24 もういちど告白を
ミュシカを寝かしつけていたマルーシャはカチリと鍵が開いたのに気づいた。
ダニールは薄暗くした部屋をうかがい、大きい方の寝台でマルーシャにくっついているミュシカに苦笑した。おまじないの練習を中途半端にされて拗ねたのだろうか。
「おかえりなさい」
マルーシャがそっと振り向いて小声で言うと、ダニールがビク、とした。眠るミュシカを起こさぬようマルーシャは静かに布団を出る。
「……起きてたのか」
「五歳児と眠りこけてばかりじゃないんだから」
ここまでの幾晩か、そんな風だったかもしれない。でもそろそろ旅にも慣れてきた。それにダニールに何かあったようなのに、放ったらかして眠れるわけがない。
「どうしたのかな、て思って。待ってた」
「……ありがとう」
気をつかえば真っ直ぐに礼を言ってくれる夫。そんな人のそばにいられて嬉しい。マルーシャが無言で微笑むと、ダニールはキョロキョロしはじめた。
「えーと、何か羽織るものは。話す前に暖かくしてくれ」
寝間着姿が気になったようだ。
それは目のやり場に困ってのものか。ただ風邪のぶり返しをおそれたのかもしれない。前者なら、とマルーシャは少しはじらってしまった。
――だって実は、下にヒラヒラを履いてみていたから。
結局ダニールの上着を肩にかけられて、マルーシャは小さい方の寝台に座った。脚は布団の中。心配したのは体調のようだ。ダニールはその前に椅子を持ってきて、隣室でどんな話をしてきたのか教えてくれる。
聞いたマルーシャはため息をもらした。それは顔色も変わるだろう。弟夫婦の行方不明がダニールのせいかもしれないだなんて。
どう言ってあげればいいかと考え、マルーシャはいちばん前向きな言い方を選んだ。
「手がかりが見つかってよかった。これが当たりなら二人を取り戻せそうじゃない?」
なるべくニコニコと言ってみたら、ダニールは妙なものでも見るような顔になった。
「マルーシャ……君は面白いな」
「……あなたに言われるの?」
なんだか心外だ。ダニールの方がよっぽど変わっているのに。不満そうな妻にダニールはまた笑った。
「だってそこは普通、なぐさめるものだろう。よかったと言われるとは」
「なぐさめる……のはもう、ラリサがしてくれたかと思って」
「ああ。相手の性根が暗いだけだから気にするなと言ってた」
「それもまあ、けっこうな言い方ね……」
ダニールにとって他人との会話は未知の領域だらけだ。くだけた仲になればなるほど、模範解答と違うものが出てきて興味深い。
そうか、とダニールは思いあたった。マルーシャは初めから予想を裏切ることばかりだった。だから目がはなせないのかもしれない。
いつだってダニールが考えるよりも良い方へ、嬉しい方へ、明るい方へ導いてくれるマルーシャ――だから、うしないたくない。
「マルーシャ、明日の買い物には僕も行く。一緒に選んでほしい物があるんだ」
「……なあに?」
「うーん、なんだろう。何がいいかな」
選んでほしい物と言ったくせに、その物が決まっていないのか。首をかしげたマルーシャに、ダニールは真剣な表情だった。
「お守りがほしいんだ。ミュシカがいつも、紅い石を身につけているだろう?」
昼間は首飾りにし、夜は寝間着のポケットに入れている。必ず持っているようにと珍しくきつく申し渡してあった。
「あれは僕とつながっている。ミュシカに何かあって僕の追跡を阻害する術を使われても、あれと僕とを断ち切ることはできない」
術、とダニールが言った。
相手のしてくることが、おまじないではなく術の域に達すると考えているのだとマルーシャにもわかった。
「――そのお守りを、私にも?」
「そうだ。元が僕への恨みなら、マルーシャが狙われる可能性がある。僕を苦しめるにはマルーシャを奪うのがいちばんだ」
ダニールはサラリと事実を述べたのだ。もっとも大切なのはマルーシャだと。
