〈おまじない〉でできること

9 誓いに花を


 マルーシャの人生で初めての旅は、新婚旅行となった。それはいいが、義理の娘も一緒なのは普通なのだろうか。


「お母さま、ばしゃもはじめて?」

「そうよ」


 ミュシカは新しい「お母さま」にべったりだ。その頬をなでたり、むにむにしたり、マルーシャはさわり放題にしていた。なごむ。子どものほっぺって、いいわ。


「ミュシカ……」

「なあに、お父さま」

「……いや、なんでもない」


 マルーシャは僕のお嫁さんなんだよ、と言いたかったがダニールは我慢した。大人げないから。

 向かいに座り、嬉しそうなマルーシャとミュシカをながめるのも一興だろう。だが隣にマルーシャが寄りそってくれたら、とも考えてしまう。


「――」


 それはそれで落ち着かないか。

 思い直し、ダニールは窓の外に目をやった。ベルドニッツを出てそんなに経ってはいないが、町近郊の畑や農家もなくなってきた。野原が広がり、森も近づく。

 そろそろかな、と思った。

 折よく馬が歩調をゆるめる。静かに停まった馬車の馭者台から、イグナートが声をかけてきた。


「この辺でどうだ」

「ああ、ちょうどいい。ありがとう」


 いい所があったら停めてくれと頼んでおいたのだ。ラリサも馭者台に並んでいてくれたので、女性目線のお墨付きもある。


「降りてくれるかな、マルーシャ」

「なあに、もう休憩なの?」


 さっさと扉を開けて出たダニールがマルーシャに手を差し出す。そっとつかまって外を見ると、そこは風が吹く草の原だった。


「わ……!」


 支えられ降り立ったマルーシャは息をのんだ。町育ちのマルーシャが知らない景色だ。


 広がる野原。揺れる草の実。

 向こうの森の木々は黄金色とまではいかないが秋の気配。

 そして空が、大きい。


「――きれい」

「よかった。マルーシャに見せたくて――感じる?」


 ダニールがささやいたのは、なんのことなのか。マルーシャはすぐに理解した。


「――わかる、わ」


 胸がざわめいた。

 自分の感覚が大きなものとつながっていく気がした。

 大地。風。水。光。

 自らをとりまくすべてを知覚する――これが、世界。


 身の内に何もかもが押しよせあふれて、マルーシャはぐらりとよろめいた。ダニールの腕が抱きとめる。


「――驚いたか」

「ん――」


 町ではこんな息吹に包まれることはなかった。だから知らなかった。

 自然とつながる。

 それが妖精族の力だと言われた、そのわけがわかる。今まさにマルーシャはのだ。


「――あ」


 茫然としていたマルーシャは、自分の状態にやっと気づいた。ダニールの腕と胸の中にいる。我に返って慌てたマルーシャを見て、ダニールは笑った。

 マルーシャは自分の足で立ち上がったが、体が熱いのはどちらのせい? ダニールか、それとも自らの妖精の力に気づいたからか。それらを同列に考えていいのかわからないけど、両方大切なもの。


「――とまあ、それとは別にね。マルーシャに受けてもらいたいことがあって降りたんだ」

「受ける?」

「そう。誓いを」


 ダニールは少し照れくさそうだった。


「結婚の誓いを、させてくれ」


 そう言われてマルーシャは目を見はった。今ここで?


「結婚式もなしだろう? そしたらクリフトさんが、空にでも誓えと」

「お父さん……」

「ここなら、すべてに誓える」


 見渡してダニールは微笑む。


「立会人は私とイグナート。あとミュシカもよ」

「わたし? なにするの?」

「おめでとう、て言えばいいぜ」


 ラリサたちも馬車から降り、にこにこ見守っていた。いやどちらかといえば、ニヤニヤからかう視線か。


「受けてくれるかな」

「あ……ええ、はい!」


 いきなりそんな、とマルーシャはしゃっちょこばって返事した。あたふたした様子にまたダニールが笑う。愛おしげに。


「じゃあ」


 ダニールは向かい合って立ち、マルーシャの両手をとった。その穏やかな黒い瞳に見つめられ、マルーシャの心は落ち着きを取り戻した。


 風がやわらかく渡っていった。

 妖精の結婚なら、こんなところでの誓いがふさわしいのかもしれない。マルーシャの心も空に飛んでいきそうだ。だけどダニールの手が、しっかりとマルーシャをつなぎとめてくれている。

