16 ふたりで咲かせるおまじない


 おまじないを教えてとは言ったけど、どうしてまた花を咲かせることになってしまうのか。

 前科のせいで自信がないマルーシャは小さくため息をついた。


「マルーシャ?」


 すぐ聞きつけてダニールが心配した。実は今、ダニールがぴったり後ろに立っている。


「大丈夫。何かあれば僕が抑えるし守る」

「う、うん……」


 また野原がボンッといくようなことはないと思うが、もしものためにダニールの左手はマルーシャの体をゆるく抱くようにかまえていた。そんな体勢で照れもしないのは研究のためだから。その点ブレない男なのだ。でもマルーシャの方は気が散って仕方ない。


「おまじないは覚えてるね?」

「うん」


 ツェラム ジニ ツェトゥ ラスタ命よ進め 花開け

 マルーシャは心の中でつぶやいた。


「今回はマルーシャだけだから、力がぶつかったりしない。静かに種を包んで育てればいい」

「ん」


 耳にかかるその吐息で、どんどん集中力がなくなっていく。マルーシャはそっと振り向いてみて、間近な黒い瞳にくらくらした。いけない。体が火照り、汗ばむ。


「落ち着いて」

「はい」


 ダニールにも伝わったらしい。でもそれを緊張からだと解釈して微笑まれ、はしたなくて恥ずかしくて――一瞬で冷めた。


「――いきます」


 無意識に丁寧語に戻っている。



 意識を土に向けた。

 いのちの在りかを探す。種ではなく、眠る根がそこに。

 すくい上げ、言いきかせる。


ツェラム ジニ ツェトゥ ラスタ命よ進め 花開け


 スウと力が土中にしみこんだ。

 マルーシャの心は波立たない。つかまえたに向けてはたらく。


 ぽこぽこ。しゅるしゅる。


 伸びた新芽が、葉をしげらせ花開く。

 丸い花弁をつらねたそれは、白と黄のリュウキンカ。背の低い、小さな花がいくつも咲いた。



「――でき、た」


 小さくマルーシャはつぶやいた。自分で見ていても信じられない。不思議な光景。

 少し後ろで見守っていたミュシカが歓声をあげた。イグナートもラリサも息をのみ、拍手する。そして頭の上からは興奮に震えるささやきが降ってきた。


「やった――」

「ダニール……」

「僕は何も手を貸さなかったよ。マルーシャの力だ」


 それはなんとなくわかった。ダニールはただ後ろにいて、安心させてくれただけ。

 咲いた花を見つめて立ちつくすマルーシャを、感きわまったダニールがギュッと抱きしめた。驚いたマルーシャが身じろぎするが、ダニールは放してくれない。ちょ、やめて。苦しい。


