30 骨は語る

「預からせてもらうね」


 紫蓮シレンコウから依頼の骨を受け取る。


 風呂敷につつまれた骨は重かった。魂の重さは約五銭(21グラム)という。

 書物によれば、死後は魂が抜けるため、肉体は軽くなるのだとか。骨になってしまえば、さらに重さはなくなるはずだ。だが紫蓮にとっては死んだものたちはいつだって、重い。

 命あるときにつみ重ねてきた経験が、想いが、なくなるわけではないからだ。


「ここにいても、構いませんか? 骨をどんなふうに復元するのか、興味があります。迷惑でなければ、なのですが」


「後ろから抱きついてきたりしないのなら、いいよ」


 紫蓮は風呂敷から骨を取りだして、ひとつひとつ、ならべていく。


 人間は、二百六個もの骨でできている。

 依頼された遺骨は細かい部分はかなり減っていたが、重要な骨は揃っていた。とくに頭蓋骨はきれいだ。

 腐敗する危険のある遺体を扱うときは窓の帳をおろして日を避けるが、このたびはそうではない。傾きはじめた午後の日差しに照らされた骨は白かった。藻がむして、緑がかっているところもある。


「ほんとうにここから、身元が特定できるほどに復元することが可能なのですか」


 ならんだ骨をみて、絳がわずかに眉を曇らせる。紫蓮の腕を疑っている、というよりは現実にそんな奇跡じみたことができるのかという不安感が漂っていた。


「復元というよりは、復顔ふくがんかな」


 頭蓋骨を持ちあげる。


「顎がかけていたりすると、難しくなるのだけれど、この頭蓋骨はきれいに残っているから、ちゃんとよみがえらせることができるとおもうよ」


 頭蓋骨だけではなく、ひとつひとつの骨を細部まで確めていく。かたちはどうか。硬いか、脆いか。骨折した痕はあるか。


「彼女は知命ちめい(五十歳)になったばかりだね」

「もうわかったのですか。彼女ということは、女人にょにんだったのですね」


 コウはそもそも、この骨が男か女かも識別できていなかったらしい。紫蓮シレン髑髏しゃれこうべの眼窩から顎の輪郭までを指でなぞりながら、続ける。


「眼窩はまるみを帯びていて、顎は細く、輪郭がやや角ばっているね。由緒ある家の育ちだったのかな」


「身分によって、骨に違いがあるのですか」


「幼少期から食べている物によっても、骨格には違いがでてくるからね。貧しい民は顎がふとくて頬骨が横に張りだす――これは小麦ではなく、硬い雑穀ばかりを食べているせいだね。地域によって肉を食べることがあっても、野生の雉とか鳩、猪あたりだ」


「確かに地方では男女ともに骨格からして、がっちりとしていますね」


「良家はやわらかい穀物を好み、時間をかけて調理する。小麦を練って包子を蒸したり麺にしたりね。だから顎が発達せず、細くなりやすい。とくに骨格は遺伝するからね。家柄、といったのはそのせいだよ」


「貧しい家に育ったものが身をたてて富を築くというのはきわめて希ですが、先祖が豊かであれば、子孫もまた裕福な暮らしが続けていけるものですからね」


「まあ、貧しすぎると、こんどは粥ばかりを食べだして顎が細るから、一概には言えないのだけれどね。ただ、ちゃんとした食が取れていなければ、栄養失調になって骨が脆くなる。彼女は骨が硬くてしっかりとしているから、豊かで、毎食食べられていたことはあきらかだ」


「やはり、裕福な身分だったと推測できるわけですね。そうなると、妃妾でしょうか」


「いや、妃妾きしょうだとはおもえないね。彼女はずいぶんと働きものだったみたいだよ」


「なぜ、そんなことが」


骨棘こくきょくがあるんだよ。これは日頃から関節部に負荷をかけすぎていることで起こる骨の変形でね、外骨腫がいこつしゅともいう。ほら、このあたり、棘みたいになっているだろう? 彼女には、こうした骨棘が大腿骨、上腕骨、腰椎ようついにある。妃妾がこんなふうになるほど、後宮のなかで働いているとはおもえないな」


 妃妾によっては織物などするものもいるが、これはあきらかに重い荷を持ったり掃除洗濯をしていた骨だ。


「女官ということですか」


「続いて、顎のところをみてもらえるかな。食い縛りのくせが残っている。日頃から思いなやむことがあった証だよ。士族しぞくの産まれで責任のある重職についていたとなれば、命婦じゃないかな」


