ですか」


 両手をテーブルにつきながら、ゲルダは顔をうつむかせてしまう。

 そしてそのまま微動だにしなくなってしまった。


「おい、大丈夫かーー」


 心配になって身を乗り出した瞬間、ゲルダは頭を上げて顔を近づけてくる。

 視界いっぱいに、少し幼く見えるが、新雪のようにきめ細かい肌を持つ可愛らしい顔面が広がる。

 今すぐに距離を取りたいのだが、なぜか青みがかった宝石のような眼球から目が離せない。


「分かりました。では魔王様、わたくしと決闘致しましょう」


「……は?」


 ゲルダは口元を釣り上げて、同じ言葉を繰り返す。


「魔王様、わたくしと決闘致しましょう?」


「聞こえてる。そうじゃなくて、なんで俺が君と決闘しなくちゃなんないのかって聞いてるんだ」


 至近距離でゲルダの笑顔をくらって、体が凍りそうだ。

 ゲルダの雰囲気に押されるように、勢いよく背もたれにもたれかかる。


「わたくしが勝ったら、あなた様には魔王らしく振る舞って頂きます。他の誰でもない。わたくしだけの魔王として。よろしいですね?」


「よろしい訳ないだろ。アリス、どうにかしてくれよ」


「いや、いいんじゃない。受けてあげたら、決闘」


「はぁ? なんでだよ」


 ワンツが聞くと、意味ありげにアリスは微笑む。


「ワンツもなんとなく分かってるんじゃないかな」


「何を?」


「ここで断って付きまとわれるくらいなら、決闘で勝って金輪際近づくなって言えばいい」


 そうだよね? とアリスが視線を向けると、ゲルダは素直にうなずいた。


「わたくしはそれでも結構ですわ」


「結構じゃねえよ俺は」


 昨日の今日で体が痛いからというのもある。

 しかし体が本調子であろうとも、そう毎日毎日命をかけた決闘なんてやっていられない。


「まあ学年順位的に、ワンツがスノウクインさんに、申し込む必要があるんだけどね」


「どういうことだ?」


「昨日言ったよね。この学園では実力に応じて学年順位が与えられるって。新入生は入学前の試験で判別するんだけど、君たちにはそれがない」


「試験? たしかに」


 フレアの方へ視線をやるも、フレアも知らないと首を横にふる。


「ワンツとフレアは推薦組だからね。面倒くさい試験が課される一般組と公平を期すために、最下位から始まるんだよ」


「ということは俺の今の順位は?」


「昨日、フレアと戦ったからひとつ上がって、3012位だね」


「あんなに苦労したのに3012位かよ……」


 操り人形の糸が切れたように、肩から力が抜ける。

 重たい頭をぶら下げてうなだれていると、フレアも不満げに唇をとがらせていた。

 そんなワンツとフレアの様子など意に介する様子もなく、アリスは話を続ける。


「それはいいとして、決闘は順位が高い方が低い方へ挑むことはできない。一部、例外はあるけれど」


「そらそうだろうな。ただの雑魚狩りになる」


「だから順位が低いワンツから、スノウクインさんに申し込まないと決闘が成立しない」


「ちなみに君の順位は?」


「ええと確か100ちょうどでしたわ」


「100ぴったし!?」


 ワンツが素っ頓狂な叫び声をあげると、ゲルダはにこりと笑う。

 一方、圧倒的なランクの差を見せつけられてワンツは乾いた笑いしか出ない。


「これって、とんでもないリスクマッチなのでは?」


「そうだね。でもワンツならきっと勝てるよ」


「そんな無責任な」


「だって絶対にワンツが勝てない相手なら、こんな話しないもの」


「あら。やはり学園長様ご自身が推薦なされた生徒は、特段可愛いということでしょうか」


「それはもちろんだよ。でなければ私が推薦状を書く意味がないからね。だけど私は、片方が有利になるような工作はしない。ワンツが効率よく成長できる相手を見て、言ってるだけだよ」


「随分となめられたものですわね、わたくしも」


「私は教師だからね。過大評価も過小評価もしないよ」


「ご自身の目にたいそう自信がおありのようで」


「これでも学園長だからね。誰よりも生徒たちを見てきたつもりだよ」


 アリスとゲルダ。

 テーブルの上でふたりの笑顔がぶつかり合う。

 もちろん実際には起こっていないが、激しい火花が見えるようだった。


「と、いう訳だからワンツ。決闘、してくれるよね?」


 さっきまでテーブル上空で散っていた火花が、ワンツに集中する。

 ふたりの恐ろしい女性に視線をぶつけられて、嫌ですと言える人間はいるのだろうか。

 何度ものどの奥にひっかかりながらも、ワンツは言葉を吐き出す。


「……分かった。だけど明日だ。今日はやらない。これだけは絶対だ」


 アリスがゲルダに視線をやる。


「構いませんわ。もちろんわたくしは、今からでも結構ですけれど」


「決まりだね。それじゃあ明日の朝、第3決闘場に集合ということで」


 ここに決闘は成立したと言わんばかりに、アリスは両手を突き合わせ音を鳴らした。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

次回は1月8日、21時頃公開!

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