2 妖精の血すじ


 早足で家に帰ったマルーシャを迎えたのは、ズンと落ち込んでいる父クリフトだった。


「すまん、マルーシャ」


 ダニールとミュシカにドキドキさせられていた心臓がクリフトの謝罪に凍りつく。マルーシャはすばやく工房を見渡した。完成した柱時計が壁際に飾られたままだ。


「お父さん……時計、どうしてここにあるの?」

「……引き取ってもらえなかった」

「はあ?」


 絶望的な声にクリフトが縮こまる。ということは原因は客ではなくクリフトなのだろう。いつものことだ。


 クリフトは腕のいい時計職人。でも何かとくせがあった。

 無駄にこった品物は作らないでと言っているのに、マルーシャのその小言はよく忘れ去られる。作品に夢中になってしまう父を尊敬しているけれど先立つ物がないと生活が。


「お父さん、何をやったの?」

「いや……たいしたことじゃ」

「やったのね」


 ああもう、とへたりこんだマルーシャの前で、クリフトはおろおろ言い訳する。


「だってね、依頼主の奥さまは猫が好きなんだ。だから鳩時計ならぬ猫時計なんてどうかと」

「……何言ってるの?」


 マルーシャの頭は疑問でいっぱいになった。

 注文は柱時計。時を告げるのに鐘ではなくオルゴール式で曲を鳴らしたいというものだった。だから面倒な注文でも引き受けるクリフトに話が来たのに。

 小ぶりな壁掛けの鳩時計なるものが異国で作られたというのは聞いた。毎正時に鳥が飛び出す仕掛けだとか。だが……猫?


