第3話:魔王にはならない
アリスの私邸から馬車で揺られること約30分。
「ほら起きて、ワンツ。着いたよ」
「……起きてるよ」
固い座席の上で不規則に揺らされ続けたせいか、少し気分が悪い。
頭を抱えながら、外に出る。
若者の新しい門出を祝っているのか、日差しが眩しい。
反射的に瞑ってしまった目をゆっくり開けると、目の前には巨大な石門が立っていた。
目を左右にやると、石を積み上げられた城壁が立っている。
学園というには、いささか物騒な見た目な気がするが、こういうものなのだろうか。
「開門致します。少々お待ち下さい!」
アリスが手をあげると、衛兵がぺこりと挨拶をして門を開けてくれる。
金属同士が擦れ合うような音を鳴らしながら、鉄格子が上がっていく。
「どうもありがとう」
門をくぐりながら微笑と共に礼を言ったアリスに、衛兵は畏まった様子でお辞儀をした。
「ここが私の城。ソルシエール魔法学園。君がこれから3年間、魔法を学び、仲間を作り、たくさんの経験を得ていく場所。どうかな。ワクワクしてこない?」
アリスは首をかしげながら、大きく手を広げる。
小さなアリスの後ろには、等間隔で木々が置かれた並木道が広がっている。
あまりにも正確に木々が置かれているため、石畳が敷かれた眼前の道は、無限に続いているのではないかと思ってしまう。
視線を奥にやると校舎らしき建物があり、さらにその奥には白い城が見える。
どこを切り取っても画になる景色を眺めていると、アリスが名前を呼ぶ。
「ワンツ」
「なに?」
眩しいくらいの陽の光を背中に浴びながら、アリスはこちらへ手を伸ばしてくる。
太陽すらも支配しているように見えるその姿は、とても神々しく感じた。
「君はどんな魔王になりたい?」
どれくらい前だっただろうか。
ワンツはアリスに聞いたことがある。
「そもそもなんで、魔王は勇者と戦わないといけないんだ?」
アリスは特に悩む様子もなく、こう言い放った。
「魔王は災禍をもたらす悪の象徴で、勇者は平穏をもたらす善の象徴だからだよ。だから君は証明しなくちゃいけない。勇者を討って、自分の善性を」
どれほどの善人であろうと、魔王は勇者に討たれることで、悪の代名詞とされてしまう。
どれだけ正しい行いをしようとも、負けたということは、やはり魔王は正しくなかったのだと理解されるからだ。
「だから俺は勇者を殺して、真に間違っていたのは魔王ではなく、勇者の方だと証明しなければならない?」
「そうだよ」
アリスが言うことは理解できる。
魔王は勇者と殺し合わなければならない。
なぜならそういう運命だから。
だけどその理屈は、とても冷たいと思った。
未来とは、現在を生きる自分の選択によって決まるもののはずだ。
だからワンツは思った。
誰かに言われたからではなく、勇者と戦うかは自分の意志で決めたいと。
『君はどんな魔王になりたい?』
微笑みを浮かべながら、アリスはワンツの返事を待っている。
アリスには、いくら感謝してもしきれない。
自分の命や自らの地位。
これらを投げ打つ覚悟で、アリスはスキル【魔王】を持つ赤ん坊を助けてくれた。
アリスが成し遂げたいことがあるなら、ワンツはそれを全力で応援したい。
しかしワンツは、こちらへ伸ばされた手を取ることはできなかった。
アリスが信じる魔王の善性とは、勇者を倒し悪の代名詞を被せることだからだ。
「俺は魔王にならない。世界を支配する気なんて毛頭ないし、世界を救う英雄にだってなりなくはない。俺はただ、俺の手のひらからこぼれ落ちて欲しくない誰かの命を守るだけの力があれば、それだけで満足だから」
これはワンツの本心だ。
大いなる力には大いなる責任が伴う。
ならば、ひとりで背負うことができるだけの責任に相応しい程度の力で十分だ。
「格好いいこと言うね。だけど勇者は必ず君を殺しにくるよ。君が大切にしたいと思えるような仲間を、皆殺しにできるくらい強大な力をもって」
