12 女の買い物と男の護衛


 ラーツの町で一番にぎやかな通りをミュシカが先導するように行く。マルーシャは大人しくそれに従っていた。

 女同士でお買い物。そう聞いて当たり前に自分も行くものだと思うミュシカは、マルーシャよりも女子力が高いのではないか。


「お母さま、かわいくしようね!」

「う、うん……」


 服を買うと言われて面倒だと思ってしまったマルーシャは、少し反省した。

 オバサンくさいのは主婦業をしているのだから仕方ないと主張してきたけれど、それは言い訳だったのかもしれない。たぶん努力もおこたってきた。

 マルーシャを愛らしいと言ってくれる夫ができた今、その人のためにもきちんと女性らしさを磨くべきかも。でもどうすればいいのかまったくわからない。


「任せなさいよ。かわいらしい系がダニールの好みみたいだから、ふんわりするか、それとも清楚にまとめるか」

「好み……」

「だってマルーシャにひと目惚れするくらいだもの。色気たっぷりとかは苦手なのね、きっと」


 快活な足どりで大通りをいくラリサは、ぴょんぴょんするミュシカをつかまえながら振り向いた。


「マルーシャらしければ、それでいいんでしょうけど」

「私らしいってラリサさんから見てどんな感じですか?」

「あ、お願い。ラリサって呼んで。やあよそんな丁寧語。マルーシャはダニールの奥さんだもの、もう私の友だちだわ」

「友だち」

「それが無理ならお姉さんでもいいけど」


 ふふ、と笑ってラリサは腰に手をあてる。


「私、弟妹四人いるし、子どもも三人いるのよ。マルーシャぐらいドンと来いだわ」

「え。子ども、今どうしてるんですか」


 普通に尋ねたマルーシャは、め、という顔をされて言い直した。


「子ども、どうしてるの?」

「イグナートの両親がみてくれてる。学校もあるし、連れて来るわけにはね」


 それにもしかしたらミュシカが狙われたりするかもしれないのだ。子連れでは護衛も何もできない。するとミュシカが心配そうにした。


「ラリサいなくて、みんなさびしい?」

「だいじょうぶよ、うちの子たちは一人じゃないから。ミュシカを寂しくさせてる方が、あの子たちに怒られちゃう」


 ぎゅ、としてもらってミュシカはエヘヘと笑った。

 ちょっとしたことに敏感に反応するのは事情を知ってみれば当たり前だと思う。リージヤの元に帰せるまで、マルーシャは「お母さま」として頑張るつもりだ。





 その女性三人組から少し離れ、目立たないようにダニールとイグナートはついて歩いていた。だって、ミュシカの護衛は任務だ。


「おまえ、マルーシャちゃんのこと見ていたいだけだろ」

「……マルーシャだって、たぶんだぞ?」

「そりゃそっちも守らなきゃだけどさ……」


 も大事な姫たち。しかも姪と妻だ。ダニールの責任は重大なのだが、今はとりあえずマルーシャの一挙手一投足を脳裏にきざんでいる。かわいい。


「熱心に見守ってるけど、おまえ今晩どうするんだよ」


 ボソリと言われてダニールは石畳につまずきかけた。イグナートは追い打ちをかける。


「夜も見守ってるだけか?」

「――うるさい」


 ブスッと言い捨てて、ダニールは黙った。隣でイグナートがケタケタ笑うのが腹立たしい。

 見守るにしろ、何かしらどうにかするにしろ、相手のあることだ。ダニール一人がこうと決めるわけにはいかないじゃないか。


 馭者台に並んで「ミュシカをずっと育てたい」と言ってくれた時、うっかり言いそうになった。「僕らの子を育てよう」と。

 だがその前にすることを考えると、それは口にしていいものか。ためらった末に手を握ってみたら握り返してくれてホッとした。そんな段階の二人に何をどうしろと。

 笑われても、じっと我慢するしかない。





 フワリと裾の広がるワンピースを一枚手に入れて、ラリサはまだ不満顔だった。仕立屋を出てブラリと歩き出す。


「やっぱりじゃ限界があるわね」


