5  奇人官吏は埋葬された罪をあばく

 招かざる客が帰り、離宮はしんと静まりかえっていた。

 紫蓮シレンは剥きだしになっていたオウ妃の眼に指をそえて、瞼をおろす。


「つらかったね。ゆるりとお眠りよ」


 続けて、紫蓮は水桶を持ってきた。

 硬く絞ったきぬで、黄妃の肌についた血潮を拭き、髪にまとわりついた汚れを濯いだ。もうひとつの女官の屍の死化粧も途中だが、あちらはすでに洗い清め、傷まないように処理をしてある。

 そうなると、さきにするべきは黄妃の屍の処置だ。

 したいを清めていく姑娘むすめの手つきはいたわりに満ちている。


「ずいぶんと変わった官人かんとだったね。たいていの官人は、僕なんかとは喋ることもいやがるものだというのに。興が乗って、ちょっとばかり喋りすぎてしまったよ」


 櫛で髪を梳きながら、紫蓮シレンは独りごとをつぶやいた。


「聴かれたら語るのが筋というものだからね」


 しかばねは語るものだ。

 いつ、どうして、いかなる死にかたをしたのか。恨んでいるのか、嘆いているのか、悔やんでいるのか。つまびらかに教えてくれる。

 彼女らは静かだが、雄弁だ。そして、嘘をつかない。


 紫蓮はこれまで屍たちの訴える真実を官吏たちに語ってきたが、耳を傾けようとするものはいなかった。


 それにたいする憤りはない。

 はなから、そういうものだと諦めているから。

 紫蓮は清拭せいしきを終え、髪を洗うにあたって外しておいた黄妃の耳飾りをつけなおす。耳飾りは左側にひとつだけ。


「耳飾りのかたわれは、例の女官がもっているのだろう?」


 後宮丞こうきょうじょうの視線が教えてくれた。

 彼は耳飾りをみつめ、なにかを想いだすように眼を動かした。そろいの耳飾りをみたことがあるという証だ。


「まあ、でも」


 諦めを滲ませて、紫蓮シレンは微笑む。


「けっきょくは話を聴いただけで終わるだろう。僕はそれでも、構わない。構わないことだけれどね」


 死刑が確定した罪人とは面会できない。後宮丞はそう言った。


「もっとも冤罪えんざいだとわかり、彼女が放免されれば、話は別ですが――」


 最後につけ加えた言葉には妙な含みがあったが、再調査したところで大理少卿だいりしょうけいを摘発することは難しいだろう。


 そもそも、再調査しても、彼に利得がない。

 宮廷ここは収拾した事件の真実を剔抉てっけつして、真犯人を逮捕することが功績となるようなところではなかった。


 女官を死刑に処したほうが大理少卿にきずをつけるより都合がいい。省がそう考えたからこそ、現場にいたというだけで女官は殺人の罪をかぶせられた。大理少卿をみたものがいるかどうかは、はじめから調査もされなかったはずだ。


 不条理だが、のみこむほかにない。


「ゆううつ、だねぇ」


 紫蓮シレンは濁った水桶にひとつ、ため息を落とした。



 ……*……*……*……



大理少卿だいりしょうけいはどちらに」


 宮廷に戻ったコウは大理少卿を捜していた。

 書庫室としょしつに、と教えてもらい、コウは慌ただしく六部舎りくぶしゃのなかを移動する。大理少卿は書庫室で煙草を喫いながら麻雀をしていた。而立じりつ(三十歳)なかばの男だ。父親が大理寺卿だいりじけいであり、親の推挙で大理少卿だいりしょうけいの官職に就いたが、有能かといわれたらそもそも働いているところをみたことがない。


