27 奇人と妖妃の御茶会

 椀のなかで、ふるふると揺れていたのは透きとおる瓊脂冰かんてんひょうだった。

 紫蓮シレンは紫の瞳を輝かせて、ほわあと幸せそうな息をついた。


「ふふっ、喜んでいただけたようで、なによりです」


「ほんとうにいただいてもいいのかな」


「もちろんです、あなたのためにもってきた見舞いの甜菓かしなのですから」


 コウはにっこりと紫蓮シレンに微笑みかけた。


 紫蓮シレンが獄舎から解放されて、五日経った。

 ジョウにて百敲ひゃくたたきに処されたのち、身分を剥奪されてサイの最北に左遷させんとなった。事実上流罪るざいに等しい。中都督ちゅうととくという、もとの官職から考えれば、重い処分をくだせたほうだろう。

 ほんとうならば、眼には眼を。死には死を、と言い渡したかったところだが、欲は言えない。


 諸々の後処理が終わったので、絳は見舞いの甜菓かしをもって紫蓮の見舞いにきていた。

 瓊脂冰かんてんひょうとは夏を代表する冷果れいかだ。天草てんぐさからつくられた瓊脂ところてんをかため、型から押しだすと、こんなふうに麺のようなかたちになる。瓊脂には味がないので、黒蜜、あるいはゆるめた胡麻あんをかけて食感を楽しむのだが、これがまたひんやりとして絶品なのだとか。

 絳は食べたことがなく、妃妾たちの噂を聴いて都から取り寄せたのであった。


 紫蓮はさっそく箸をつかって、瓊脂冰ところてんを食す。


「ん……」


 日頃から凛とした態度を崩さない紫蓮が甘い物を頬張って、へちゃりと微笑む。


瓊脂かんてんに絡んだ胡麻あんの芳醇なあまみがたまらないね、絶品だよ」


 紫蓮シレンは夢中になって、箸を進める。ちゅるちゅると瓊脂冰ところてんがうす紅の唇に吸いこまれていった。ほんとうに幸せそうに彼女は冷菓を味わっている。そんな彼女を眺めていると想わず、言葉がこぼれた。


「ほんとうに可愛い姑娘ひとだ」


「へ」


 紫蓮がぽかんとなる。


「いえ、あなたは実に可愛らしいなとおもいまして」


「可愛い、ねえ。きみはやっぱり、変わっているね。したいの腹をくような姑娘むすめが可愛いはずがないだろう? 人から悪趣味だといわれたことはないかな」


 やれやれとため息をつきながら紫蓮が眉の端をついとあげる。


「さあ、どうでしょう。あなたこそ、どなたからか、愛らしいといわれたことはないのですか」


「ないね。妖妃ようひにそんなことをいうのはきみくらいだよ」


「そうですか。あなたの愛らしさが理解できないなんて、残念な男ばかりだったのですね。ああ、でも、私にとっては喜ばしいことですが」


 絳は心の底から想ったことをいったつもりだが、紫蓮はやれやれとあきれたようにため息をついた。


「それより、きみは食べないのかな」


「私ですか? 私は」


瓊脂ところてんはまだ残っているよ。せっかくだから一緒にどうかな。冷やした甜茶てんちゃもあるんだよ」


 紫蓮はいそいそと椅子を離れ、甜茶を淹れてきてくれた。

 離宮には女官がいないのだとあらためて思いだす。とくに不便はなさそうだが、孤独ではないのだろうか。動物や蝶の死骸を愛でながら、静まりかえった舎のなかで暮らすことは。


 後宮丞こうきゅうじょうの権力をつかえば、離宮に女官を派遣することもできるが――そこまで考えて、よけいなことだと考えなおす。彼女は強い姑娘ひとだ。哀れみをかけるようなことをするべきではない。