「すごいな、マルーシャ。本当にすごい」

「ん……わかった、放して」

「うん――」


 そう言ったくせになかなか腕をゆるめない。ぎゅむむ。

 見かねたイグナートがツカツカときて、頭をはたいた。


「ッ!」

「いいかげんにしろ、マルーシャちゃんが死ぬぞ」

「え」


 腕の中のマルーシャは息もたえだえだった。男性の普通の力も女性にとっては苦しい。そんなこともダニールはわかっていなかった。




 * * *




 タタ村の教会には村人が集まりはじめていた。

 働き盛りの男の死。それを悼むために仕事の手をとめ、皆が沈痛な面もちで足を運ぶ。合わせるように空も暗く、雲が厚くなってきていた。


 死者の義理の弟にあたる少年は、悲しみにくれる姉を思う。

 義兄は貧しい中で親兄弟を助けてくれていた。何も返せないうちに何故いなくなってしまうんだ。

 せめて花を手向けようと思った。なのに枯れ草の原にはそんなもの咲いていない。馬鹿な自分に嫌気が差した。だけど今泣きたいのは姉だ。自分は涙などみせてはいけない。

 少年の頬はかたくなだった。


「おにいちゃん」


 人々の後ろから教会に向かう少年を、幼い声が呼びとめた。先ほど村外れで見かけた女の子――手に、束ねたリュウキンカの花を握っている。


「これ、さよならのおはな」

「おまえ……こんなの、どこに」


 目を見開く少年に、ミュシカは季節外れの花を差し出した。


「お母さまと、さがしたの」


 小さな手から花束を受け取り、少年は一瞬くちびるを震わせる。だが、涙はかろうじておさえた。


「……あり、がとう」


 やっとのことで礼を口にすると、にっこりして女の子は駆け出していく。その先にさっきの両親が待っていて、飛びつく娘を受けとめていた。

 少年は花を握り、姉のところに駆け出した。


 ひつぎの脇で涙をこらえている姉に、早くこの花を。

 義兄の胸に花を抱かせれば、姉も泣けるかもしれない。泣くぐらい、させてやりたい。


 教会の入り口でふと立ちどまり、少年は振り返った。もう、花をくれた家族はいない。

 ――なんだったんだろう、あの人たちは。

 どこにも咲いていなかった花を届けてくれた、まぼろしのような女の子。本当にいたのかな、嘘みたいだ。

 でも、いい。なんだって。

 この花で、姉が少しでも救われるなら。


 少年はこんどは落ち着きを取り戻し、しっかりした足どりで教会へと入っていった。


 村の空に、弔いの鐘が響いた。




 * * *




「マルーシャ――本当に、君はすごいよ」


 村を離れる馬車の中で、ダニールは興奮さめやらぬ口調でなんどもつぶやいた。マルーシャの片手を握りしめて離そうとしない。

 言われているマルーシャはもう恥ずかしさで死にそうだった。

 さっきは抱きしめられて死ぬかと思ったのに、今日はよくよく死にかける。こんな日は人生初だわ、と空いている手で顔をおおった。


「……マルーシャ?」

「ダニールお願い、あなたが落ち着いて」


 うわ言かと思うほどに隣でくり返されて、おまじないを使った本人が感慨にひたれない。むしろ冷静になってきたマルーシャに、ミュシカがニコニコした。


「お父さま、うれしいんだもんね」


 向かいに一人でちょこんと座り、かりそめの両親を見つめる。


「むずかしいおまじない、できるひとすくないの。お母さまができたら、うれしいよ」


 そうだった。イグナートに「とんでもない」と言わせたおまじない、それをマルーシャはやりとげた。


「でも、ダニールのおかげよ」


 教えてくれたのも、そばにいて安心させてくれたのもダニールだった。

 おかげであの少年の願いをひとつ、かなえられた。ほんの少しでも彼が幸せになっていたらいいな、とマルーシャは過ぎてきた村を思う。

 ダニールはやっといつもの穏やかさを取り戻しながら、深くため息をついた。


「僕は、おまじないができるだけだ。僕だけじゃ彼が花を探していたことに気づかない。だからあれは、マルーシャのおかげだよ」


 おまじないは使えても、使いみちがわからない。そんなポンコツのダニールはそっと隣に尋ねた。


「僕も人の役に立てるかな。マルーシャとなら」


 それはつまり、一緒にいてほしいということ。


 愛らしいとか春告げの姫だとか、そんな言葉もときめく。でも必要だと言われるのは嬉しいものだ。誇らかに生きていくために。

 マルーシャはダニールを見つめると、握られた手に力をこめた。





「ねえ、お父さまお母さま、ねちゃった」

「はあ?」


 馭者台への小窓を開けて、ミュシカが報告した。ラリサがのぞくと、座席に座ったまま寄りかかり合い、寝息を立てる二人がいる。


「ああそうか、ダニールあまり寝てなかったわね」

「マルーシャちゃんもお疲れさまだしな。にしても、人を働かせて何してんだよ」


 イグナートは愚痴るが、二人がそれだけ気を許し合えたのは朗報だ。

 今度またからかって遊ぼう、と決意する。それでチャラにしてやるのだから優しいじゃないか。


 馬車はまだ、次の町までしばらく走る。

 幸せそうに眠る二人を乗せて。


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