29 騎士の本分


「俺がメレルスを探ってくるから、みんなは留守番な」

「えー」


 かわいらしい抗議の声に、イグナートの口はへの字になった。


 ザラエの街に到着したのはもう暗くなってからだった。なのでその日はミュシカもおとなしかったのだが、次の朝には初めての街にそわそわしている。

 おでかけしてもいい? と見上げる視線にイグナートもキュンとなったが、許可するわけにはいかなかい。


「俺は仕事だ。じゃあミュシカの護衛は誰がやる?」

「お父さま……?」

「ブッブー。誰もできませーん。ダニールはメレルスに面が割れてるから外出禁止!」


 悲しい顔のミュシカにそう言い渡すのはかわいそうだが仕方ない。

 ルスラン夫婦の行方をつかみかけていることをメレルスに知られたくなかった。せめてどこに捕らわれているのかぐらい探り出さないと、先に手を打たれたら振り出しに戻ってしまう。


「きょう、ずっとおやどなの?」


 ミュシカはしょぼんとした。

 宿の部屋にこもれというのは元気な子どもには酷かもしれない。わかっているが、マルーシャは言った。


「今日はおまじないの練習しようか」

「うん……」


 冴えない返事にマルーシャは微笑む。


「じゃあファロニアに帰る?」

「……いや」

「そうよね。リージヤさんとルスランさんを見つけるためにミュシカは来たんだもの。なら、我慢できるかな?」

「できる」


 ふんす、と口を結んでミュシカは約束した。子どもの扱いがうまいな、とダニールは感心する。

 マルーシャはだてにおばさんを自認していない。長年近所の子どもたちの面倒を見、あしらってきたのだ。

 ダニールの尊敬の眼差しにマルーシャは振り向いた。


「なあに?」

「あ……なんでもない」

「うん……?」


 わけもなく照れ合う二人を見て、イグナートは仕事に行く自分が馬鹿ばかしくなってきた。ラリサが察して笑う。


「いいじゃないのよ」

「へいへい」


 ひょいと手をあげてイグナートは出ていった。ラリサは黙って見送る。

 言葉は少なくても通じ合う、この先輩夫婦の方をこそマルーシャはうらやましく思っているのだが。

 いつか、こんな風になれるかな。




 * * *




 商人としてのメレルスの評判は、良くも悪くもなかった。あこぎでもなく、かといって世のためになるでもない。

 そんなものでいい。聞き込むイグナートはうなずいた。派手なことをやられて目立つよりは。


 だが人物としてはあまり好かれていないようだ。いわく、得体が知れない。嫉妬深い。意地が悪い。

 どうやら政界に進出したかったのだが失敗した経験があるらしい。以来扱いづらくなったとか。

 その証言に、ん? とイグナートの記憶が引っかかった。


「雨乞い……王都でわかりやすく手柄を立てようとしてやったのか?」


 それを邪魔したのがダニールだ。


「……そういうことか」


 面倒くせえ奴、とイグナートはあきれ果てた。

 だが暗い執念は人を突き動かす。はたから見ればくだらなくても、ロジオン・メレルスにとっては一生の恨みなのだった。



 メレルスの邸は街の中心ではないがそれなりに繁華な場所にあった。

 多くの商店や工房が建ち並び、人通りも多い。邸そのものにも従業員や客の出入りがひんぱんでせわしなかった。


「誘拐、監禁しておくには人の目がありすぎる……」


 すると郊外に所有するという荘園が本命かもしれない。だがそれ以外にも別宅や倉庫などもあるとしたら、調べるのにどれだけかかるか。


「ファロニアからの応援がほしいよ。バーベリさんさっさと来てくれねえかな」


 情けなさそうにつぶやく。

 騎士団の誰かしらと協力してしらみ潰しに。あるいはザラエの街と交渉してメレルスの関係先を一網打尽にできれば。それなら早く確実で安全だ。だが最低あと二日は誰も到着しないはずだった。