 偶然をよそおって、近寄っていくと、大理少卿のほうから声をかけてきた。


「やあやあ、刑部丞けいぶじょうではないか。おっと、いまは後宮丞こうきゅうじょうだったか」


 大理少卿はずいぶんと酔っている様子だ。酒臭い息を吹きかけられても、コウは眉の端も動かさずに袖を掲げた。


「どうだ、後宮丞。一緒に飲みながら、賭けごとでもしないか」


「たいへん嬉しいお誘いですが、仕事が残っておりますので」


「左様か。人定にんじょう(午後十時)も過ぎたというのに、慌ただしいことだなぁ」


「ええ、異動したばかりなもので、朝から晩まで休みなく後宮をかけまわっております。大理少卿だいりしょうけいはお変わりないようで」


「まあな、私ほどになると些事で動かずとも、どうんと構えておればよいからな。功にもならぬ事件に振りまわされ、どたばたとかけずりまわる身が哀れでならんよ」


「恐縮です」


 コウが愛想笑いをかえす。


「だがなあ、君のことは、非常に残念におもっているのだよ。君ほど有能なものが後宮にまわされるなど」


 ぴくりとコウの秀眉がわずかに跳ねる。


「後宮への異動は左遷だとお考えですか?」


「違いないだろう? 刑部丞けいぶじょうにまでなったものがやるような役職ではない。後宮にいるかぎりは、今後の昇進は見こめんだろう。まあ、家のものにはふさわしい役職かもしれないがな」


 大理少卿だいりしょうけいがあきらかな嘲りを浮かべた。


「そもそも、姜家の産まれで、刑部丞まで昇進できたのがおかしかったのだ。そう考えれば、いまくらいが身のたけにあっているのではないか、はははっ」


 氏族を侮られても、コウは微笑を崩さなかった。


「さすがは大理少卿だいりしょうけいです。仰るとおり、新たな職場のほうが、家の私にはあっているように感じますね。とても血腥ちなまぐさい職場なもので。今しがたも、とある事件の再調査をおこなっておりました。まあ、地道な聞きこみ調査ですよ。貴公が仰るようにどたばたと地をかけずりまわって、女官たちの証言を集めていました。なんでもオウ妃が女官に突き落とされ、殺害されたそうで」


 麻雀牌マージャンパイを摘まんでいた大理少卿の指がとまる。


「でも、不可解でしてね。オウ妃は扼殺やくさつされたあと、高所から投げ落とされているのです。女官にそんなことができるでしょうか」


「っ……そ、それは妙だな」


「ええ、それで聞きこみを続けた結果、大勢の女官たちが現場で大理少卿の姿をみたと。青い顔をして階段をかけおりていったとか」


 コウが尋ねれば、女官たちはおずおずと喋りだした。彼女たちの表情からは、やっと真実をいってもいいのだ、という安堵の色が見て取れた。


「まあ、それだけでは、たまさかにその場を通りがかられただけかもしれませんが――大理少卿だいりしょうけいオウ妃を妻に――と度々逢いにむかわれていたそうですし」


「そ、そうだ。実は、こ、黄妃が突き落とされるところをみてしまい、それで」


「それではなぜ、大理少卿は黄妃の宮にはいなかったと証言されたのですか? 現場にいた非常に有力な証人だというのに」


 大理少卿がパイを取り落とす。

 慌てて牌を拾おうとした大理少卿の腕を、コウがつかむ。


オウ妃はくびを絞められたときに抵抗し、爪で犯人の腕を酷く掻きむしったそうです。なので、犯人には傷が残っているはずなんですよ。ですが、拘禁されている女官に傷はなかった」


 大理少卿だいりしょうけいの袖をひと息にめくりあげる。

 腕の掻き傷があらわになった。ともに麻雀をしていた官吏たちが、ぎょっとしたように息をのむ。


「こちらの傷、どうなさったのか、詳しくお尋ねしても?」


 大理少卿は椅子を蹴り、つばをまき散らして喚きだす。


「ね、猫だ! 庭にいた猫にやられて――」


「ご懸念ありませんよう。医官に確かめさせれば、猫の爪によるものか、はたまた女の爪によるものか、すぐにわかりますよ。大理少卿だいりしょうけいが冤罪をこうむらないためにもご協力のほど、お願いいたします」


 ざわめき始めた書庫室から、コウ大理少卿だいりしょうけいを連れだす。

 証拠がないかぎり、逮捕はできない。だから、高官こうかんに容疑がかかるくらいならば、そもそも調査をしない。証拠も捜さない。


 それが宮廷のやりかただ。


 だが、裏をかえせば、証拠さえつかんでしまえば、糾問きゅうもんできるということだ。

 絳の双眸ひとみの底にくらい火が燃える。


 権力者たちの強いる不条理を、コウは強く怨んでいた。

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