だが面と向かってそんなことを言われたらマルーシャはどうすればいい。黙って目をしばたたいていたら、ダニールもそれを見て自分が何を言ったか理解したらしい。突然うろたえはじめた。
「あ……いや、だって、マルーシャは僕の」
「うん……そう。そうね、私あなたの」
照れ照れ照れ。
結婚してもう幾晩も共にすごした。なんなら今朝は腕の中で目覚めたりもしたけれど、まだまだ言い訳が必要なマルーシャとダニール。
くっついて抱きしめて眠っていたのは明け方の冷え込みのせい。朝にはそう二人で言い合った。寄りそい暖かかったのは本当だ。
だけどそろそろ、それも限界かもしれない。
理由なんかいらない。
ただそこにダニールがいるから。マルーシャがいるから。愛おしいから。
「マルーシャ……」
いつもより低いダニールの声に、マルーシャは視線だけで応えた。すると左手を取られる。ふれたのは薬指。
「指輪にしようか。石のついた」
「――うん」
「ちゃんとした物ではなくて急ごしらえの実用品になってしまうけど、ごめん」
「ううん」
ダニールは考え考え、ゆっくり伝えようとした。照れてそらしたくなる目が揺れないよう、こらえる。
「それでも、僕の気持ちはこめるから。僕は、マルーシャとの結婚をお試しで終わらせる気はないよ」
ダニールはうまいことを言える人ではない。そんなことマルーシャは知っている。
マルーシャもうまい言葉などほしくない。だから、ダニールの率直な物言いが嬉しい。
「――うん」
マルーシャはほんの少し震える声でうなずいた。
「私も、ね」
「ああ」
「ずっとダニールの奥さんでいたい」
小さくくちびるを動かして、つぶやくように告白する。恥ずかしくてうつむいてしまった。でも取られたままの左手がクン、と引かれて、そのままダニールの胸におさまる。
強い腕が背中と肩を包んだ。
やわらかく、大切に大切に。
「ありがとう」
かすれる声でささやかれる。
その幸せそうな響きが、マルーシャのことも幸せにした。
* * *
そして朝、ミュシカはかりそめの父と母にはさまれて目を覚ました。
「お父さま……?」
「おはよう、ミュシカ」
ダニールはやや窮屈な寝台で横を向き、ミュシカとその向こうのマルーシャの寝顔をながめていたようだ。とても満ち足りた笑みで。
「ん……」
「マルーシャも、おはよう」
隣でモゾモゾされてマルーシャが薄目を開ける。すぐダニールと視線が合って、ついミュシカの陰に伏せた。寝ぼけ顔を見ないでほしい。
「もう遅い。寝てる顔をずっと見てた」
「悪趣味!」
プイと背を向けて起き上がるマルーシャと声をあげて笑うダニールに、ミュシカはきょとんとした。
お父さまとお母さま、なんだかなかよし?
そう、仲良し。
だってずっと一緒にいると約束したから――だから、慌てて進むこともない。そうダニールは判断した。
旅慣れない、病みあがりの、初々しい妻。そんなものを手折る勇気が出ない。笑われるだろうが。
昨夜はあらためて結婚を誓い合った後、ゆったり抱きしめ、また額に口づけた。
そしてミュシカの隣に導き、自分も着替えて反対側にすべりこんだ。
三人で眠れば暖かい。
そのダニールの気持ちを受けとめて朝まで安眠したマルーシャは起き上がって、ヒラヒラパンツにしていたのを思い出す。先走りすぎた。恥ずかしくて身もだえしそう。
だけど。だけどね。やっぱりダニールのことが好きなんだもの。
「ねえ……」
「ん?」
ダニールに向き直る。
油断しているところに伸び上がり、頬にちゅ、としてやった。ダニールが固まる。間にいたミュシカが両手を口にあて、きゃあ、と言った。
今日も、きっといい日だ。
二人が一緒にいるのだから。
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