22 獄舎のなかの睡蓮
うす昏い
獄舎の
「っ」
背を打ち据えられ、彼女は微かに細い呻きを洩らした。だが意地でも悲鳴はあげない。
「あいかわらず、懲りねぇやつだな、おまえはよ」
「なにを訴えたかったのかは知らねえが、口は
「ついでに死人に口なしともいうね」
「彼らの声を聴けるのは僕だけだ。語られたら、語る。それだけのことだよ」
「そんで、おまえが死にかけてんだから、笑えるよな」
またひとつ、
「っ……やれやれ、知りあいのよしみで、ちょっとくらいは加減して、くれない、かな?
「はっ、他の奴らは知らねえが、あいにくと俺は銭を積まれようが、情に訴えかけられようが、恩赦は与えねぇときめてんだよ」
「わかっているよ。きみは、そういう男だね」
「日頃からお偉いぶって俺らを蔑んでやがる士族様や高官どもでも、獄舎にくると賄賂を差しだして、狗みたいにすり寄ってきやがる。それを踏みにじって
彼は
「それにしても、憤怒を漲らせた
紫蓮が
「……きれいだったよ」
日の差さない
「彼女の怒りはとても、きれいだったんだよ」
呪縛に強いられた微笑なんかより、ずっと。
「はっ、いっちょまえに芸術家気取りかよ。それともなんだ、真実をあきらかにするとかいう
「そんなのじゃないさ、僕はただ……」
紫蓮はそういいかけたが、強い打撃に襲われて息がつまり、言葉にはならなかった。
✦
「いったいなぜ、
署に帰るなり、
「
「ですからなぜ、後宮の妃の処分を、刑部尚書にひき渡したのですか。妃の処分は
刑吏たちの視線は冷たかった。絳にたいする反感が
「取り調べはしたんですか」
「さあ」
「
「おそらくは」
まったく埒があかない。獄舎にいって真実を確かめなければ。
「
「あ、あの。僕も、ついていっても」
「
絳は靑靑の腕を振りほどいた。靑靑は純朴だ。宮廷の底を知るにはまだ、若すぎる。
暗雲から落ちた雨垂れがひとつ、
…………
雷鳴が轟き、獄舎の罅割れた土壁を微かに震わせる。雨洩りが絶えない獄舎のなかは
ここは宮廷の掃きだめだ。
放りこまれてしまえば、卑賎な宦官でも高貴な官吏でも変わらず、家畜同等の扱いをうける。だから士族などは獄舎に収容されるまでに賄賂をつかい、免罪を試みる。もっとも
呻き声や悲鳴が反響する廊を進み、絳は
「
懲罰房だ。
「紫蓮」
服が破れて剥きだしになった背には、傷ましい
だが、絳の視線を奪ったのはその
差しだすように項垂れた
魅入られていたのは一瞬だけ、だった、はずだ。事実、
「あン?
「っと、いまは
「刑は終わりましたか」
「無視かよ。久し振りに幼なじみと逢ったってのに、つれねぇのな。それか、なんだ、お偉くなったら俺みたいなのとは喋りたくもねえってか」
「終わったのであれば、彼女の身柄をひき取りたいのですが」
「いや、まだ、はじまったばっかりだ」
絳が眉根を寄せた。紫蓮はすでに息も絶え絶えで、なかば気絶しているというのに。
「牢屋に捕らえて日に一度、
「そんな。男ならばまだしも、幼い
「へい、きだよ。殺されることは、ないからね。風に毒されないよう、ひと通り処置はしてもらえる」
諦めたような言葉を聴くだけでも、これまで
語られたことを、語るだけだ。
彼女はそういっていたが、そのためにどれほどの危険をおかしてきたのか。絳には想像を絶していた。
「琅邪、しばらくふたりにしてくれますか」
絳は袖から取りだした麻袋を琅邪に渡す。なかみは
「はん、しょうがねえな」
琅邪はそれを懐に収めて、退室した。
肌がすりきれて、赤い痕になっている。
「なにが、あったのですか」
紫蓮が訳もなく屍を損壊するはずがない。誰よりも屍を愛している彼女なのだから。
紫蓮は身を起こしてから、細々と語りだした。
「死化粧というのは微笑んでいる顔に修復することがもとめられる。遺族が穏やかに
紫蓮は
「怒りの
想像だにしていなかったことに絳は微かに眉の端を動かしたが、なぜ、そんなことを、とは想わなかった。
「怒らずにはいられない真実が、あったのですね?」
信頼ではなく、紫蓮にたいする確かな理解があった。
「
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