21 後宮の堀からあがった人骨

 サイの後宮は堀にかこまれている。


 宮廷から後宮に渡る橋はひとつだけで、朝から晩まで衛官えいかんがつき見張りをしていた。後宮がひらかれたいま、高官たちに紛れて部外者が侵入する危険もあり、妃妾ひしょうたちをまもるために厳重な監視が続けられている。もっともそれは表向きで、女官や妃妾ひしょうが結ばれぬ想いびとを追いかけて後宮から抜けださないための対策でもあった。


 そんな後宮の堀では五年に一度の大掃除がおこなわれていた。

 後宮丞こうきゅうじょうであるコウは、堀から大変なものがあがったと連絡を受け、靑靑ショウショウを連れて現場にかけつけたところだった。


「後宮丞、こちらが堀からあがったものです」


 伝達にきた宦官かんがんが陳列されたものを指す。


「人骨、ですか」


 頭蓋骨から肋骨、大腿骨だいたいこつ、おおよそ人ひとりぶんの骨がそろっていた。腕の骨などはまだ、あがっていないらしい。


 コウの後ろにいた靑靑ショウショウはひえぇっと悲鳴をあげて縮こまる。袖をつかまれた絳があきれてため息をついた。


「あなた、骨まで怖いのですか」


「だ、だって、未練を残した髑髏しゃれこうべは喋ったり、嗤ったりするというではありませんか。こんな堀に落ちて死んだら、事件であれ、事故であれ、未練が残るにきまっています」


「声帯もないのに、どうやって喋るんですか。まったく」


 靑靑はすっかりと臆病風に吹かれている。純朴すぎるというのも考えものだ。

 ほかの宦官が「また骨があがったぞ」と声をあげる。伝達係の宦官は絳に頭をさげてから、堀にむかった。


 その場には絳と靑靑が残される。


「ご存命だったときは女官だったのでしょうか。それとも宦官とか。妃妾ということはさすがにないですかね。あ、でも、骨になってしまったら調べようがないですよね」


 怖がりつつ、靑靑ショウショウなりに調査しようという気概はあるらしかった。

 あらためて絳は骨の状態を確認する。骨になっている段階で死後一年から二年は経っていると推定される。水のなかにあるしたいは陸とくらべて腐敗が緩やかになるが、かに小蝦ざりがにがいる堀ではそのかぎりではない。


「服も残っていませんし、骨から個人を識別することは不可能でしょうね。この五年間に後宮で失踪し発見されなかったものがいないか、調べさせているところです」


「そんなことまで記録に残っているんですか」


「ここは後宮ですよ。妃妾も女官も宦官も紐をつけられ、管理されています。後宮から失踪したものがいれば、すぐに捜索されます。連れもどされたり、すでに死んでいたり、結果はまちまちですが」


 そこまで言いかけて、コウが言葉を切る。

 朝から慌ただしくしていたため、気づかなかったが、昨晩泣いていたことはあきらかだ。思いあたるところがあり、コウは声を落として語りかけた。


「……ご親族が逝去されたとか。葬礼にも参列させてやれませんでしたね。便宜をはかれれば、よかったのですが」


 後宮とは踏みこめば抜けだせない華の篭だが、妃妾には皇帝の御渡りや下賜かしという望みが、女官には年季がある。宦官かんがんだけが、死ぬまでここに縛りつけられる。後宮から放りだされたら宦官にはいくあてがない。男の物を切除し子孫を残せない宦官はすでに男ではなく、巷では人扱いもされないためだ。


 だが、宮廷においては、男ではない宦官こそがもとめられる。加えて、宦官にはある特権があった。


「とんでもないです。宦官として宮廷にあがるときにわかっていたことですから」


「ですが、あなたは罪をおかして宮刑きゅうけいとなったわけではないのに」


 昔は宦官かんがんといえば、罪人や親の罪を負った子孫がなるものだったが、昨今は靑靑ショウショウのように良家の男児が志願して宦官となる例もあった。


 前提として、宮廷で官職につくには科挙試験かきょしけんに合格する必要がある。

 だが、試験は受けるだけでも、莫大な受験費がかかる。

 宮廷に勤めるだけあって宦官には有能なものもいたが、いかに能力があっても個人の財をもたない宦官の身では試験を受けることはできない。この格差を問題視した先帝は、宦官にかぎり無償で受験ができるよう、制度を改正した。


