23 思いおこせば
「ヘタレかよ」
イグナートは率直な感想をもらし、天を仰いだ。
今日はよく晴れている。秋空が高い。
「なんとでも」
馭者台に並んだダニールが静かに応じた。ふてくされるでも怒るでもないその態度を、イグナートはチラと横目で見る。ということは、本人は納得の行動だったのか。
話題はつまり、二人きりで過ごした昨夜の成りゆきだ。
おまじないの練習をして、成功して、抱きしめた。そして。
「なぜに、でこチューかな?」
「マルーシャのおでこはかわいい」
わざと無表情にダニールは答えた。
夫婦の間に何があってどうなったかなど、事細かに教える義理はない。だいたい今だって、コルニクの酒場での聞き込み成果を共有するために外にいるのだ。報告するべきはイグナートなのでは。
マルーシャと二人、その後どう眠ったのかも、口を割る気はなかった。
「えー、おててつないでねたの? なかよしね!」
同時に馬車の中では女子会が開催されていた。
自分がいなくてお母さまは寂しくなかったかと心配するミュシカ。笑うマルーシャは、ダニールがいたから大丈夫だったと説明する。
「だってね、ダニールは私の旦那さまなんだもん」
「だんなさま、だいじ?」
「うん。だいじ、だいじ」
おまじないを練習したこと。よくできたとほめられたこと。病み上がりで疲れただろうと気づかわれて眠ったこと。
布団の中でそっと手をつないだことまで筒抜けだ。ダニールのちょっとした意地はあっけなく粉砕されてしまっていた。
だけどマルーシャも、寝返りのふりでスリとくっついてみたことは言わない。
そして朝、目がさめたらダニールの腕の中だったことも。
それは、二人だけの秘密だ。
***
「さあ、ヴェデレ到着! 大きな街があるって言ってたでしょ。ここならマルーシャの服装もととのえられると思うのよ」
「あ、じゃあおかいもの? お母さまをかわいくしなきゃ!」
「えええ、ミュシカ……」
ミュシカがとにかくにぎやかにしているのが好きなのは、気をまぎらわすためだろうとダニールが言っていた。
以前はもう少し落ち着いた子だったのだがと苦笑いされたが、こう引っぱり回されると少々困る。早く両親を取り戻してやりたいと切実に思うようになってきた。
この地方最大の街、ヴェデレ。
コルニクからはそれなりに距離があるので到着したのは夕刻だった。今日は移動だけに時間を取られたので買い物などは明日になる。
「もうよるだもんね。じゃあわたしも、おまじないおべんきょうしてから、ねる」
お出かけできないことには納得したミュシカだが、今度は真面目な顔だ。マルーシャが昨夜やったように自分もしてみたいのだった。大好きな「お母さま」のまねっこはしなくっちゃ。
そんなわけで、二人だけで過ごすのは一夜限りのようだった。大人たち四人はそれぞれの感情をのみこんだ。
夕食後の部屋で、ダニールは迷った。
ミュシカに〈
とにかく強い力を秘めているという点なら、この三人の内でもミュシカが一番かもしれない。
深く深く世界とつながるミュシカ。
暴走した時に抑えきる自信はダニールにもなかった。
「――そうだな、ミュシカにはちょっと違うのを教えよう」
「どんなの?」
「冬らしいものだよ。おまじないを眠らせるんだ」
一時的におまじないを無力化することができる……はずだ。ダニールも実は未使用の文言だった。
冬。包みこみ、眠りの中で育てる季節。
だからこのおまじないならミュシカと相性がいいのではないか。それにうっかり広く効果を及ぼしてしまっても、目覚める方向性のおまじないを重ねれば挽回可能だ。
「シュクテ イ コリド。うん、わかった」
「待て待て。まだやるな」
気軽にコクンとうなずかれて慌てるダニールに、マルーシャはふふ、と笑ってしまう。ミュシカのような幼い子の教師はたいへんそうだ。
「これはね、僕もやったことがないんだ。ミュシカができたらすごいぞ」
「お父さまやってないの? わたし、だいじょうぶ?」
「少し心配かな。僕は相手がいなくて試せなかっただけなんだけど」
研究相手に事欠くのが日常茶飯事のダニールだった。そんな告白をされてマルーシャは吹き出す。
「私に教えてくれたのは、使ったことあるの?」
「ああ――」
それは、ダニールがあちこち旅している途中のことだ。
雨の少ない年だった。
渇水の不安が広がった頃、雨を呼んでみせるという男が現れた。ダニールはそのうわさを聞き、雨乞いのおまじないなのではと案じて広場に行ってみたのだった。人を集めてそんなことをされてはまずい。
現れた男は、やはり妖精族だった。
おまじないを朗々と唱えるようなまねはしないでくれて助かったが、放置するわけにもいかない。ダニールは空に働こうとしたおまじないに向けて、阻害の文言を使った。
――そして、雨は降らなかった。
「あれはバルテリスの王都でね――あ!」
ダニールはふと思いあたり、顔をあげる。
あの時の男はメレルスといった。ロジオン・メレルス。集まった群衆がそう呼んでいた。雨乞いに失敗し、罵声を浴びながらこちらをにらんだのを覚えている。阻害のおまじないがどこから飛んだかぐらいは把握できる力の持ち主だということだ。
「メレルス――」
イグナートが聞きこんできた中に、そんな名がなかったか。
顔色が変わったダニールを、二人は心配そうにのぞきこんだ。
「お父さま?」
「ダニール、何かまずいことでもあった?」
「――ちょっとイグナートに確かめなくちゃならない。ミュシカごめんよ、練習は後だ」
「えー、よいこはねるじかんなのに」
「じゃあ寝るしたくをしなさい。本当にごめん、おまじないは明日やってみよう。マルーシャ、頼むよ」
申し訳なさそうにするのにマルーシャはうなずいた。
ダニールがそう言うのなら、きっと何か大切なことを思いついたに違いない。子ども相手だからといいかげんなことをする人ではないと、もうわかっていた。
ザラエのメレルス。
確かにそんな名の商人が酒場で話に出ていた。ザラエはそう遠くない町だ。だがそれがロジオン・メレルスなのかはわからない。
「おまえが昔、恥をかかせたメレルスと、ザラエの商人のメレルスが同一人物だとして、だ」
夫婦でくつろいでいた隣室を訪ねてきたダニールに、イグナートは話を整理した。
「その恨みでおまえを探ってて、冬の情報を知ったってことか?」
「……じゃないかと」
ダニールは悄然とつぶやいた。
犯人は最初から冬告げの姫を探していたわけではなく、ダニールへの意趣返しがしたかっただけなのかもしれない。そして偶然見つけた冬に利用価値をみとめて連れ去った。
リージヤは本物の冬告げ姫ではないが、ダニールへの復讐という点では成功したといえよう。弟夫婦が姿を消してダニールは心を痛めているし、ミュシカを背負うことになってしまったのだ。
「ずいぶん暗いことをする奴よねえ」
ズウーンと落ち込んだダニールに、ラリサは笑ってみせた。もしそうだったとして、ダニールはその時できることをやっただけ、他にどうしようもない。
「まず、その商人がロジオン・メレルスなのか調べてみるしかないな」
明日ききこみに行くよ、とイグナートは請け合ってくれた。
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