4 春告げの姫
ダニールとミュシカが暮らす国、ファロニア侯国。
ベルドニッツのあるクローシュ公国からは、バルテリス王国の端を経て馬車で六日ほど。遠すぎはしないが、近くもない。
国と同じ名のファロニアが唯一の大きな街だそうだ。他は村ばかりの小さな国。
山脈を背にして水は豊か。丘と山地に囲まれて他の国々とは一線を置き、森と湖の息吹に包まれた妖精族の安住の地となっている。
妖精族が多数だが、それは対外的には秘密だった。国内に暮らす人族でも、妖精族との婚姻を結んだ者以外はその事を知らないのだとか。
「閉鎖的だと思われているだろうな」
そうダニールは笑ったが、マルーシャは何を聞いても驚くだけだった。自分の血の半分が妖精のものだなんて、ついさっきまで知らなかったのだから。
「ファロン侯爵はお元気かい。代替わりしてないよね」
クリフトがにこにこと知り合いのようなことを言う。
名前からすると、それは領主さまなのでは。マルーシャが怪訝な顔なのをチラリと見、ダニールは答えた。
「お元気です――孫娘に、会いたがっていますが」
「あー、やっぱりそんな理由か」
クリフトは苦笑いした。
「孫娘はねえ、不甲斐ない婿のせいで苦労させちゃってるけど」
「ちょちょ、ちょっとお父さん、どういうこと?」
何だか話がおかしいような。マルーシャはびくびくしながら尋ねた。
「アレーシャさんは、ファロン侯爵の長女なんだ」
やや申し訳なさそうにダニールが種明かしする。マルーシャはポカンとしてしまった。
「――お母さんて、貴族だったの?」
「いやあ、あそこはそんなに堅苦しくないから」
茫然とする娘に対し、クリフトはヘラヘラと笑ってみせた。
「侯爵って言ってもね。昔々に周りと足並み揃えて異民族と戦って、みんなと一緒にもらった爵位だとか。都合がいいから名乗り続けてるだけなんだってさ」
「……その歴史解釈は、アレーシャさんが?」
「ああ。間違ってたかな?」
ダニールは妖精族の歴史が専門だ。侯爵家直系子孫のざっくりした認識にため息しか出ない。
「……おおむね合ってます」
「それはよかった。そういうわけで、マルーシャ」
クリフトは娘に向き直った。
「ファロニアの領主である、お前のお爺さん。彼がまだ見ぬ孫娘に会いたいとご所望だ。行くかい?」
「行くかい、てお父さん――」
そんな気軽に、いきなり。
途方に暮れるマルーシャだったが、ミュシカは大喜びする。椅子の上で跳ねんばかりだ。
「お母さまといっしょに、かえる!」
「こら、ミュシカ。まだお話の途中だよ」
たしなめられてテーブルにポテンと伏すのもかわいい。マルーシャから笑みがこぼれた。
「僕たちは馬車で来ている。護衛が一人とミュシカの世話役の女性一人が宿で待っているんだ。マルーシャが同行してくれるなら、旅の間のすべてはこちらで用意するから、心配いらないよ」
「はは……」
マルーシャの笑いが乾いた。金銭面は借金取りが来たばかりだし、表面上遠慮してみせることすらできない。
「来て、会ってくれるだけでもいい。ファロニアで暮らしてくれとかじゃないんだ。ただ」
ダニールは言葉を切ってマルーシャを見つめた。冷静な、見きわめるような視線。
「――マルーシャは、
言って、微笑む。
やわらいだ瞳は、いつくしむように憧れるようにマルーシャをとらえていた。
「春、告げ――?」
ダニールの眼差しにしびれながら、マルーシャはおうむ返しに訊いた。知らない言い方だ。
「妖精は自然の力とつながると言ったろう? 僕らは季節とも絆を結ぶんだ。四季を告げる姫たちは、季節の始まりを宣言する。それにより季節はそのあるべき姿でやってくる」
春は春らしく。
かおる風と光に満ち、やわらかな雨をもたらし、新しい命の誕生をことほぎ。
そうあれかし、と春の力を引き出すのが春告げの姫だ。
「――すてきね」
マルーシャはつぶやいた。
そう聞いただけで春の喜びが体によみがえる気がした。これから秋という今なのに。
「でも私にそんな役目は」
マルーシャは遠慮がちに首をかしげたが、ダニールは続けた。
「今の春告げ姫はもうお歳だ。アレーシャさんが、あとを継ぐはずだったが」
「人族と結婚してベルドニッツに出奔した。悪いね」
「アレーシャさんの選んだ道です」
クリフトが茶々を入れたが、それは今さら仕方ない。
「本来は血筋に左右されるものではないんだけどね。ファロニアに後継者たる春の
「愛し子――」
ますます自分がそんなものだとは思えなくなって、マルーシャは目を伏せた。
「私は人の子でもあるのに」
「そんなのは関係ない。マルーシャの淡い栗色の髪――とても綺麗で、見惚れた」
ダニールは先ほどの出会いを思い出しながら言いつのる。
「陽に透けて髪が薄紅に輝いたよ。それは春の愛し子のしるしだと文献にあってね。それにマルーシャは笑うと花が咲くようで、春告げ姫にふさわしいと僕は思う」
「ダニールくん、あのさ」
居心地悪そうにクリフトが割り込んだ。
「僕の前で娘を口説くのは、さすがにやめてくれるかなあ」
「く、くど――そういう意味では」
ハッとなったダニールの声がひっくり返った。ガタリと椅子の脚が鳴る。
確かにそう取られかねない事を口にしていたと気づいてダニールは顔を赤らめた。相手であるマルーシャはもう、頬がホテホテだ。言われ慣れない言葉に体をこわばらせている。
「いや普通に愛の告白にしか聞こえなかった。ありがとうな、父親として娘がほめられれば鼻が高い」
しゃあしゃあとクリフトは礼を言った。恋に不慣れな娘と不器用そうな男とを見比べて苦笑いしてしまう。
この二人は今日出会ったばかり。それに年齢は十二も離れている。だが親の目、そして男の目から見ると互いに意識し惹かれ合っているように思えた。
そういう瞬間は突然やってくるものだ。人のクリフトと妖精のアレーシャがそうだったように。
「マルーシャを嫁に出すのは反対しないよ。本人の同意をちゃんと取りつけてくれればね。というか――」
クリフトは渋い顔をしてみせた。
「君と結婚しないなら、旅には出したくないな。未婚の男女が子連れでって、おかしいだろう」
そう言われてダニールはうろたえたようだ。マルーシャをファロニアまでという役目。そしてダニール個人としての結婚。それがごっちゃにされている。
「いえ……随行者もいますし、宿は別室に」
「それでもさ」
ダニールの回答は生真面目だ。そうじゃなくてグイグイいこうよ、とクリフトは歯がゆい。
「ミュシカはどうするんだい? お父さまお母さまと呼ぶのは、禁止かな」
「お母さまになってくれないの?」
寂しがり屋の女の子がシュンとする。
「お父さまも? わたしひとり?」
「あああ、そういうことじゃないのよミュシカ」
降ってわいた嫁入り話にマルーシャはどうすればいいかわからないのだが、ミュシカが悲しそうなのには胸が痛んだ。でもクリフトは追い打ちをかける。
「春告げの姫に認定されたら毎年のことだ。ファロニアに住むのかい? 誰と? ベルドニッツにいてその季節だけ訪れるにしても、こっちで人族の夫や子どもを持ったらそんなの難しくなるよ?」
そうなって春告げの役目を辞退したのがアレーシャなのだった。
さあどうする、とクリフトはダニールを見た。
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