28 私たちにできること
「あー、気づかれちゃったのか」
「仕方ないわ。どうせダニールが別行動しようとしたら、その時にバレるでしょ」
朝、ミュシカが寝ているうちにマルーシャが事の次第をイグナートとラリサに伝えた。置いてけぼりと思って泣かれないよう、ミュシカのそばにはダニールが残りマルーシャだけで隣室に来ている。
「じゃあ連れて行くしかねえな」
「てことは私たちも、ね」
「あ、そんな。ごめんなさい、どうしよう……」
マルーシャは申し訳なさに眉を下げた。ミュシカをファロニアに帰せたなら、少なくともラリサは自分の子どもたちの元に戻れたのに。
「ミュシカのお世話、私だけじゃ頼りないかな」
「いいのいいの。なるべく早く済ませましょう」
「おう。それにマルーシャちゃんもミュシカも、考えようによっちゃあすごい戦力なんだぜ」
ルスラン夫婦の居所を探りあてたとして、どうなるかはまったくわからない。
穏便にいけばいいが、まあ荒事になるだろうとイグナートは考えていた。最初に強行手段を使ったのは向こうだ、やむを得ない。
「ファロニアとして公式にバルテリスやザラエの街に申し入れはするだろうが、妖精族の内輪の事情を公にはできないからな。誘拐事件としてどう決着させられるか……」
「あちらの兵士とかに頼らず、自力で助け出すんですか?」
「そうなるかもしれない。ならメレルスとダニールの一騎討ちより、お姫さまたちがいれば有利だろ」
それには同意しかねる、とマルーシャは思った。妖精の力に目覚めたばかりの自分と、五歳児。足手まといでしかないのでは。
「どう、ですかね……?」
ひきつりながら、マルーシャは誤魔化し笑いをした。
ファロニアからの返事は異例の早さで届いた。
妖精の秘密に関することであり、侯爵の娘が当事者であり――現地にいるのはおまじないのダニールと剣のイグナートだけ。それは心配だろう。
「バーベリさんが来るんだと」
一行五人が部屋に揃い、報せを受け取ってきたイグナートの話を聞く。知らない名にマルーシャは首をかしげた。
「バーベリさん?」
「侯爵閣下の
パーヴェル・バーベリ。実務担当でファロン侯爵が頼りにする人物らしい。ダニールは眉間を押さえた。
「折衝とか書類仕事の人だ――僕ら、まったく信用されてないぞ」
「わーかるー」
笑うイグナートをラリサがはたいた。腕に覚えがある、この夫。人間としては明るくていい男だと思うが、調子に乗りがちだ。
ダニールも自身が誘拐犯と会話で交渉できるとは思えなかった。担当者が来てくれるならその方がありがたい。
「他にもファロニア騎士団が数人。私服でひっそりザラエ入りするそうだ」
「バルテリスと事をかまえたくはないしな」
あくまでメレルス個人との問題なのだ。
「それでミュシカ。戻っておいでってお祖父さまが言ってるんだが」
「え」
一応イグナートは侯爵の望みを伝えた。だが案の定ミュシカはくちびるをとがらせる。
「やだ。わたしもおむかえにいくんだもん!」
「だよなあ」
そう言うだろうとわかってはいたが、困ったものだ。このままでは侯爵の命にそむく形になってしまう。雇われの立場としてはどうしたものか。
「……私とミュシカが勝手にザラエに向かったことにしましょ」
遠慮がちにマルーシャは提案した。ダニールが眉をひそめる。
「マルーシャ? 何を言って」
「乗り合いの馬車とかあるでしょ? 私たちはそれで抜け出すの。気づいて追いかけて、見つけたんだけど戻るのも遠いし、て感じ。それなら仕方なくない?」
イグナートもラリサも呆気にとられた。みえみえの芝居な気もするが、ミュシカならばやりかねない絶妙な線ではある。
「私たちは孫娘だもの。少し怒られたっていいわよね」