 紫蓮シレンは針を取りだして、頭蓋骨に刺していった。額、頬骨、鼻、顎と針の高さを確認して、これくらいかなとあたりをつける。


「これはいったい、なにをなさっているのですか」


「筋肉や脂肪の厚みを推定して、杭をつけておくんだよ。眼窩には義眼をはめて」


靑靑ショウショウだったら、この段階で悲鳴のひとつやふたつはあげていそうですね」


 紫蓮シレンは一度退室して、くりやから温めておいた粘土を持ってきた。


「粘土で顔を造るのですか」


 コウは意外そうに眼を見張った。


 復顔ふくがんは造形だ。特殊化粧ともいう。

 紫蓮は針を参考にしながら、頭蓋骨に直接、表情筋をかたどった粘土を張りつけていった。頬骨、額の骨からなめらかな線をえがき、鼻のかたちを造っていく。


「鼻の軟骨が残っていないのに、どうやって復元するのですか」


前鼻棘ぜんびきょくを参考するんだよ」


 上顎から突きだした骨の小さな突起部分を指す。


「前鼻棘と鼻骨とを結んで、輪郭を割りだせば、おおよそのかたちがわかる。あとは鼻腔の幅かな。鼻ひとつから推察しても、彼女は器量よしだったとおもうよ」


 ついでに骨格をみれば、肥りやすいか、痩せやすいか。肥満すると、どこに脂肪がつくのかまで推測できる。


「彼女は脚の骨がきれいだった。知命になっても、大腿骨の頭がつぶれていないということは肥ってはいなかったんじゃないかな」


 紫蓮シレンはつらつらと喋りながら、復元を続ける。


 倚子に腰かけたコウは終始、真剣な眼差しをして復顔の工程を観ていた。

 彼がなにを考え、側にいるのか、紫蓮にはいまだに理解ができない。死にまつわる職に興味を持つなんて、ふつうでは考えられないことだ。かといって、監視というわけでもない。

 好奇心ならば、ほんとうにたいそうな奇人だ。


 だが、彼の視線は好奇心というには熱心すぎた。


「きみの眼は、死を見慣れているね。慣れ親しんでいるといってもいいくらいだ」


 骨に触れる紫蓮の指を追いかけていた絳の視線が、微かにあがる。紫蓮と絳の視線が絡んで、すっとほどかれた。


刑部省けいぶしょう官吏かんりなどしていると、死にも慣れるものですよ」


 ああ、また、嘘だ。


 紫蓮には、嘘がわかる。

 正確には絳のそれは、嘘ではない。表むきの事実をいって、真実をふせている、というだけだ。


 ほんとうに底の知れない男だ。


 紫蓮はため息をついて、復元に意識を集中させた。あとは絳にむかって喋ることはなく、ときどき骨になってしまった彼女に語りかけるばかりとなった。


「無理をして、働き続けてきたんだね。ほんとうにお疲れさま。これからは、ゆるりとやすめばいいよ」


 棘だらけの骨をなでさする。


 どれくらい経っただろうか。

 紫蓮シレンがひと息ついて、顔をあげれば、すっかりと日が落ちていた。コウが気遣って燈してくれたのか、壁ぎわにおかれた燭火が燃えている。お陰で晩になったこともわからないほどに没頭することができた。


 絳は倚子いすに腰かけ、頬杖をついていた。


「眠っているのかな」


 物腰穏やかに振る舞いながら、絶えず神経を張りつめている男が、こんなふうに寝入るなんて意外だった。


 息をころして覗きこむ。

 ふせられたまつげ。ひき結ばれた唇。微動だともせず、まさか、呼吸をしていないのではないかと疑うほどの静けさだ。

 よほどに疲れていたのだろう。

 離宮にきたとき、コウは髪がわずかに濡れていた。身をきよめて官服かんふくも新しい物に取り替えてきたのだろうが、微かに死臭が残っている。

 推察するに、骨はすでに破棄されていて風葬地ふうそうちあたりから拾ってきたのではないか。


「ほんとうに愚かだねえ、きみは。でも、その愚かさが、僕はときどき……きらいじゃないよ」


 好きだとはいわなかった。

 コウは奇妙な男だ。義心や善心だけで動いているとは想えないが、貫いても損にしかならないような条理を徹そうとする愚かなところがある。


 死にいそいでいる、というべきか。


 ふと絡んでいた睫がほどかれ、絳が眼をあけた。

 寝ぼけているのか、彼は一瞬だけ、紫蓮にむかって腕を伸ばしかけて――すぐに意識を取りもどして、やめる。


「できたよ」


 紫蓮がいつもどおりに微笑みかけた。


 絳は視線を動かして、紫蓮の背後にあるものをみた。瞬間、息をのむ。しばらく言葉を絶していたが、やがて彼はつぶやいた。


「――――奇蹟だ」


 たったいま、息をひき取ったばかりというような。

 安らかなしたいが横たえられていた。

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