27 つながる指輪
ダニールから贈られた指輪に付けたのは、ごく小さな水晶だった。透きとおる輝き。
ミュシカの紅い石とは違うけれどいいのだろうか。不思議に思いつつ指にはめてみたが、マルーシャはこれも気に入った。ダニールが選んだのならなんだって嬉しい。
「お守りに仕上げるから貸してごらん」
夜の宿。またミュシカが眠ってしまってから二人になって、ダニールは言った。
仕上げる、とは。
言われるままマルーシャは指輪を外し、差し出された手のひらに預ける。それを小机に置くとダニールは椅子に腰をおろした。
かたわらに立つマルーシャを見上げ、小さく笑う。
「――あとで僕に、痛いの飛んでけをやってくれ。加減なしで」
「え。なあに、怪我したの?」
「いや。これからする」
は?
何を言っているのかわからないマルーシャの前で、ダニールは小刀を取り出した。その先を自分の指先に当てる。
「や、ちょっと何を」
「シッ」
うろたえるマルーシャを制止し、ダニールは続けた。プツ。
傷ついた指先に血が盛り上がった。それを水晶の上に持っていき、垂らす。
「――――」
ダニールはほとんど口の中だけで何かをつぶやいた。聞き取れない。
だがそこに、力が渦巻く。
そしてその力と共に、透明な石はダニールの血を吸っていき――綺麗な紅い石ができあがった。
マルーシャは声も出ない。だがふうっと息を吐いたダニールが指先を差し出した。
「頼む」
「あ、うん……
ふわ、とマルーシャの力がダニールの手を包む。それを嬉しそうに確かめたダニールは、さらに自分でおまじないを重ねた。
「
知らないおまじない。どうなるのかと見守るマルーシャの前で、小さな傷はふさがった。残った血を拭きとると、跡もない。ダニールは満足そうだ。
「うん、マルーシャのおまじないは気持ちいいな」
「……そういうことじゃないでしょう」
マルーシャの声が低くなった。本当に説明の足りない人だ。
何をどうしようとしているのか、流れを教えてくれてからやればいいのに。さすがに怒ろうかと考えた。なのにダニールは笑顔だ。
「最後の癒しのおまじない、傷は治るけど痛いんだ」
「え?」
怒る前に気になることを言われてしまった。
「治すのに、痛いの?」
「今ぐらいの傷ならチクッとする程度だけどね。まあ皮膚や何かが増えたりつながったりするんだし痛くて当たり前か」
「いやあぁ」
マルーシャの背中がゾゾゾとした。ミュシカがそこで寝ているので大声は我慢する。口をへの字にして腕を抱くマルーシャを見てダニールは不審な顔だった。
「痛みどめをしてもらったから大丈夫だよ。ありがとう、よく効いた」
「そうじゃないのよぅ……」
どう言えばわかってもらえるんだろう。ううん、たぶん無理。初めてわかりあえない部分を見つけたかもしれない。傷がどうふさがるかなんて、マルーシャには少し気持ち悪かった。
でもダニールは妻の反応に首をひねった。何か不都合があっただろうか。今の傷なら本当は痛いの飛んでけもいらないぐらい。ぶっちゃけマルーシャのおまじないを体験したかっただけだ。
「……それで、この石だが」
なんだかギクシャクしてしまったので話を最初に戻した。指輪を示されて、マルーシャも気を取り直す。
「……ミュシカのと同じになったわ」
「血で、僕とつながっている」
「う、うん……」
話は違うのに、またザワザワする。
血?
綺麗な石だけど、血。なんだか微妙な。
「だから絶対に見失わない。万一のためのものだけど、僕が安心するために持っていてくれると嬉しい」
「それはもちろん、身につけるけど」
そのために邪魔にならない小さな石を選んだのだ。
もちろん、と言われてダニールはそっとマルーシャの左薬指に指輪をはめる。微笑みかけられたマルーシャは、流されて笑顔になりそうになった。
いえ、駄目だわ。言っておかないと。マルーシャはなるべく真面目な顔をする。
「あのね、ダニール」
「なんだい」
「私たち、これから一緒に生きていくわけだけど」
「――そうだな」
嬉しげに、照れくさそうにされる。つられそうになるのをマルーシャはグッと我慢した。
「そうするにあたって、大切なお願いがあります」
「え――なんだろうか」
がっつり丁寧語に戻ったマルーシャに、ダニールは不安そうだった。
「あなたは本当に言葉が足りません。今みたいなことならば、手順と理由を説明してからにしてくれれば私も落ち着いて見ていられるでしょ?」
「ああ――うん」
ダニールは一瞬ぽかんとした。何を言われるのかと身がまえていたら、わりと穏やかな内容だ。
だが考えてみればそのとおり、もしかしてマルーシャが驚いてくれるのが嬉しくて調子に乗っていたのだろうか。ダニールはとても恥ずかしくなった。
「確かに……マルーシャがなんでも受けとめてくれるものだから、僕は甘えていたのかもしれない。すまなかった」
「あ、そんな。謝ってもらわなくても」
「それに一人で実験することが多かったんで手順の共有が必要なかったのもある。悪いくせだな。これからは気をつけよう」
――実験。実験か。マルーシャは困ってしまった。
言ったことに真っ直ぐ向き合ってくれるのはいいのだが、生活についてなのだと伝わっているのかどうか。研究の改善案を協議しているわけじゃないのに。
「マルーシャ?」
冴えない顔のマルーシャに、ダニールの眉が下がった。でもマルーシャは難しい表情をくずさない。
「ちょっと……いろいろ不安になってきたわ」
「えええ、マルーシャ」
この夫には、どうやら教育が必要なようだ。でも教える自信がない。もうとうに出来上がった大人だし。
この指輪みたいに、はめるだけでつながったりできれば楽なんだけど、とマルーシャはため息をついた。
* * *
次の朝、ミュシカが寝坊した。といっても旅立つ予定はなく、ファロニアからの連絡待ちでヴェデレに滞在するつもりだったので問題はない。
問題なのは、両親の手がかりをつかんだと知ってしまったことだ。
ミュシカが夜中に目を覚ましたのは、隣にマルーシャがいなかったからだった。
心の奥に押しこめていたリージヤのことを思い出し、母恋しさがつのっていたミュシカ。マルーシャにすがりついて眠ったのだが、マルーシャはマルーシャで用事がある。そっと寝台を出て指輪の仕上げをし、そしてこの先の行動についてダニールと話していたのだった。
「僕はザラエに向かってルスランたちを助ける。君はミュシカを連れて先にファロニアへ行ってほしい」
「それは……そうするべきだと思うけど。私たちも一緒に行くのはだめ? リージヤさんを取り戻したら、すぐミュシカに会わせてあげたい」
「気持ちはわかるが、危ないよ」
「――お母しゃま、いたの?」
布団からムクリと起き上がったミュシカにムニャムニャ言われ、マルーシャとダニールは息をのんだ。しまった。
「ミュシカ、私ならここにいるわ」
「ちがう。お母さまなの」
ごまかそうとしたマルーシャに、目が覚めたミュシカはイヤイヤをした。
「マルーシャお母さまじゃない。お母さまよぅ」
はっきり区別して否定され、マルーシャは心がチクリと痛むのを感じた。
急ごしらえの母親なんて本物の代わりにはなれない。わかっているけれど。
「お母さま、お父さま、おむかえいく」
またポロポロと泣き出してしまったミュシカをどうにもできずに、仮の両親は困ってしまった。
そうして深夜に泣き疲れたミュシカは、がっつり寝過ごしたのだった。
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