7  女の地獄で知更雀(コマドリ)は愛を歌った

 サイの後宮には牢獄がある。

 後宮で罪を犯した者を捕縛するための牢屋だ。

 もとは暴室ぼうしつといい、病を患った下級妃や女官を隔離する施設だったが、ここに入れられたものは例外なく衰弱して死ぬため、死の房室へやと語られていた。噂に違わず石壁にかこまれた階段には骨にしみるような寒さが漂っていた。

 真夏の後宮でもっとも寒いのはおそらくはここだ。


足許あしもとに御気をつけて」


 提燈を提げたコウに誘われて、紫蓮シレンは奈落に続くような階段をくだり、地下室のろうかについた。結果がわからないため、現段階では再審理がおこなわれていることは女官には知らされていない。死刑を免れたとおもわせてから、再度死刑宣告するようなことはしたくないと絳はいった。


 暴室だったときは鍵つきの扉だったが、いまは廊から内部の様子がうかがえるよう、格子がはめられていた。


「やあ、きみがレイかな」


 牢屋のなかで項垂れていた女官が視線をあげた。酷い尋問を受けたのか、あちらこちらに擦り傷ができて血が滲んでいる。


オウ妃に頼まれて、きみの話を聴きにきたんだ」


花琳カリン様に……で、でも、花琳様は」


 鈴は戸惑いをあらわにした。


「そうだね、命を落としたよ。喉を絞めあげられてね。きみはそれをみたんだろう?」


 レイが唇をひき結んだ。肯定だ。


「……誰も、私の話など、聴いてはくださいませんでした」


 鈴の声からは、底のない絶望が滲みだしていた。


「僕が聴くよ。だから、もういちど、語ってはくれないか。なぜ、きみが冤罪をかぶることになったのか。オウ花琳カリン妃が殺されたときのことを、できるかぎり詳しく」


 鈴は視線を彷徨わせてから、ぽつぽつと事件の経緯を喋りだした。


「黄昏時でした。私は庭の掃除をしていました。三階の廻廊で男人の声が聴こえて、お客様かとおもい、みたら、花琳様と大理少卿だいりしょうけい様がおられて」


「大理少卿とは、もとから面識があったのかな」


 鈴が眉をひそめた。


「ええ、まあ。……大理少卿様は二ヶ月程前から、花琳様に言い寄っておられたんです。花琳様は大理少卿を遠ざけられ、お逢いになるのもいやだと」


 ここはひらかれた後宮だ。

 身分のある武官文官ならば、好いた妃を妻に娶ることもできる。だが、妃はあくまでも皇帝の所有物だ。妃側の氏族が婚姻を認め、皇帝にかけあうか、官吏が功績をあげ、皇帝が下賜かしを命じないかぎりは、妃から拒絶することもできるはずだった。


「最後にお逢いしたとき、大理少卿だいりしょうけい様は花琳カリン様の親に掛けあうと仰せになられていて」


「ああ、氏族を取りこまれては妃に拒絶するすべはないね」


「左様です」


 妃といっても女だ。

 女は貢物で、飾り物だった。


 氏族にとって有利な縁談ならば、女の想いなどは関係なく進められていく。


「そのとき、花琳カリン様の御声が聴こえて。大理少卿様もさぞや、おどろかれたこととおもいます。花琳様は他人と喋ることをいっさいなさらなかったので」


「ああ、舌きり雀といわれていたとか」


「失礼なうわさです。花琳様は喋れないのではなく、喋らないのですから。……私とだけは、日頃からお喋りしてくださいました」


 鈴がわずかに頬をそめて、誇らしげに声を弾ませた。


「そうか。黄妃は、きみにはこころを許していたんだね」


「……私は、花琳カリン様が幼い頃から側におつかえしてきましたから。花琳様が後宮にあがるずっと昔から、私はオウ家の御邸で働いていたんです……」


 レイはよけいなことをいってしまったとおもったのか、頭を横に振り、話をもどす。


「花琳様が大理少卿だいりしょうけい様になんといわれたのかまでは聴きとれませんでした。ただ、ものすごい剣幕で。おそらくは大理少卿様の求婚を拒絶されたのだとおもいます。一拍後れて、大理少卿様が激昂されて、花琳様の頚に手をかけ――」


 想いだすだけでもおそろしいのか、鈴が微かに震えだした。


「私は慌てて階段をあがり、ふたりのもとにむかいました。でも、私が三階についたのと入れ違いに花琳様が落ちていきました」


 紫蓮は想像する。知更雀コマドリと謳われた妃が落ちていくさまを。


 喉を潰された知更雀は歌えもせず、飛べもしない。

 いや、もとから人に翼などはありもしなかった。地にたたきつけられ、惨たらしく潰れて、彼女は命を散らした。


大理少卿だいりしょうけい様は由緒ある士族の御生まれで、花琳カリン様にとっても申し分のない御相手だったはず……なぜ、頑なに拒絶されたのか」


 鈴は頭を振った。耳飾りが揺れる。オウ妃と揃いの飾りだ。


「おとなしく、婚姻を結んでいれば、こんなことにはならなかったのに」


 紫蓮シレンは瞳を透きとおらせた。


「僕はそうは想わないけれどね。嫁ぐのが地獄ならば、嫁いだあとも地獄だ」


「……女など、はなから地獄です」


 しぼりだされた鈴の声は低く、命を呪うかのようだった。


「華であれ、鳥であれとばかり望まれて、ひとであることは許されないのですから。花琳様は……彼女は知更雀コマドリでも、スズメでもなかった。なのに幼い時から歌を強要されて、血を喀きながらも歌って、歌って、また歌って」


 歌をわすれたら、捨てられるだけ。

 だから、彼女は歌い続けた。


「そればかりか、鳥が喋るはずがないと幼いときからしつけられて」


 身をけずり、こころをすり減らせて、望まれるように振る舞い続けた歌媛うたひめにゆずれないものがあるとすれば、ただひとつだ。


「女が、命を賭けるとすれば、それは愛だろうね」

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