5 結婚からはじめよう
「それはファロニアで協議の上、解決策を見つけるべきです」
ダニールは絞り出すように言った。
「いきなり結婚だなんて、今日会ったばかりで不誠実じゃないですか」
「ほほう。何日かすれば求婚したいぐらい、マルーシャに好感を持ったってことだね」
「それは詭弁です!」
あおるように言われてダニールは食ってかかった。だが目の縁がうっすら赤い。視線はマルーシャをチラチラとらえては離れ、落ち着かなかった。
好感を、というのは図星だ。
最初にミュシカに応対している笑顔を見た瞬間から、惹かれた。
明るく愛嬌たっぷり、時に母のような包容力を見せる。絶世の美人とは言わないがかわいくて、なのにそれをかたくなに否定するのが不思議で笑ってしまった。彼女を見ていると楽しい。
そのマルーシャは乱れる呼吸と鼓動と戦っていた。父の好き勝手には慣れているが、これはさすがにひどい。
ひと目見てダニールにときめいたのは事実だった。でも即日結婚すればいいと言われても困る。いつもクリフトには威勢のいいマルーシャだが、今は弱々しい声しか出なかった。
「お父さんを一人にするわけにはいかないでしょ。まともに仕事ができなくなるわよ」
「逃げるのかい、マルーシャ」
揺れる娘にクリフトは厳しい。
「僕のせいにされるのは嫌だなあ。そんなのは置いといて、マルーシャがどうしたいかが大事なんだよ」
仕事の上では自由人。そして妖精族の侯爵子女を奪い取った経験者クリフトは、娘と男をそそのかす。
「結婚できない言い訳をするってことは、二人ともそうしたいんだろう? 嫌なら嫌って言ってごらん」
その顔は、遠慮のない言葉と裏腹に意外と優しかった
「この人だと思ったら、その心に従わないと。でないと幸せなんて、すぐ逃げていくんだ」
そう言われるとマルーシャもダニールも反論できなかった。クリフトが手に入れた幸せ、愛した女性は十年かそこらでいなくなってしまったから。
「もうまどろっこしいから二人で話しなさい。さあミュシカ、おいで。伯父さんの作った時計を見せてあげよう」
「とけい?」
「伯父さんはなあ、からくり時計の名人なんだぞ」
クリフトはひょいとミュシカを椅子から立たせると、手を引いて工房に出て行った。
強引に二人で残され、マルーシャとダニールは見つめ合った。
どうしよう。
ダニールさんのことはたぶん、好きだけど。
どうすればいい。
マルーシャを手に入れたいだなんて、自分は本当にそう思っているのか。
踏ん切りがつかなくてダニールは黙り込んだ。でもマルーシャから目もそらせないのだった。
熱を含んだ視線にマルーシャは耐えられなくなった。恥ずかしくて、いたたまれない。
「わ、私、ファロニアに行ってみたいです」
どうしようもなくなってマルーシャは口走った。なけなしの勇気を振りしぼる。
「お母さんの国に。でもダニールさんと、け、結婚、とかは……まだ正直、突然すぎて、あの」
耳まで真っ赤になり、つかえながら言うマルーシャ。ずいぶん年下の女性にそんなことをさせてダニールは自分を恥じた。
男として、大人として情けなくないか。
「マルーシャ」
ダニールは覚悟を決め、呼吸をととのえた。
「僕は――マルーシャのことを、とても好ましく感じているようだ」
「え――」
マルーシャの表情から力が抜けた。そこにかすかな喜びが浮かんだのを見つけ、ダニールは力をもらう。
そう、マルーシャが好きなんだ。
一度口にしてしまうと心が楽になる。素直に認めてしまえ。ダニールは少し笑った。
「こう書き言葉のような言い方はよくないな。女性の扱いは苦手で」
ダニールはあらためてマルーシャを見つめる。
「僕は……女性と話すより文献をあさってる方が好きな変わり者だ。だけどマルーシャを見ているのは楽しい。君のくるくる変わる表情も、ミュシカをかわいがりたくてウズウズしているところも、ぜんぶ面白い」