「ま、そんなの待ってたらミュシカが泣いちまうし」


 ミュシカは剣を捧げた侯爵の血すじであり、ファロニアを豊かに支える四季の姫なのだ。イグナートが大切にするべきものとしてかなり上位だった。

 それとは関係なく、誰であれ弱い者は助ける、守る。そんなイグナートの誇りは普段のおちゃらけた言動の裏でしっかりと胸にあった。だからこの大通りで出会ったひったくりのことも、素通りはできなかった。


「おっと!」


 逃げて走ってきた男をよけるふりでスイと足を引っかける。すると犯人は勢いのままもんどりうち、追ってきた者らが取り押さえた。

 こちらに耳目が集まる。イグナートは知らん顔でス、と人波にまぎれた。


 ところでイグナートは、ロジオン・メレルスの顔を知らない。人物の評判と邸の場所を探るので今日一日は精いっぱいだった。

 だからわからなかったのだ。

 この時メレルスが邸に戻ろうと通りを歩いていて、騒ぎがあった方をチラリと眺めたことを。

 そしてそこに妖精族の姿を見かけて警戒心を抱いたことを。




 メレルスは見知らぬ妖精族が邸近くにいることに不審を抱いた。

 見た目は人族と変わらないが、そのたたずまい、感じるかすかな力。妖精族だと確信する。


 今メレルスが荘園に閉じこめている女はファロニアの領主ファロン侯爵の娘で、しかも――だとメレルスは信じていた。妖精族がその行方を必死で追っているだろうと思う。

 あのいまいましいダニール・ジートキフを出し抜いて〈シェイディ コン ブラーデレ持ち主へ導け〉を邪魔してみせたのは痛快だった。だがもしかしたら、捜索の手が伸びたのかもしれない。通りで見かけただけとはいえ、その妖精族は何者なのか知る必要があるだろう。

 そこで〈シェイディ コン ケルブ彼我をつなげ〉は使えなかった。遠くから見たにすぎない相手とつながることはさすがにできない。おまじないにも制約があり、何らかの接触が必要なのだった。

 なのでメレルスは地道な方法を選んだ。目と足で、尾行するのだ。




 * * *




「なーんか楽しそうだね、おまえら」


 イグナートが宿に戻ると、部屋でミュシカとダニールが向き合って座っていた。ミュシカはニコニコだが、ダニールは疲れた顔だ。


「僕は、そろそろキツいかな……」

「お父さま、おててあそびへたなの!」


 歌に合わせて決まった仕草で手を合わせる子どもの遊び。横でラリサが苦笑いしているので、たぶんイグナートも家でやらされたことのあるやつだ。意外と難しいんだよな、と同情した。


「今日はそんなことしてたのか」

「いろいろやりましたよ」


 マルーシャもやや疲れた風だった。子どもの相手を一日するというのは、けっこう体力がいる。

 最初はおまじないの復習からだった。だがミュシカはすぐに飽きる。それから宿の中をブラブラし、部屋に戻ってあやとりをし、カードを教えてみたり踊ってみたり。なんとか夕方まで乗りきったというのがマルーシャの正直な感想だった。


「かなりネタ切れです」

「……明日も、頑張ってくれ」

「ううむ……」


 ダニールがうめいた。明日。明日はどうすればいい。

 一時間や二時間おまじないを教えるのとはわけが違った。これまでも一人でミュシカを引き受けたことがあるし問題ないと思っていたが甘かったようだ。そんな時はいつも街や庭園にいられたのだから。街を散歩していれば、ミュシカの気を引く物がそこらにあふれているのだし。


「こんなに外に出たくなるなんて、生まれて初めてかもしれないよ……」

「そうよねえ。あしたはおそとにいこうよ、お父さま」


 便乗しておねだりされるが、そういうわけにはいかない。


「我慢しましょうねミュシカ」


 微笑んでたしなめながら、マルーシャも実はほとほと困ってしまっていた。


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