「すみません、お気遣いをいただいてしまって」


 渡された甜茶てんちゃを飲み、絳は息をついた。

 甜茶は砂糖をいれたようなあまみがあるお茶だ。微かな苦味もあるが、これを好むということは紫蓮は甘い物に眼がないに違いなかった。


「きみはお客さんだからね。静かなお客さんはそれなりにもてなすつもりではいるよ。たいていのお客さんは残念ながら、茶が飲めないのだけれどね」


「それはまあ、……死んでいますからね」


「でも、茶をれてあげることはあるよ」


「死んでるのに、ですか」


「なにか、変かな」


 倚子にししゃをすわらせ、茶会を催している紫蓮シレンを想像する。


 ともすれば異様な風景だが、彼女ならば絵になるのだろうとおもった。彼女には屍にたいする愛があるからだ。

 死者を死者と侮らず、人として扱うからこその。


「できたよ、どうぞ」


「いただきます」


 紫蓮シレンは型から瓊脂ところてんをだしてあんをたっぷりをかけてくれた。コウは遠慮がちに箸を取る。

 瓊脂ところてんに餡がよく絡み、品のいい味わいだ。最後に豊かな胡麻の風味が残る。


「きみ、変わった箸の持ちかただね」


 絳は箸を握っていた指を、咄嗟とっさに袖で隠した。苦笑しようとして、できなかった。緊張した声が喉につかえる。


「ごまかして、いた、つもりだったのですが」


「人差し指をつかっていないよね。持ちにくくはないのかな」


「育ちが、あまりよくないもので。人と食事をするときは箸をつかうものは避けるようにしていたのですが……あなたは、綺麗に箸をつかいますね」


 なんとか、いつもどおりに微笑することができた。

 瓊脂冰かんてんひょうのようにつかみにくいものを食べているときでも、紫蓮の箸づかいはみだれず、落ちついていた。ふたつの箸に指が吸いつくように寄りそい、動いている。


「このあたりは土葬だけど、火葬をする地域では箸で燃え残った骨をつまむんだよ。だから、そういうときにこまらないよう、母様から教わったのさ」


「あなたにとっては、万事が死につながっているということですか。ふふ、あなたらしいですね」


 ここで、この話を終わらせることもできた。だが、コウは箸をおいて、紫蓮シレンに尋ねる。


「みっともないでしょう? めったにばれないのですが、ときどき指摘されては親のしつけがなっていなかったのだと責められました」


 そして残念ながら、それは事実だ。

 コウが物心ついたときから、家族が一緒にそろって食事を取るということはなかった。絳は家の二男として産まれ、教育は長男に、愛は産まれたばかりの三男四男にばかり与えられ、箸のつかいかたも敬語のつかいかたも親からは教えてもらえなかった。


 五歳の時には祖父のもとに預けられ、日がな毒茸や毒蛇ばかりを喰っている寡黙な変人とふたりで暮らしていた。

 祖父から教わったことはひとつだけ・・・・・だ。


「なおせないのです、どうしても」


 身なり、振る舞いで軽侮されることがないように努力を重ねたが、箸の扱いだけは矯正できなかった。

 産まれは変えられないのだと後ろ指をさされているかのように。


「いいんじゃないかな」


 紫蓮シレンの声は絳が毒気を抜かれるほどにあっさりとしていた。


「私は……それなりになやんでいたのですが」


「重く捉えすぎだよ。たかが箸じゃないか。僕は変わっているなとおもったけれど、そう他人ではわからないような間違えかただし、食卓を散らかしたり、他人をいやなきもちにさせたりするわけでもない。こうあるべき、なんていう規則はそうではないひとを責めるためにつくられたもの、だったりするからねえ」


「たかが、箸、ですか」


 紫蓮は絳の劣等感をいともたやすく振り払い、瑕疵きずを肯定する。軽やかだが、なおざりではない。


「は……」


 肺に詰めすぎた息をはきだすようにコウは嗤った。


「ほんとうにあなたという姑娘ひとは」


 絳が彼女の言葉をかみ締めているうちに紫蓮は瓊脂冰かんてんひょうを頬張って、嬉しそうにしている。気ままというか。そんなところも可愛らしかった。

 

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