13 痛いの痛いの
派手に転んだのは女の子だった。ミュシカよりも幼い。兄たちについて懸命に走っていたのだろうが、しゃくりあげ始める。
「だいじょうぶ? 痛かったわね」
マルーシャは隣にしゃがんで声をかけた。膝と手を少しすりむいている。
「あーもう、なにやってんだよ」
「また転んだあ。おまえすぐ泣くし」
戻ってきた兄たちがブツブツ言って、女の子はさらに泣き出してしまった。これだから男の子は、とマルーシャはため息をつく。怪我はたいしたことないのに。
「あーひどいんだ。そんなこというから、ないちゃうのよ!」
「なんだよ、おまえ!」
隣に追いついたミュシカが言い合いをはじめた。泣いている女の子をのぞきこんで話しかける。
「おにいちゃんたち、わるい子ね。いやなら、わたしのうちの子になる?」
「ちょっとミュシカ」
ひょいひょい子どもを増やさないでほしい。この兄たちには言ってやらなきゃいけないけれど。
「あなたたちだって、ついこの間まで小さかったのよ? 自分より小さい子の面倒もみられないなんてカッコ悪いんじゃないかなあ」
「えー……」
ふくれっ面になる男の子たちはおいておき、マルーシャは泣きじゃくる女の子に手を出した。
「ほら、おうちに帰ろうね。痛くなくなるおまじないしてあげる。
マルーシャの手のひらが温かくなった。
ふわ、と何かがあふれる。やった本人も驚いたが、横にいたラリサもそれを感じ、ハッとなった。
「……いたくない」
女の子がきょとんとする。いきなり痛みがなくなってびっくりしたようだ。
マルーシャはうろたえた。
これは、母から教わったおまじない。でもこれまで本当に痛みが消え失せるようなことはなかったのに。
「あらおまじないが効いたのね。でも傷はあるんだから、おうちに帰ったら手当してもらうのよ。こら、お兄ちゃんたち。ちゃんとこの子を連れて帰りなさい?」
ラリサは何食わぬ顔で子どもたちを遠ざけた。帰っていく子どもたちが妹の手を引いていることに安心しつつ、茫然とするマルーシャを振り向く。
「今の……妖精のおまじないよ」
「……子どもの頃、習ったの」
「きれいに効いたわね」
マルーシャは自分の手のひらを見つめた。どうしていきなり。
「お母さまのおまじない、とってもやさしかったねえ」
ミュシカがぎゅ、と抱きついて言った。ほめてくれているのかもしれない。夢見心地のままマルーシャはその頭をなでた。
「私、おまじない使えるのね……」
「お母さまのちから、つよいよ?」
当然の顔で言われてマルーシャは困ってしまった。そんなの、わからない。
そこにダニールとイグナートが歩いてくる。もう買い物終了とみて合流したのだ。
「迎えに来たよマルーシャ」
「ダニール」
穏やかに微笑むダニールは、戸惑った様子のマルーシャを見て首を傾げた。
* * *
宿の食堂で夕食をいただき、部屋に戻る途中もダニールは少し悲しそうだった。それをうっとうしげに見てイグナートがつぶやく。
「しつっこいな、こいつ」
「だってマルーシャの初めてのおまじないを見逃したんだよ……」
町の子どもたちと何があったのか聞いて、ずっとこうだった。
ダニールは、妖精の力に目覚めたマルーシャの記録を取りたかったのだ。それに失敗して研究者として落ち込んでいる。でもそうと言わないものだからマルーシャは困ってしまっていた。わけがわからない。イグナートも面倒くさそうに首を振った。
「もっと大事な初めてがあるだろうが」
聞き取れないほどの声でボソッと言われてマルーシャの息が止まった。ダニールの耳にも届いたらしく、背中がピキンとなる。
そう、これから夫婦として迎える初めての夜が来る。というか来ている。
すでに日は暮れ、食事も済ませ、後は就寝のしたくをして寝るだけ。
だけ。
じゃない。そこが大問題だ。
マルーシャもダニールも、どうすればいいやらわからないのだった。
「じゃあミュシカ、今日は私たちと寝ましょうね」
「おう、せっかく一緒に旅行なのにずっとダニールと寝てたもんな」
おせっかいな先輩夫婦はミュシカを誘った。新米夫婦を二人きりにするつもりらしい。ちゃくちゃくと追い込まれていくようでマルーシャはおろおろした。
でも突然の提案にミュシカは小首をかしげる。
「どうして?」
「だってさ、たまには俺もミュシカと一緒がいいよ。今日はマルーシャちゃんがいるからダニールも一人じゃないし」
「うちの子たちと離れてて、ちょっと寂しいな、て思ってたの。どう、ミュシカ?」
抱き上げようとするラリサの腕を、ミュシカは嫌がった。
「わたし、お母さまとねたい」
う、とラリサの手が止まる。ミュシカにとってもマルーシャとの初めての夜だ。甘えん坊で寂しがりの少女にしてみれば当然の要求。はねつけにくい。
ミュシカはきゅ、と仮の両親の手を握った。
「お父さまとお母さまと、ねるの」
* * *
ミュシカの言い分に負けて、今夜の部屋割りは家族ごとになった。
二人きりじゃないとはいえ、マルーシャもダニールも緊張の極致にある。ミュシカ一人がご機嫌だ。
「――」
ろくに言葉を交わすこともできず、無言だ。
「お母しゃま、ヒラヒラは?」
「あああ、それはいいのよ」
さっぱりして気持ちよくなったミュシカはそろそろ眠いのかもしれない。舌たらずにとろんとし始めたが、昼間の買い物を思い出したようだ。マルーシャはとんとんと背をなでてなだめ、口を封じた。
ごめんなさいラリサ。勇気が出ないから、今夜はかぼちゃパンツ。
「ひらひら……?」
聞きつけて気になったのか、ダニールがつぶやいた。マルーシャはあわあわして何も言えなくなる。どうしてそんなところに食いつくの。
だけどいちおう、寝間着だけはラリサが選んだ新しいものを身に着けた。何があるとか別に期待していないけど、万が一のため。「エイ、てできる気がしない」と言われたダニールに恥をかかせるわけには。いえ、これなんの言い訳なの? もうマルーシャもわけがわからなくなっている。
「お母しゃま、ねよ」
ミュシカは当たり前に夫婦用の大きめな寝台にもぐりこんだ。それと別に、この部屋には一人用の寝台もある。
「え。えーと……」
マルーシャは手を引かれながらさすがにダニールを振り返った。常識的にはこちらがマルーシャとダニールなのだが。
困った視線を送られたダニールも迷った。思い起こせばミュシカは旅の間ずっと、こういう寝台でダニールにくっついて寝ていた。一人にすると夜中にぐずることもある。
ええい仕方ない、ミュシカが寝ついたらマルーシャとの時間が取れるだろう。そこでどうするかは、流れだ。
「ミュシカ、今日はマルーシャと寝たいのか」
「お父しゃまも」
ん?
――ミュシカの要求は、三人一緒に寝る、だったようだ。
うとうとする娘をはさんで向かい合い、三人でやや窮屈に横になる。
鼓動がうるさくてミュシカが眠れないのではとマルーシャは心配した。それでもミュシカはトロトロしている。
マルーシャの緊張がわかったのだろうか、ダニールは苦笑いで片手を伸ばした。
ぽんぽん。
ミュシカではなくマルーシャの頭を優しくなでて、ダニールは微笑んだ。この状態も、なんだか幸せだ。でも。
――ミュシカ、早く寝なさい。
そう願っても許されるよな、とは思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます