第三部 骨は語るか

29 奇人官吏、風葬地にいそぐ

 コウは耳を疑った。


「今、言ったとおりだ。堀からあがった骨は今朝処分した」


 官吏かんりは露骨に眉根をひそめて、それがなんだといいたげにかぶりを振った。


「ですが、まだ身元もあきらかになっていなかったはずです」


「骨になっていては、身元はわからんだろう。捜査はうちやめだ。宮廷の外にある風葬地ふうそうちにおくられたよ」


「そんな」


 日の角度を確かめる。まだ隅中ぐちゅう(午前十時)だ。うまやから馬を借りて、風葬地にかけつければ間にあうだろうか。


 焦燥にかられたコウの表情をみて、官吏が鼻で嗤う。


「しょせん、他人の骨だろう。なにを必死になることがある」


 コウは唇をかむ。

 その通りだ。絳もまた、昨日まではそう考えていた。手掛かりになる、かもしれないというだけでは、ここまで焦慮することはなかったはずだ。だが、紫蓮シレンならば。


 縁もゆかりもない、誰かもわからない骨にたいして「可哀想だ」と悼みを投げかけたその眼を想えば、胸を掻きむられた。紫蓮に検視を依頼したかぎりは、彼もまた、誠実さを徹してしかるべきだ。


 残念だった、で諦めるわけにはいかない。


靑靑ショウショウ、ただちに馬を」


 側にいた靑靑に声をかける。

 コウは靑靑が連れてきた馬を駈り、宮廷の北東にある風葬地にむかった。


 

 …………


 

 荒野に吹きつける風は鼻を刺す死臭を帯びていた。

 剥きだしの荒れ地には黄変おうへんした草がまばらに根を残し、風に揺れている。


 風葬地ふうそうちとは身寄りのない屍、疫死えきしした屍を野ざらしにして処理する場所だ。昨今は都ではえやみがおこっていないため、ここに運ばれるのは罪人や奴婢ぬひ、宦官の屍が八割をしめる。残りは身元不明の遺体だ。


 砂埃をあげて、馬が停まる。


 コウは馬から下乗して、風葬地にある崖に屍を投げこんでいる奴婢ぬひに声をかけた。


「私は コウ後宮丞こうきゅうじょうです。宮廷から遺骨が運びこまれたはずですが」


「え、ああ、それでしたら、あっちに」


 指さされたほうに視線をむければ、今まさに粗末な袋が、崖から投げ捨てられるところだった。例の骨だ。絳は咄嗟に走りだす。


「っ」


 声をかける余裕もなかった。絳は奴婢を押しのけて崖から身を乗りだし、宙を舞う袋をつかんだ。


 崖が崩れる。

 しまった、とおもったのがさきか、絳は落ちていく。呆気に取られた奴婢たちが視界の端に映り、遠ざかる。


 崖は深かった。

 死、という言葉が頭をよぎる。縁もない骨を取りもどすために落ちて死んだ、なんてお笑いぐさだ。ぞっとする。


(でも、そうか。紫蓮シレンはいつも、こんなことをしているのか)


 屍に命を賭ける。

 言葉にすればかんたんだが、現実にはこんなにも愚かで、おそろしく、常軌を逸したことなのか――コウが唇のをゆがめる。笑いがこみあげてきた。つかんだ袋をはなさぬよう、強く握り締めて、絳は落ちた。


 衝撃は重かった。だが、死ぬほどではない。


 意外だ。

 絳がとじていた眼をあければ、腐乱した屍の海が視界に拡がる。やわらかく熟れた肉の塊が衝撃をやわらげてくれたのだ。


 起きあがろうと腕をつけば、指がぐちょりとめりこむ。みれば、夥しい蛆とはえが群れてうごめいていた。絶叫して恐慌をきたしてもおかしくはない事態だったが、絳は異様なほどに落ちついていた。


 死んだものたちに助けられたのだ。


(せめても、その骨だけでも葬ってやってはくれないかと、彼らから頼まれたように感じるのはさすがに妄想が過ぎるだろうか)


 奴婢たちが慌てている。


「縄梯子を」


 崖の底から絳が声をかける。投げかけられた縄梯子をあがりながら、絳は棄てられた屍たちに黙祷を捧げた。



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 お読みいただきましてありがとうございます。

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