マルーシャはミュシカを見て笑った。そう言えば、この姫たちは他の三人とは立場が違う。ミュシカは決意をこめてうなずいた。
「がんばる。おじいさま、おこるとこわいけど」
「そうなの? うーん、初対面なのに怒られるのはちょっと嫌だけど、ミュシカが頑張るなら私も我慢しようっと」
「いや、マルーシャ。乗合馬車なんてそんな、危ないよ」
うろたえて反対したダニールに、ケロッとマルーシャは言い返した。
「違うの。言い訳はそういうことにしましょうね、てだけ。本当にやったりしないから安心して」
「え……そ、そうなのか?」
「そうよ」
マルーシャに当然の顔をされてダニールはまだ首をかしげている。言葉通りに信じてしまう夫のことがマルーシャはおかしくて仕方なかった。
それはマルーシャが言ったことだから、というのもある。ダニールだって他人なら少しは疑ってかかるし駆け引きも考えるのだが、新妻の言動には素直なのだった。
これからきっと尻に敷かれるんだろうな、とイグナートは友人を憐れんだ。
* * *
翌朝、マルーシャとミュシカは連れだって宿を出た。しばらくして、慌てた様子のイグナートとラリサが馬車で発つ。
……そんな一芝居を念のため打ってみた。ダニールはもちろん、ひっそり妻と姪を尾け護衛していたのだ。
「たぶん、いらない一幕だったが」
「面白かったからいいじゃない」
苦々しい顔のダニールに、マルーシャとミュシカは回収された馬車の中で大笑いした。二人にしてみれば街外れまでの朝の散歩だ。気持ちよかった。
「これは私たちのいたずらなんだものね、ミュシカ」
「ねー、お母さま」
ノリの良い二人にダニールは困ってしまった。ミュシカだけでも手を焼いていたのに、これでは。大人としてマルーシャには
その表情にマルーシャはふふ、と微笑んだ。こんな時には笑った方がいいのに真面目なひと。
行方不明の両親を探しにいくなんて幼い子がやることじゃない。ミュシカはふとした事でまた泣いてしまうだろう。だから、楽しい道行きにしたい。
でもふざけすぎたか。今度は夫に気をつかうことにして、マルーシャはねだった。
「さあ、メレルスとの対決に必要なおまじない、私にも教えてちょうだいな」
「あ――、ああ」
ダニールはずっと考えていたのだ。マルーシャとミュシカができること。
妖精としての力は強くても扱うことには不慣れな二人。対決などに巻きこまないのが一番だが、もしそうなったならどう戦い、身を守るのか。
それにはメレルスが何をしてくるかの予想が不可欠なのだが、いかんせん情報が足りなかった。わかっているのはおまじないを無効化する術に長けていることぐらいだ。
なので細かいことよりも、大きくはたらく力をふるってもらおうと思う。
「ミュシカは冬らしく、マルーシャは春らしくいこう」
頼もしく断言するダニールに、二人は興味津々だった。
そして馬車の中でくり広げられた講習会に、馭者台のイグナートとラリサは背すじをゾクゾクさせていた。
彼らは妖精の力があふれ流れる気配には慣れている。ダニールとの付き合いが長いから。だがそれでも、車内からもれる力に肝が冷えた。
「……なんか、怖いわ」
「うーん、あいつら怒らせない方がいいな」
おそらく抑えて試しているのだろうが、強い力を感じて落ち着かない。実際に小窓越しに冷気が漏れ出たのはミュシカのせいだろう。それがすぐおさまったのはどういうことだとか、訊いてみたいが聞きたくない気もする。
「マルーシャとダニールの夫婦喧嘩って、どうなるのかしらね」
「……」
また恐ろしい想像をして、二人は黙った。
そんなことが起こったら、犬も食わないどころか犬がしっぽをまいて逃げるのだろうことは、わかった。
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