 ちゃんとした服は自分に合わせて注文するのが普通なのだった。仕上げて店に置いてあるのは見本品のようなものでしかない。


「もう少し先に大きな街があるから、そっちで何とかしましょう」

「ねえラリサ、これでも十分だから」


 マルーシャは苦笑いする。さっきは店の物を片っ端から体に当てられて疲れた。一枚選べたのだからもういいんじゃないかと思ってしまう。落ち着いた茶色が秋らしくて気に入ったのだが、ラリサからすると地味なのだそうだ。


「もう少しキチンとしたのが必要よ。あと今日買わなきゃいけないのはね、寝間着」


 ビシ、と言われて首をかしげる。


「持ってるわよ?」

「頭からかぶるやつでしょ? だーめ、脱がせにくいから」

「ぬ……!?」


 マルーシャは絶句した。脱がせるというのは誰がなんのために、と考えて真っ赤になる。それをチラリとしたラリサは容赦なかった。


「胸元の紐をゆるめれば肩から落ちる形のじゃないと。あの朴念仁が、めくりあげてエイ、てできる気がしないわ」

「ちょ、やめてラリサ」


 マルーシャは両手で顔を押さえ立ちどまってしまった。無垢な顔でミュシカが見上げてきて、いたたまれない。理解できないとは思うけど子どもの前でなんてことを。


「だってお試しとはいえ、夫婦よ? 誓ったじゃない。そういうことも考えなさいな」

「でもお試しよ……私、やめる気はないけど。ダニールはわからないもの」


 あらダニールと同じことを言ってるわ、とラリサは吹き出しそうになった。これなら大丈夫だろう。


「じゃあなおさら、ちゃんと夫婦になることを考えて用意しておきましょう!」


 ラリサに腕をつかまれ、マルーシャは連行されていった。





「おい、あいつら肌着屋に入ったぞ」

「……ああ」

「すかしてんじゃねえ。何買うんだろうな?」


 ワクワク楽しそうなイグナートの脇で、ダニールは困っていた。

 何を買うか、など考えてはいけない。マルーシャが身につけることを思えば失礼じゃないか。いやもちろん、考えそうにはなるのだが。


「ラリサの奴がいい仕事することを願うわ」


 いい仕事とは、どんな仕事だ。もうやめてくれ。

 世話焼きな友人夫婦に対して、次第に殺意が湧いてきていた。





 マルーシャはよろよろと店から退散した。あんな……あんな……!


「とても人さまに見せるものでは……」

「何言ってるの。見せる用の下着よ」


 説教するようにラリサは言う。

 ダニールは色っぽいのが苦手なのではないか、と推測したわりにレースを多用したデザインを買われてしまったのだ。ここぞという時のそういうのに、グッとくるんでしょと力説される。

 寝間着の下にはこれね、と念押しされたが、


「私、かぼちゃパンツでいい!」

「そういうこと往来で言わないの」


 秒で怒られた。


「わたし、ヒラヒラもすき。さっきのかわいかった!」

「あらあ、ミュシカは将来有望ね」


 どうやら五歳児に女性として負けている。でもダニールの目にふれると思うと、もう無理だ。マルーシャは目まいがしてきていた。


「おやどで、きてみせてね」

「ミュシカ……」


 何、そのはずかしめ。

 ニコニコ言われてマルーシャは逃げるように早足になった。

 もう買い物はいいだろう。宿に戻って休みたい。そろそろ日が傾く町並みはまだにぎやかだけれど、疲労困憊だ。


 横道の向こうには市場が見えた。そっちの方がマルーシャのなじんだ場所。ああ、父はちゃんとご飯を用意できるだろうか。

 そんなことを考えていると、脇を子どもたちが走り抜けた。家まで競争している兄弟かな、と思った。


「おにいちゃん、まって!」


 小さな子の声がして、一人遅れて追っていく。そして――すぐそこでベチンと転んで泣き出した。


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