「柱時計だから仕掛けを入れる余地はたくさんあるじゃないか。オルゴールだけじゃなく、木彫りの猫も仕込んでみた」

「……飛び出すの?」

「もちろん」


 クリフトは得意げにうなずく。


「毎半時に出てきて、ひと鳴きだけするんだよ。これを猫の声に似せるのに苦労してさ、鐘やオルゴールじゃなくて、弦をこする方法で調整を」

「それ、いらないわよね!?」


 マルーシャは叫んだ。

 どうしてそんな工夫をするのか。猫が鳴く時計など、下手すれば怪談だ。納品を拒否する依頼主の気持ちがわかる。

 目を輝かせていたクリフトの声が小さくなった。


「……いらないか?」

「注文されてないことは、やっちゃだめでしょ」


 子どもに言いきかせる口調になるが、相手は父親だ。悲しい。

 マルーシャは落ち着こうと深呼吸して、ハタと気づいた。


「あ、じゃあ、お金は?」

「……払ってもらえなかった」

「どうするのよ……」


 これはまずい。

 実は本当に借金があるのだ。時計の材料費、そして生活費。

 クリフトの腕をかっている知人クジモが都合してくれていたが、そろそろ返せと言われている。


「返さなきゃだめかなあ」

「ダメに決まってるでしょ!」


 マルーシャは父を叱りつけた。

 クリフトは悪人ではないが、生活力がない。常識が抜け落ちているというか。少女の頃から父を支えてきたマルーシャがしっかり者になったのは必然だった。


「――ごめん下さい」


 戸の外から声がして、二人はビクッとした。借金取りが訪ねて来たかと思ったのだ。でもクジモの声とは違う。


「は、はーい!」


 マルーシャは呼吸をととのえて戸を開けた。


「――お母さま、いた!」

「ミュシカ?」


 飛びついてきたのは先ほど別れたばかりのミュシカだった。満面の笑み。外ではダニールも微笑んでいる。


「やあマルーシャ。お邪魔しても?」

「え、ええと」


 突然の訪問にマルーシャはまごついた。もう会うこともないと思っていたのに、どうして家がわかったのだろう。


「あの、ご用件は?」

「――アレーシャ、という方を知っているかな」


 ダニールが静かに口にした名にマルーシャは驚いた。クリフトが目を細める。

 アレーシャ。それはクリフトの死んだ妻の名。マルーシャの母のことだ。


「なるほど――」


 ダニールとミュシカ、そして娘マルーシャを見比べて、クリフトは微笑んだ。


「――君は、妖精族なのかな?」


 父は何を言い出すのかとマルーシャは耳を疑った。だがダニールは、当たり前のようにうなずいたのだった。




 * * *




 ダニール・ジートキフ、三十歳。ちなみに独身。

 職業は妖精学の研究者だとダニールは言った。妖精族の力や歴史について調べているそうだ。

 妖精。それは荒唐無稽な存在ではない。


「人に混じって暮らしているんだよ」


 食卓椅子に腰をおろし、ダニールはゆったりと話す。

 ダニールにもミュシカにも、古ぼけた台所は似合わなかった。それはキチンとした身なりのせいなのか妖精族だからなのか。

 だけどこの家に応接間なんてものはない。何とかお茶だけは出して体裁を整え、マルーシャはダニールの話を聞いていた。


「人族と妖精族はたいして違わない。人の中にもいろいろ差があるね? その程度のものなんだ」


 力の強い者、頭の回る者など。たとえば足が速い者たちを『走族』と表現する感じか、とダニールは言った。


「……わからない」


 釈然としないマルーシャをダニールは優しい目で見る。


「妖精族は自然の力とつながるのがうまい。それだけだ」

「お母さま、おまじないうたってたでしょ」


 ちゃっかりマルーシャの膝の上に座り、ミュシカは「お母さま」に甘えていた。あまりに愛らしくてマルーシャもそれを許している。


「おまじない? あの歌はそういうものなの?」

「言葉は物事の本質を表すだろう? それを声と旋律で助け、力を引き出す。歌はとても効果があるよ」


 ダニールが淡々と説明するが、やはり難しい。首をひねるマルーシャに微笑んで、ダニールは続けた。


「だけど妖精族の存在は、もうあからさまにできない。人の間で妖精への認識が歪んでしまったから」


 噂に尾ひれがつく、というやつだ。

 期待や畏怖が実際とかけはなれたせいで、まともな交流が難しくなってしまった。


「集団――国ぐらいの単位になると争いの種にされてね。だから妖精族は姿を隠した。僕とミュシカは、その妖精族だ。そしてアレーシャさん、君の母上も」


 マルーシャは目を上げた。話の流れからしてそういうことだろうと思っていた。


「――私にも、妖精の血が流れているということなのね?」


 静かにつぶやくとミュシカが嬉しそうに見上げる。仲間だと言いたいのだ。


「あ、お父さんは」

「僕は人だ」


 ふと気になったがクリフトは笑った。人と妖精が結婚することも別に珍しくはないらしい。


「アレーシャさんの結婚は、親族の皆さんも祝福したそうだよ」

「……そうか、母方の親戚がいるのね」


 その存在をマルーシャは今まで聞いたことがなかった。クリフトが頭をかく。


「妖精の一族だからなあ。教えるに教えられなくて」

「――ミュシカは、その一人だ」


 マルーシャの膝でミュシカがにっこりした。


「アレーシャさんの一番下の妹のリージヤ。彼女がミュシカの母親、僕の弟の妻だね」

「てことは……ミュシカと私は、従姉妹なの?」


 関係をたどってマルーシャは驚きの声を上げた。


「お母さま、わたしのイトコ?」

「だから似ていると言ったろう? リージヤとではなく、君たち二人もだ」


 ダニールは少しいたずらに笑う。マルーシャはミュシカと顔を見合わせた。


「でもミュシカはすごくかわいいわ」

「いや、マルーシャもとても」


 言いかけてダニールは口ごもった。何を馬鹿なこと。今日が初対面の年頃の女性に対して失礼な言いぐさだと冷や汗をかいた。

 それを見てクリフトは笑いをかみ殺す。ダニールは落ち着いた男だと思ったが、なかなかどうして。ただの不器用かもしれない。


 その時、再び表の戸を叩く音がした。気安く呼びつけられる。


「おーい、クリフト! いるか?」


 それは今度こそ借金取り――クジモの声だった。

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