26 本当のお母さま
隣室では買い物帰りのマルーシャがミュシカの着せ替え人形になっていた。
今日はかぼちゃパンツじゃないことを忘れていたマルーシャ。ヒラヒラを発見したミュシカにはしゃがれて、とても恥ずかしい思いをした。さらにラリサも追い打ちをかける。
「……おめでとう、と言ってもいいのよね?」
「? ――ちが、違うのよラリサ!」
マルーシャは真っ赤になって否定した。期待されるようなことじゃないのだ。
「これは試しにはいてみただけ。そういうんじゃないの」
「だってマルーシャ、ダニールの頬にキスしたんでしょ」
「あ、う……」
ミュシカの前でしたのはまずかった。あっという間に話が伝わっている。
でもでもだって。あの時は、したくなったんだもの。
「……あのね。私たちの結婚、お試しじゃなく、ずっとそうしましょうって話し合ったのよ」
マルーシャはモジモジと言った。へえ、とラリサは少し二人を見直す。
建設的な進展だ。うっかり既成事実を作るよりも着実で、マルーシャとダニールらしいと思う。
「それは、おめでとうでいいんじゃない?」
「……そう?」
「じゃあ、このままお母さまでいてくれるの?」
マルーシャの言葉の意味をよく考えて、ミュシカが遠慮がちに訊いた。
お試しの結婚ということは、やっぱりやめたとなるのかもしれない。そうするとマルーシャがお母さまじゃなくなることもあるのかな、と少しだけ心配していたのだった。
珍しくおずおずとした態度のミュシカ。少女を不安にさせていたことに気づいたマルーシャは申し訳なくなった。
「私、ミュシカもダニールも大好きよ。ずっと一緒にいたい」
優しく言いきかせると、ミュシカはパアッと顔を輝かせた。ぎゅ、とマルーシャに抱きつく。
「わたしも、お母さまだいすき!」
「嬉しいな。でもねミュシカ、私がお母さまなのは、あとちょっとだけかもしれないわ」
え、と胸の前で見上げるミュシカの頭を微笑んでなでた。だいじょうぶよ、と仕草で励ます。
「ミュシカのお母さまはリージヤさんでしょ。本当のお母さまを取り戻そうね」
目をまるくしたミュシカの中に、マルーシャの言った意味が落ちていく。
言葉が心に届いて、ミュシカの瞳にみるみる涙があふれてきた。
「ふえ、ふええーん」
「あああ、ミュシカ」
ラリサは慌ててミュシカを引きはがした。新品の服に涙や鼻水をつけられてはたまらない。
「ごめんミュシカ、思い出させて」
マルーシャもおろおろとハンカチを引っぱり出した。涙をふいて、鼻をかませる。でもなかなかとまらない。
ミュシカが我慢しているのはわかっていた。だから伝えておきたかったのだ。
必ずリージヤを取り戻す。ルスランも。そして本当の両親に抱かれるミュシカの姿が見たい。
それにリージヤはマルーシャにとっては叔母。ルスランだって義理の弟だ。マルーシャだって早く会いたい。
どうやら手がかりにたどりついたらしい誘拐事件。解決はいつになるのだろう。
* * *
ザラエの商人ロジオン・メレルスは郊外の地主でもあった。そこで荘園を経営するために、農地の中に田舎風の館をかまえている。元はこちらが本拠地なのだ。
低い石塀に囲まれた頑丈な石造りの建物。先祖は地道な農業で財を成し、それを元手に商売を始めたらしい。
それを可能にしたのはメレルス一族が妖精の力を持っていたからだった。土地の恵みを引き出し、他が不作の年も食糧を生産してきた。目立たない程度に、だが。
「――そうして、ただ生きていけばよいものを。季節をあやつろうなど大それたこと」
館の二階、荘園主のための部屋を与えられているリージヤ・ファローナ・ジートキフは冷ややかにつぶやいた。
彼女がここに強制的に招かれて、もう一ヶ月ほどになる。窓の外の田園は滞在中に晩夏から秋へと表情を変えてきていた。
「僕しかいないのに、その冬告げ姫ごっこはやめようよ」
のどの奥で笑いながら夫のルスランがリージヤに寄りそって立った。ポスンとその肩に頭を預け、リージヤはいたずらな瞳になる。
「だって、お稽古は欠かしちゃいけないでしょう」
「熱心だねえ」
「――ミュシカは、元気かしらね」
娘を守るためならば、演技だってする。
『ご同行願おう、冬告げの姫』
拉致された時に犯人のその言葉を聞いて以来、二人はそれっぽく振る舞ってきたのだった。
リージヤは薄氷のように冴えざえとした笑みを浮かべ。
ルスランはその妻にかしずくようにし。
本来のリージヤはふうわりしたお茶目な女性なのだが、そこは押し隠してなるべく突き放した物言いで通している。
「僕らを害することも解放することもないんだから、ミュシカのことはバレてないよなあ。でもあの子の面倒は誰がみてくれてるんだろう」
「侯爵家で保護してるでしょうけど。
覚悟の上で囚われたのだが、さすがにこんなに長期に渡るとは予想していなかった。兄のダニールがすぐに追跡し居場所を突きとめるはず。そうすればファロン侯爵が対応するだろうと思ったのに、なかなか助けは来ない。
バルテリス側との何らかの折衝がうまくいかないのだろうか、とルスランは考えていた。王国内に侯爵の手の者を入れることを拒まれている可能性もなくはない。
ルスランはまさか犯人がダニールのおまじないを邪魔するほどの相手なのだとは知らない。良い使い手だとは思っているが。
メレルス家当主だという犯人は常にここにいるわけではない。忠実な家令だか何かと女中が世話してくれている。
ここの使用人たちは皆、人族のようだった。なので客人に逃げられないよう、さまざまな仕掛けがしてある。
冬告げの姫というメレルスの思いこみに反してルスランもリージヤもごく普通の妖精だった。簡単なおまじないなら日常的に唱えるが、効果もさほど強くはない。そんな二人ではまったく歯が立たない、おまじない阻害術がこの邸にはかけられている。
「むしろ物理的になら出て行ける気がしなくもないな――」
ルスランは最初、考えた。そうしなかったのはメレルスを放置して逃げ帰るよりは叩きつぶしておきたかったからだ。
ファロニアとしても理由なく異国の商人をどうこうできない。二人がここにいるのが最も有力な証拠になるだろう。なので、待つ。
しかし意外と遅くて退屈だ。ルスランはぼやいた。
「兄さん、何してるんだろう」
「ミュシカに手こずってるのかも」
「子育て未経験者だよ? 子どもの世話なんて任されっこないさ」
――実際にはミュシカが伯父から離れたがらずに連れ歩くことになっているのだが。
時々ミュシカにおまじないを教えており、なつかれていたダニール。おまじないに関してなら専門家だが、他のことにはうとい男だ。
「お兄さんが小さな女の子を扱えるとは思えないわね」
リージヤは小さく笑った。
ミュシカを養育するのにイグナートとラリサ夫妻が補助につき、しかも現在は新妻のマルーシャがかわいがっていることなど夢にも思わない実の両親だった。
「ルスランと二人ですごすのも、昔みたいでいいんだけど」
リージヤは夫の背に手をまわし、胸に顔をうずめた。ルスランも優しく腕で包む。娘に妻を取られないのは、確かにちょっと嬉しかった。
だがそろそろ、家に帰りたい。
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