「そうならないために、俺を鍛えてくれたんだろ? 忙しいのに、仕事の合間をぬってさ」
「……そう。なら今はそういうことにしておいてあげる」
少し不満げな表情を残して、アリスは先に歩いていってしまう。
慌てて追いかけようとすると、アリスは顔だけをこちらへ向けて、不敵に笑う。
「まあ君が勇者を倒さなければいけないのは、絶対条件なんだけどね」
「絶対? まさかまた、ふたりは戦う運命だからとか言うのか?」
「ううん、そうじゃない。なぜなら3年後、君がこの学園を卒業した時だね。もしも魔王が勇者を倒し、己の善性を証明できなかった場合」
「……証明できなかった場合?」
含みのある言い方に、ゴクリとつばを飲む。
「世界に災いを呼ぶ恐れがあるとして、魔王を処刑する」
あまりにも自然とアリスの口から処刑という言葉が飛び出してきたので、ワンツは一瞬理解が遅れてしまう。
「なっ……処刑? 災いを呼ぶ恐れって、そんなぼんやりとした理由だけで?」
「表向きには、王様を殺そうとしたとか、それらしい理由が加わるだろうけどね」
「お、俺は国家の転覆とかには興味ないって――」
ワンツの上ずった言葉を遮って、アリスが言う。
「だけどそれは、君と15年間を過ごしてきた私だから知ってることでしょ? 魔王が生き残るためには、世界にケンカを売れるだけの力が必要なんだよ」
アリスの言うことはいつも正しい。
しかし素直に飲み込むには、冷たすぎる。
それを察してか、アリスは突然ワンツを抱きしめてくる。
「ちょ、なんだよ急に」
「私はワンツに生きていて欲しいよ」
耳元で囁くように言われると、何か反論を言おうとか、押し返そうとかいう気持ちがなくなる。
「アリス……」
「近いうち、勇者は必ず君の前に現れる。顔が分からなくとも、名前が分からなくとも、会えば分かる。君の中の魔王が教えてくれるからね」
顔が触れそうな距離でアリスは微笑む。
見た目だけで言えば、アリスはうら若き美少女だ。
こんな至近距離で笑顔を向けられると、親代わりだと分かっているのに、妖しげな雰囲気を感じてしまう。
銀縁眼鏡の薄いレンズを通して、青い目がこちらをジッと見つめている。
晴れの日のように透き通っているふたつの海には、無表情のワンツが映っている。
いつもより速い心臓の鼓動が、顔には出ていないことにホッとした。
しかし分厚いローブ越しとはいえ、密着しているのだから、ワンツの状態に気づいていないとも限らない。
少なくとも、アリスの柔らかい部分がワンツの胸板の辺りに押し付けられている。
心臓が送り出す激しい波は、緊張や恥ずかしいというだけの感情ではないかもしれない。
しかしそんなよこしまな感情を、アリスには知られたくない。
だからこそ、無限にも感じる時間であったが、アリスの視線から逃れることはできなかった。
どれほどの時間、アリスの目に映る自分の顔を見ていたのだろうか。
アリスは満足気に口元を緩ませると、おもむろに体を離した。
そして何事もなかったように離れ、そそくさと歩きだしてしまう。
事が済んでしまえば、この呆気なさ。
やけに乱されたワンツの心情とはなんだったのか。
そんなことを身勝手に考えていると、アリスは背中を向けながら言った。
「すっかり暗い感じになっちゃったね、ごめん。学園長として君には、ひとりの生徒として学園生活を楽しんでもらいたいとも思ってるんだ」
アリスは、踊るように軽やかに振り返る。
「ささやかながら、プレゼントを用意したんだ。受け取ってくれるかな」
「プレゼント?」
「そう。君にだけあげる特別なプレゼントだよ。喜んでくれると嬉しいな」
そう言ってアリスは、いたずらっぽく微笑んだ。
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