24 死神の凄み

 時をおなじくして獄舎ごくしゃの裏では若い宦官かんがんが傘も差さず、窓から聴こえる会話に耳をそばだてていた。

 靑靑ショウショウである。

 彼には才能や特技といえるものがなかったが、耳だけは昔からよかった。だから酷い嵐のなかでも、コウ紫蓮シレンが喋っている内容を聴きとることができた。


 次第に靑靑ショウショウの眼から涙があふれてくる。


琉璃ルリねえ……」


 涙はこぼれたそばから雨にまぎれる。


琉璃ルリねえが殺されたなんて」


 サイ宦官かんがんせいを持たない。子孫を残すことがないためだ。靑靑ショウショウは宦官となるまでは、姓を名乗っていた。胡家の五男であり―― 琉璃ルリの、実弟にあたる。


「なんで」


 琉璃ルリは芸事こそ不得手だったが、頭がよく働き者で、心根の優しい姑娘ひとだった。靑靑ショウショウはそんな姐のことを、幼い時分から慕っていた。

 だが、靑靑が八歳になったころ、あねは後宮へとあがることがきまった。

 ちょっとばかりさみしかったが、これで妃として華やかに暮らせるだろうとおもっていた。胡家の邸にいたときは、病弱であるにもかかわらず、女官と変わらないような扱いを受けていたからだ。


 父親いわく、女は家族につくすものだと。


 そのあと、中都督ちゅうととくという高貴な身分の武官に嫁いだと報らされ、ほんとうに嬉しかった。愛されて、幸せになってくれることを、幼心ながらに願っていた。


 姐は幸せになるべきひとだった。


 それなのに、姐は死んだ。


「殴られて、殺されたんだよ」「夫だろうね」


 紫蓮シレンの落ちついた声が、鼓膜に突き刺さって抜けなかった。

 靑靑ショウショウは頭を殴りつけられたかのようにふらつきながら、よろよろと獄舎を後にした。


 泣きながら、何処をどう進んだのか。気づけば靑靑は宮廷の門にまできていた。

 宦官になったばかりのときは、不条理な侮辱を受けたり暴力を振るわれるたびに門まできては、ここを越えた都には姐がいて幸せに暮らしているのだと想いを馳せていた。


 優秀な官職について、いつかは胸を張ってねえに逢いにいくんだ。


 それだけで靑靑ショウショウはどんな苦境だろうと乗り越えられる気がした。

 だが、この門を越えても、もう姐は何処にもいないのだ。


琉璃ルリねえ、僕は……これから、どうしたら」


 その時だ。

 嵐をつんざいて、女たちの喚声が聞こえてきた。


「奥様は殺されたんです」


「旦那様は日頃から奥様を殴ったり、蹴ったり」


「ほんとはずっと、みてた。でも、いえなかったんです。女官ごときにどうやって旦那様をとめることができるでしょうか」


 靑靑は慌てて塞がれた門のすきまに耳をあてた。口振りからして中都督の邸で雇われた女官たちだ。彼女たちは声を張りあげて、懸命に訴える。


「奥様の死に顔をみて、いてもたってもいられなくなって」


「どうか、刑部尚書けいぶしょうしょ様に事実をお伝えください」


「奥様を殺めた罪は、裁かれるべきです」


 だが衛官えいかんは女官たちを拒絶する。


「黙れ! 女官の訴えなどいちいち、刑部尚書様に通せるか」


 きゃあと声が聴こえて、女官たちが衛官に突きとばされたことがわかった。靑靑ショウショウはどうしようと青ざめる。衛官は端からまともに取りあうつもりがないのだ。

 コウが語っていた言葉を想いだす。現場にいたものたちの証言があれば、胡琉璃の殴殺を立証できる、と彼は確かにいっていた。


 靑靑は一縷の望みをかけ、絳を捜しにいった。


 …………


コウ様!」


 コウ獄舎ごくしゃ院子なかにわにいた。院子の日陰に咲き残る梔子くちなしを眺め、項垂れていたコウ靑靑ショウショウの声に振りかえる。


靑靑ショウショウ、なぜ、ここに」

「絳様、大変なことが。宮廷の門に中都督ちゅうととくやしきで働く女官たちが押しかけて、 琉璃ルリは殺されたのだと訴えています」


 コウが眼を見張る。睛眸せいぼうの底でぐらりと火が燃えた。


「衛官は女官たちの話も聞かず、追いかえそうとしています。絳様、どうか彼女たちの証言を取りついで、真実をあきらかにしてください!」


 懸命に訴える靑靑ショウショウをみて、絳は眉の端をあげた。


「ああ、そうか。あなたは宦官かんがんとなるまではせい、でしたね。よくある姓だとおもっていましたが」


「そうです。 琉璃ルリは僕のあねです」


 靑靑ショウショウは濡れた石畳に膝をつき、頭をさげた。


「どうかあねの無念を晴らしてください! 姐を苦しめ、あげくに命を奪った男に報いを受けさせてください!」


 絳が息をのむ。

 靑靑の眼からはとめどなく涙がこぼれた。

 悔しかった。哀しかった。ただ、ただ、腹だたしかった。

 権力をもった武官の罪を公表して糾弾することがどれほど難しいか、靑靑だって理解してはいる。それでも。


「あなたの想いはわかりました」


 靑靑の胸で吹き荒れる激情を、確かに預かったとばかりに絳は彼の震える背に触れる。


「あとは私に任せなさい。罪人はかならず、裁きます。たとえそれがどんな身分も、いかなるものであろうと。罪の重さに違いはないのですから」


 罪を罪として扱い、平等に裁く。宮廷ではそんなことがとてつもなく難しかった。

 進むさきが嵐になると知って振りかえらずに進んでいく絳の背は頼もしい。それでいて、不穏なものを感じるのはなぜだろうか。


 さながら、罪人のくびを落とさんとする死神のような。

 奇妙な凄みが漂っている。


 だが、絶望する靑靑ショウショウにとって、その凄みほど心強いものはなかった。

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