34 取り戻したひと
「ミュシカ――」
マルーシャを離さないダニールの脇をすり抜けて、リージヤとルスランは前に出た。
「お母さま、お父さま!」
ミュシカが小さな体いっぱいに喜びをあふれさせ、両親にすがりつく。引き離されて一ヶ月以上たっていた。
「ミュシカ、立派だったぞ」
冬を見事に制御したミュシカを、誇らしげにルスランがたたえた。
「みてた? わたしすごい?」
「ちゃんと見てたわ。とても綺麗で力強いおまじないだった」
言いながらリージヤの目に涙があふれる。心配で胸がつぶれそうだった甘えんぼの娘が、こんなに成長したなんて。
「お母さま」
母に泣きながら抱かれて、つられたようにミュシカもポロポロと泣き出した。でもこれは、嬉しい涙だ。
「……めでたしめでたし、と言いたいところだけど」
再会した家族、抱き合う新婚夫婦を少し離れて眺め、イグナートはムッツリと立ちつくした。
「これ、どう始末つけるんだよ?」
「真夜中とはいえ、好き勝手にやったものよね……」
ラリサも辺りを見回してあきれた顔だ。
キレたダニールの雑なことといったらなかったのだ。ろくに聞き取れない早口のおまじないを力任せにぶつける。
術で補強されていたらしい玄関の扉が大きく震えた。
それに舌打ちしたら脇の石積の壁にひびが入った。
なにやらブツブツ言った後に扉のおまじないが弾け飛んだかと思うと、次の瞬間に木っ端微塵だ。
あんなに美しくないおまじない、見たことがない。
「まあ、今日のうちにバーベリさんが来てくれる……かもしれねえし」
「今日? ああ……日付、かわってるのね」
もう何もする気がなくなって、イグナートは肩をすくめた。あくびが出る。
今、何時だと思ってるんだ。俺はもう寝たい。
* * *
〈
あの時、冬告げの姫ミュシカの力で場は冬に傾いた。
ダニールの陰にいたミュシカが不意に唱えるおまじないを、メレルスは捉えられない。
そこにダニールが重ねるのは、強められた冬にふさわしいものだ。
〈
もちろんメレルスはそれを打ち消そうとする。
〈
だがその前に、ダニールとほぼ重なるようにミュシカが唱えていたのだ。ダニールのおまじないに向けて。
〈
眠った〈
ダニールを阻止したのだとメレルスが誤解したところで、マルーシャだ。
〈
時間差で効いたおまじないは、油断していたメレルスの――のどを凍らせた。
「ちょっとひどい……」
「術を封じるにはそこしかないだろう。すぐに解いて殺さず済ませたじゃないか。マルーシャを連れ去ったりするからだ」
何があったのか、流れを説明しながら言い合うマルーシャとダニールの前で冷たい顔なのはパーヴェル・バーベリ。ファロン侯爵を実務で支える壮年の男だ。
到着が一日早ければ、とパーヴェルは内心悔し涙にくれている。馬車を駆り、可及的すみやかにザラエまでたどり着いたはずなのに、
「すんません、夜中に終わらせました」
イグナートに言われて殴りたくなった。
だが限界を超えて眠りそうになりながら犯人を確保していた当事者たち。怒鳴るわけにもいかず、そこからは駆けつけた騎士団員と共に引き継いだのだった。その後ふらつきながら宿にたどり着いた彼らは、泥々に眠りこけたらしい。
ザラエの街とどう交渉して丸め込むか。商工会上部の弱みは何があったか。そう考えながら来たのに。
着いたら力わざで解決されてしまっていて、商工会では会議にメレルスが来ないと噂になっていた。揉み消しに手間取るはめになり、非常に不満だ。
だが、それより何より。
「ジートキフ……本当に、おまえ」
「……なんですか?」
「うん……」
春告げ姫候補を探しにファロニアを発った時には真面目で偏屈でぼんやりした男だった。それが女のために激怒して破壊行動をすると誰が思う。
急に姪を預かることになり疲弊しているようだったので、気分転換も兼ねてベルドニッツ行きを命じてみたのだった。まさかその相手に惚れるとは。パーヴェルは自身の人を見る目を信用できなくなった。
隣のマルーシャをチラ、とする。若さなりの愛嬌があるが、地味な女性だとパーヴェルは思った。母親であるアレーシャは華やかな姫君だったと記憶しているので、肩すかしを食らった気分だ。
そんな風に思われているなど知らないマルーシャは恥ずかしげに笑った。
「ダニールを責めないで下さい。やりすぎたかもしれないけど、私が心配かけたせいなので」
「確かに、やりすぎだな」
しかめ面になるパーヴェルに、ムッとしたダニールが言い返そうとする。その腕にそっとふれてなだめるマルーシャの瞳はダニールへの信頼と愛情にあふれていた。オジサンなパーヴェルには、まぶしい。
――仕方がないか。
パーヴェルは淡々と申し渡した。
「後始末はなんとかする。さっさとファロニアへ戻れ」
そう聞いてフワッと嬉しそうに笑うマルーシャは意外なほどかわいらしかった。パーヴェルは、ほう、と目を見張る。そして納得した。造作というよりは、生き生きとした表情や心ばえが魅力的な女性なのだろう。
こんな孫娘が増えて侯爵閣下がお喜びになるな、とパーヴェルは微笑んでしまった。
* * *
「マルーシャお母さま、ダニールお父さま、かえっちゃうの?」
パーヴェルの指示に従って翌日には宿を引き払う、と伝えたらミュシカがしょんぼりした。ミュシカは滞在を延長するそうだ。事件の被害者であるルスラン夫婦はザラエ側の捜査にもう少し協力が必要らしい。
本当の両親の元に戻ったミュシカはその愛情をたっぷり浴びて幸せなのだが、すっかりなじんだマルーシャとも離れたくないのだった。マルーシャはうふふ、と笑った。
「ファロニアで先に怒られておくからね」
「やん、マルーシャお母さまかわいそう。いっしょにがんばるから、まっててよう」
「でも私、元々お祖父さんに会うために旅に出たんだもの。ファロニアに着いたらすぐに会いたいな」
侯爵は、戻れという言いつけにそむいた孫娘たちを頭ごなしに叱るかどうか。そんなことないだろう、とリージヤは微笑んだ。
リージヤ自身は末娘だからか甘い顔をされた記憶が多い。アレーシャに出奔されてかなりこたえたらしいし、その忘れ形見となれば本当はずっと会いたくて仕方なかったはずだ。意地っ張りの祖父に思いきり甘えて孝行してほしかった。
「マルーシャより、お兄さんの方が大変かもしれないわよ」
「僕?」
「あー、勝手に孫娘を奪い取ったのは、誘拐犯じゃなくて兄さんだよな」
気がついたら十歳も下の義姉ができていたルスランは、兄の変化に驚き、そして笑いがとまらない。表情が豊かで視線がやわらかくなったと思う。
そう言われてマルーシャは首をかしげた。出会った時から落ち着いた大人だったけど、無表情ではなかったと思う。ダニールはムスッと言う。
「ミュシカに振り回されてたからだろう」
「わたし、いいこにしてたもん!」
ミュシカなりにいい子だったのだろうけど、あまり子どもに接してこなかったダニールにとっては目の回るような日々だったのだ。
だがそんな仮の娘と、突然の恋、そして手に入れた妻。
家族に揉まれて過ごした時間はダニールを変えたらしい。そしてこれからも変わっていくのだろう。
マルーシャと二人で。
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