32「あなたが嫌われものでよかった」

 命婦みょうぶの葬礼から五日が経った。


 あれから依頼もなく、紫蓮シレンは暑さにだらけながら離宮りきゅうにひきこもっていた。離宮は後宮の北側にあって、日があたらず夏でも寒々しい風が吹くことがあるが、これだけの酷暑が続いていると日陰だろうと暑いものは暑い。


かまでにでもなっているきぶんだよ……ううっ」


 風鈴が音を奏でる。客だろうか、といっても離宮に尋ねてくるものなんか、ひとりだけだ。


「紫蓮、依頼が、って……とけてませんか?」


「あぁ、みてのとおりだよ、暑くてね……」


 房室へや日陰ひかげに伸びていた紫蓮シレンが、ぱたぱたとやる気なく袖を振る。


「塩をかけられたなめくじかとおもいましたよ」


「あれって水分を奪われて縮むだけで、そうそう死ぬまではいかないらしいよ。水をかけたら元通りさ。だから、なめくじのほうがまだ、僕よりはげんきだとおもうよ……」


「真剣にくらべないでくださいよ」


「僕は、とうに死にかけているからね。片脚どころか、棺桶に頭からつっこんでいる」


「あなたがいうと、しゃれにならないですね」


 コウが苦笑いを織りまぜたため息をつきながら、紫蓮のもとに寄ってきた。桶を提げている。それだけで紫蓮には察しがついた。


くびだね」


「左様です。残りは荷車に乗せて、ろうかにおいておきました。頚を縫いつないで、復元していただけますか」


 紫蓮はもそもそと起きあがり、桶からくびを取りだす。


「斬首か。でも、復元の依頼ということは罪人ではないね。おおかた、草賊そうぞくに捕まって殺された官吏かんり、かな」


 草賊とは宮廷、強いては皇帝に反旗をひるがえした賊軍ぞくぐんを表す。


「ご明察です。あなたの推理はもはや妖術のようですね」


 サイの宮廷が塩の密売を取り締まったところ、都で密売者たちによる暴動が勃発したという。

 彼らは役人を捕らえてくびを落とし、密売を禁ずるならば職を失ったものたちに官職を与えろと訴えた。斉はこれにおうじず、官軍をむかわせて暴動を鎮静化させた。


「都では昨今、反乱が頻発しています」


「民はそんなに貧しいのかな」


「豊かではありませんね。ですが、貧しくはない。終戦から百年が経ち、争いにたいする恐怖心がなくなり、不満のほうが膨らんできたというのもあります。それと――」


 言いかけて、絳は言葉を濁らせた。


「先帝だね」


 絳は苦笑する。


「左様です。祟りじみた先帝の崩御が噂を掻きたて、民の反政意識に拍車がかかった」


 政が乱れていたせいで先帝は変死した、という絶好の口実を与えてしまったわけだ。


「とはいえ、先帝が御存命の時から反乱はありました。まして、昨今のような浅はかな騒擾そうじょうではなく、思想を持った武官、文官による反逆だったため、被害は甚大でした」


紫巾しきんの乱だね。確か八年前だったかな」


 草賊がそろって紫の頭巾をかぶっていたことから、そのなまえがついた。


「あのときは宮廷のなかにまで、賊徒ぞくとなだれこんできたとか。発端はなんだったかな」


「天候不順です。ひでりが続き、とくに南部の農地では実りがなかったため、先帝陛下は大幅に減税するとお決めになられたのですが、使者の役割を担っていた宦官が農民には減税のことを報せなかった。農民から過度に巻きあげたあと、減税した額を収めて、残りは懐にいれていたとか」


「酷い話だねぇ」


「農民は冬を越えられぬと一揆いっきを結びました。時をおなじくして、先帝陛下が宦官に官職を与えていることに反発していた士族出身の官吏たちが農民と手を組み、宮廷を奇襲できるよう、農民たちを誘導した。結果、大勢の官吏、妃妾が命を落とす事態になりました。陛下はみずからの責だといって、紫巾しきんの乱で絶命した全員をねんごろに葬りました」