 ――だいじょうぶ。この人になら、自分をゆだねても。


 ダニールがしっかりとマルーシャを見つめ、口を開く。


「――僕、ダニール・ジートキフは、マルーシャ・アヴェリナを妻として、生涯愛したいと思います。許してくれますか、マルーシャ?」


 マルーシャのくちびるに自然と笑みが浮かんだ。

 ――そして私も、この人を背負っていこう。


「許します。私、マルーシャ・アヴェリナは、ダニール・ジートキフを夫とし、同じく生涯愛します。受け入れてくれますか?」


 はにかみながら小声で言ったマルーシャの誓いで、ダニールの手に力がこもった。


「もちろん、受け入れるよ。ありがとうマルーシャ」


 見つめ合うと、パチパチとかわいい拍手が起こった。


「おめでとう、なの! お父さまお母さま」


 跳びはねて喜ぶミュシカが結婚というものを理解しているのかはわからない。でも心から祝福していることは伝わった。


「本当によかったわ、これで晴れて夫婦ね」

「おう、やっとダニールも身を固めたな。んでほら、指輪も何もないんだからさ、せめて誓いの口づけぐらいしろよ」


 え。

 イグナートの言葉に、誓った二人は振り向いた。確かに普通の式ならば、それも当然なのだけれど。


「……」


 マルーシャは真っ赤になってダニールを見上げた。いきなりそんな。しかも人前で。

 新妻が困っているのが伝わって、ダニールは微笑んだ。握っていた手を軽く持ち上げる。


「あ」


 手の甲に口づけを落とされて、マルーシャは小さな吐息をもらした。

 無理をさせないダニールの優しさに胸がつまる。だけど手にふれられただけなのにジンとしびれる感覚が体に広がった。


「おいおい、紳士かよ」

「いいじゃないの、初々しいわあ」


 先輩夫婦が笑った。実際はラリサよりダニールが一つ年上なのだが、経験値ははるかに下だ。

 せめて自分にできることを、と思ったダニールは足元の地面を見た。たぶんここにはだろう。マルーシャの手を離し、しゃがむ。


「見ていて、マルーシャ」


 地面に手をかざしたダニールは唱えた。


ツェラム ジニ ツェトゥ ラスタ命よ進め 花開け


 ふわりと強い力を感じた。

 土の中に熱が生まれる。それがなんなのかわからないままにマルーシャは見つめた。ダニールはその熱の上にそっと手を添え、待つ。

 ぽこん。しゅる。

 土がふくらみ、草の芽が吹いた。


「――!」


 茎が伸び、いくつもつぼみができ、ほころんでいく。

 そこに咲いたのは、うつむき気味な青紫のオダマキアクイレギアの花。がくがシュルと長く美しい。


「身を飾る贈り物は用意できなかったから、花ぐらいは」

「ダニール……花ぐらい、て」


 やや得意げに笑ったダニールに、マルーシャはぽかんとした。花の前にしゃがみ、しげしげとながめる。


「きれい。これ、おまじないで?」

「ああ、地中の種にはたらきかけた」


 後ろから寄ってきたイグナートはあきれ声だった。


「相変わらず、とんでもないな」

「ほんと。マルーシャ、これが妖精族の普通だと思っちゃだめよ。ダニールはおかしいの」

「え?」


 首をかしげるマルーシャの脇でミュシカが花に手を出した。それをラリサは慌ててとめる。


「待って。この花、かぶれるかも」

「かぶ、れる?」

「切り口の汁にさわるとピリピリするのよ。ミュシカはまだお肌も弱いしね」


 ラリサに言われて、ダニールはショボンとした。

 せっかく咲かせたのに、どうやら摘んで持っていくのは禁止のようだった。


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