28 奇人官吏、妖妃に愛執する

 ごきげんで食べ進めていた紫蓮シレンが「いたっ」と声をあげた。


「だいじょうぶですか?」

「傷になっているのか、ときどき背がいたむんだよ。軟膏はもらったんだけど、背には薬がぬれなくって。こまったものだね」


 酷い打たれかたをしたのだ。傷だらけになっていても、おかしくはなかった。いてもたってもいられず、コウは紫蓮の側にひざまずき、頼みこむ。


「一度だけ、あなたに触れることを許していただけませんか」


「む、無理かな……」


 きちんと誠意を表したつもりだったのだが、紫蓮は頬をひきつらせた。


「たぶん、喀吐くよ?」


「そ、そこまで、いやですか……」


「きみだから、いやなわけじゃないよ。ついでにいえば、辛抱するとかいう段階でもなくてだね。こう、ほんとに無理なんだよ」


「昔からですか」


 紫蓮が視線を彷徨わせる。


「どうかな。想いだせないけれど、幼いころはここまで酷くはなかったはずだよ。他人に触られても、触っても」


「女官には、化粧を施しておられたとおもうのですが」


手套てぶくろをしていれば、なんとかね」


「それでは私が手套をつければよいのでは? 試して、無理そうだったら、仰ってください。薬をぬれずに風でも侵入はいったら取りかえしがつきませんから」


 絳は証拠物などに触れることもあるので、常に手套てぶくろを持っている。手套をはめ、軟膏を預かった。紫蓮は「いいのに」と遠慮しながら、気遣いは嬉しいのか、背をむけてうわぎをはだけさせた。


 想像していたとおり、背は青痣だらけになっていた。だが、傷は浅いものがふたつだけだ。琅邪ロウヤがいかに笞の加減を心得ているかがわかる。


「ぬりますね。しみるかもしれません」


 傷に軟膏をすりこみながら、コウは紫蓮がたどってきた道程みちのりに想いを馳せた。


 彼女はこの華奢な背にどれだけの死を背負い、葬ってきたのか。


 真実をあばき、死者の声を語るほどに彼女は忌避される。真実はいつだって、不都合なものだ。とくに宮廷においては。

 責められ、疑われ、虐げられても、紫蓮は真実を託されたかぎりはぜったいに口を噤まない。その声が、どこにも響かないものだと諦めながら、叫び続けることができる。

 それがこの姑娘ひとの強さだ。


 いつだったか、死化粧とは死の毒に蝕まれながら施すものだと彼女は語っていた。

 検視もまた、しかりだ。


 白皙の肌に散った青い痣。熟れて血潮を滲ませる傷。傷ましい。そう感じるこころに嘘はなかった。


「――堀から、遺骨があがりました」


 だというのに、絳は紫蓮に新たな死の依頼を持ちかける。

 検死を繰りかえすほど、紫蓮の身に危険がせまると理解していながら。


「骨になっていても身元を調べることはできますか」


「可能だよ」


 紫蓮は戸惑わなかった。


「ぜったいにできるとまではいわないけれどね。復元できるかぎりは復元しよう。身元がわからなければ、誰にも悼んでもらえない。それではあまりに可哀想だからね」


 コウは毒気を抜かれる。

 身元不明の骨について、彼は事件性があるかどうかしか考慮していなかった。後宮に潜入していたものがいたとすれば、絳が知りたい先帝の死の真実とも、なにかしらかつながっているのではないかと。


 絳のなかでは骨はすでに物だった。

 だが紫蓮は、命があった「者」として扱うのだ。


「還らないひとを待ち続けている家族、友達、愛するひとが、いるかもしれない。だったら、せめて、故郷ふるさとの土に埋めてあげないとね」


 背をむけているので表情はうかがえないが、静謐な、それでいて慈愛をたたえた眼差しをしているであろうことは、声の響きからも想像がついた。


「僕は、死に寄りそうものだから」


 紫蓮が頭を傾がせるように振りかえり、微笑む。窓から差す細い陽光が、紫の眼を透きとおらせた。


 紫の眼。今は亡き先帝と重なる。

 絳は微かに息をつまらせる。無性に胸を掻きむしられた。

 わきあがるのは後悔と魂まで焼きこげるような怨嗟だ。こらえきれずに絳は、揃えた人差し指と中指でさっと紫蓮の項を横薙ぎにする。


 微かにかすめただけ。


「ひゃっ」


 だが、紫蓮は声をあげて、背をそらす。


「なんのつもりかな」


「……失敬。項にまで傷があるのかとおもったら、髪がかかっていただけでした」


 絳は咄嗟に微笑みをよそおった。


「だったら、声をかけてくれたらいいのに。……ぞわっとしたよ」


 終わったので、軟膏をかえす。紫蓮は着崩していたうわぎをまといなおした。

 帯が緩んだのか、結びなおす紫蓮から眼を逸らして、絳はみずからの指に視線を落とす。微かな熱がまだ、指の腹に残っていた。


 頚動脈が静かに拍動し、彼女の心臓は動き続けている。


 腹を割かれたら、頭を割られたら、頚を落とされたら。

 彼女はかんたんに息絶える。


 だというのに、彼女は死を葬るたび、ためらいなくそのくびを賭けるのだ。

 

 それがたまらなく――――憎い。


「紫蓮、愛しています」


 嘘では、ない。

 それだけが、真実なわけではなくとも。


「はいはい、ほんとうにきみは奇人だねえ」


 紫蓮が諦めたように微苦笑する。


 窓から風が吹きこんできた。

 夏のむっとした風に乗ってせかえるような花のが漂う。茉莉花まつりかに似た蔓花つるばながざわめいた。


(私は)


 愛想よく微笑みかけ、他愛のないことを喋りながら。


(彼女を、道連れにしようとしている)



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 これにて第二部は完結となります。

 続けて第三部の連載ですが、30日頃から再開とさせていただきます。引き続き、「後宮の死化粧妃」をなにとぞよろしくお願いいたします。


 ここでご報告です。

 こちらの「後宮の死化粧妃 ワケあり妖妃と奇人官吏の暗黒検視事件簿」ですが、アース・スタールナ様から9月2日に出版されます。後日談を含めて加筆修正もあるうえ、夢子様による耽美で素敵な表紙絵、口絵、挿絵がたっぷりと収録されています。夢子様の描かれる紫蓮の可愛らしいこと。なにより、絳がとっても素敵で、表情豊かながら陰のあるイケメン感が漂っていてほんとうに素敵なので、是非是非御手に取って確かめてみてください。

 初回限定の特典などもいろいろと取り揃えていますので、また続報をお楽しみに(*^^*)

 

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