「おもしろ、て」
ほめているようには聞こえなかった。
「だってミュシカがかわいいんだもの!」
「マルーシャだってかわいい」
真面目に言い返されてマルーシャは硬直した。
「本当だ。僕にはとても愛らしく思える。あまり女性と一緒にいたいと思ったことはなかったが、マルーシャとなら――だから、もし嫌じゃなければ、試しに結婚してみないか」
試しに。
マルーシャの目が点になった。結婚って試しにしてみてもいいんだっけ。
「……そんな求婚って、あります?」
妖精だから少し変わっているのかもしれない。でもそれがダニールなのだし、嫌ではなかった。
本当にこの人は。この人は。
気が抜けてしまってマルーシャはクスクス笑い出した。
――それでいいのかもしれない。心のおもむくままに、一緒にいる人を選んでみても。
この人だと思えたならば。
笑い出されてうろたえるダニールに、そっと手を差し出す。
「じゃあ……結婚から、お願いしてもいいですか」
マルーシャの言葉にダニールは目を見開いた。
二人、戸惑いと喜びとが入りまじった視線を交わし、ぎこちなく手を取り合う。
「マルーシャ」
「ダニールさん」
すると工房から「ぐにぃぃ~」と妙な音がした。二人は動きを止める。向こうでミュシカの笑い声が響いた。
猫の声を模したという時計か。
――せっかくの求婚なのに、こっちもあっちもロマンチックにならなくてマルーシャは釈然としなかった。
* * *
「マルーシャ! 結婚おめでとう!」
「おう、旦那は男前だな」
「いつの間にそんなことになってたんだい」
「旦那の連れ子ちゃん、かわいいわねえ」
「連れ子じゃなくて、預かってるだけだってさ」
日の暮れる頃、時計工房は近所の人たちでにぎわっていた。
仕事上がりの連中が入れ替わり立ち替わり祝福していく。ニヤニヤと受け答えしている父クリフトの様子に、やられた、とマルーシャはほぞを噛んだ。
「お父さん、わざと噂を流したわね」
「いやあ、みんな耳が早いな」
からかうように言って、白々しい。マルーシャのため息にダニールは苦笑いで応えた。
「これが外堀を埋めるという手法だね。自分がやられるとは思わなかった」
「のんきなこと言って……」
やはりこの妖精学者は浮世離れしていると思う。反応がところどころ、変だ。
恋も愛も始まったばかりだが、まずは結婚から試してみるという結論を父に伝えたのはついさっき。
ヨシヨシとうなずくクリフトと飛び上がってはしゃぐミュシカに、まあ頑張ってみようかなと思った。なのに何故か、あっという間に町をマルーシャの結婚話が駆けめぐっていたのだ。
「話の元はクジモさんだけじゃないわよ、絶対」
井戸端会議好きな隣のおばさんあたりが加わっていないとあり得ない伝達網だ。いつの間にと考えるが、二人が結論を出す前しかそんな隙はない。
勝手に決めつけて言いふらすなんて信じられない。マルーシャは腹を立てたがダニールは穏やかに笑った。
「だけど僕らは結局そうしたんだから」
「ダニールさん……」
「そうだ、その呼び方」
ダニールはふと真面目な顔になってマルーシャを見つめた。
「もっとくだけてみよう。話し方も、ぜんぶ」
「え――ダ、ダニール?」
「そう」
満足そうにうなずく。それを見て来客がまた、「仲良しだねえ」と冷やかしていくのだった。マルーシャは身の置き所がなくてモジモジしっぱなしだ。
「お父さま、お母さま、なかよしでうれしい!」
ぴょんぴょん跳びはねて誰もに愛想を振りまくミュシカのかわいさが、今のマルーシャの心の支えだった。
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