 しかしながら事態は、先帝の意とは異なるほうに進んでいった。


 家督かとくを継ぐことのない三男、四男を宦官にして宮にあげ、受験させて、官職につかせようとする貧乏士族が後を絶たなくなったのだ。


 靑靑もまた親から宦官になることを強いられた身だ。新たな制度の犠牲者ともいえる。


「宦官は家畜です。家畜が葬列にならぶでしょうか。だからぼくはだいじょうぶです」

「誰に言われましたか」


 靑靑ショウショウらしからぬ自虐に絳が眼をとがらせた。

 靑靑はうつむいて、黙する。


 はじめに靑靑とあったとき、彼は傷だらけだった。宦官になったばかりの男児を虐げる悪辣な宦官がいたせいだ。

 絳が拾っていなければ、今頃どうなっていたことか。


(陛下)


 絳は胸のうちで、今は亡き先帝に語りかける。


(あなたはたいそう慈悲ぶかく、絶えず弱き者の側で物事を考え続けてきた。ですが、弱者のなかには更なる弱者を喰い物にする狡猾こうかつな輩がいるということを、あなたはご存じなかったのでしょうね)


 刑部官吏けいぶかんりが報告にやってきたのをみて、絳は思考を絶つ。


コウ様、確認したのですが、調べたかぎりですと、後宮で失踪したきり消息を絶っているものはおりませんでした」


「左様ですか、御苦労」


 官吏かんりは袖を掲げて低頭し、去る。

 思惑がはずれた。コウは顎に指をかけ、考えこむ。


「後宮で失踪したものがいない、となれば、人骨の身元を捜すのはさらに難しくなりましたね」


「なら、後宮に渡ってきた高官が落ちたとか」


「後宮に渡れるのはよほどに身分の高い官吏だけです。そんな官吏が後宮で失踪すれば、それこそ大規模な捜索がおこなわれるでしょう。監視を掻い潜り、後宮に侵入していたものがいたか、あるいは」


 侵入者だとすれば、刺客という線が強くなる。皇帝の死ともなにか、つながりがあるのではないか。コウはそこまで考えて、頭を振った。


「憶測では語れませんね」


「でも、こんな骨から身元を割りだすなんて、無理ですよ」


「彼女ならば、できるかもしれません」


 しかばねに語りかける姑娘むすめの姿が、頭に過ぎる。紫の睡蓮が、ふわりと咲き誇った。

 今頃は親友だと語っていた琉璃ルリの死化粧が終わり、一段落ついているはずだ。あんな死斑だらけのしたいでも、紫蓮はきれいに葬ったのだろうと想像する。死化粧を施すところがみられなかったのが残念だ。


スイ紫蓮シレンに依頼しましょう」


妖妃ようひ、ですか」


 靑靑ショウショウが表情を曇らせた。彼は妖妃ようひを怖れている。だからかとおもったが、どうにも様子が違った。


スイ紫蓮シレンは依頼されたしたいを損壊されたという疑いで、今朝がた獄舎に連れていかれました。コウ様にはまだ、報告されていなかったのですね」


「なんだって」


 がらにでもなく、絳はさっと青ざめた。

 綏紫蓮が屍を損壊するはずがない。損壊させたと誤解されるようなことがあったとすれば、重大な事情があるに違いなかった。検視の結果、導きだされた真実を訴えたかったのではないか。

 だが、彼女が語る真実に耳を傾けるものが、この後宮にいるだろうか。絳は眉根を寄せ、黙って踵をかえす。


「こ、絳様」


 靑靑ショウショウが慌ててついてくる。

 濡れた風が吹きつけてきた。まもなく、嵐になる。

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