「そうか。だからだったんだね」


 紫蓮は喋りながら、針に糸を通す。


紫巾しきんの乱が鎮静してから、斬首されたしたいが続々と母様のもとに運びこまれた。三百は越えていたかな。埋葬するにあたってくびをつないでやってくれと」


 斬首は人道じんどうを重んじた死刑だ。

 一撃でくびを落とせば苦痛も続かず、腸や排泄物をまき散らすこともない。よって斬首は身分ある士族の特権とされていた。

 だが、先帝は農民にたいしても平等に情けをかけ、斬罪に処した。


 されども、昔は斬首ほど残虐な刑はないと認知されていた。斬首されたものは死後、輪廻することができないという教えが根差していたからだ。名家ほど古い教えを信じるものが多い。斬首されたあとは遺族が賄賂を渡すなりして、くびをつないでから埋葬するのが慣例だった。


 だが、農民の遺族にそんな銭はない。だから先帝が直々に動いたのだ。


「謀反というかたちであれ、サイを想うものを死後、冒涜するわけにはいかないというのが先帝の意でした」


 微笑みながら、コウ睛眸が微かに陰る。


「人は平等であるべきで、不条理に人権を剥奪されてはならないと、日頃から語っておられたので」


 紫蓮シレンが母親に語られてきたとおりだ。先帝は弱者のための政を敷こうとしていたと。先帝は宦官、奴婢ぬひといったものたちを優遇した。


 だが、乱の発端となったのは結局、強欲な宦官だった――


 紫蓮はなんとも複雑な想いになって、話を切りあげる。

 あらためて、くびを確認する。而立じりつ(三十歳)ほどか。妻がいて、家族もいただろう。哀れな男だ。


「稚拙なくびの落としかただね」


「わかるのですか」


 コウは眼を見張り、身を乗りだす。


「断頭するまでに五度、剣を振り落としている。頚の骨は意外と硬いからね。熟達したものでなければ、剣一撃では落とせない」


 宮廷には首斬くびきり役人の一族がいるが、大抵は斧をつかって落とす。とうぜんのことだが、失敗されるほどに受刑者は死ぬに死にきれず、地獄をみることになる。


「彼は、そうとうに苦しんだことだろうね……」


 紫蓮シレンは官吏の頬に散る血痕よごれを拭う。後からあらためて清拭せいしきするが、まずはくびをつないでからだ。洗髪して髭も揃え、絶叫したかたちで硬直した口も微笑ませてあげなければ。


「ほんとうはね、わかっているんだ」


 紫蓮シレンは自嘲ぎみに失笑する。


「なにを、ですか」


「死は死だということを、だよ」


 唇に乗せた言葉は重かった。


「いかにあろうと、命を奪われた、という事実に違いはない。それでも、苦痛は人の尊厳を潰す。死に様は、ときに生き様をも穢すものだから」


 史実をさかのぼれば、残虐な死などはいくらでもある。敵、罪人、異なる思想を持ったものを、考えつくかぎり惨たらしく死にいたらしめ、これまで築きあげてきた経緯、功績まで陵辱する――これは現実に繰りかえされてきたことだ。


「乱の時にね、とてもきれいなくびをみたよ。骨を砕くことなく、ひと振りで頚が落とされていた」


 想いだす。高きから低きに落ちる滝水のような斬撃。骨と骨のあいだをきれいにすり抜けて、絶っていた。あれならば、頚が落ちたこともわからないうちに息絶えることができたはずだ。


「幸福だったとはいわない。救いだともね。それでも、きれいだったんだ」


 なぜか、コウが一瞬だけ、呼吸をとめた。たまらなく嬉しいような。それでいて、取りもどせないものを懐かしみ、胸を締めつけられるような。奇妙な揺らぎが、短かな息遣いにまざる。


「そう、ですか。それならば……よかった」


 感傷を韜晦とうかいするように眼をふせて、彼は微笑した。


「さてと、これではご家族にも逢えないね。彼をよみがえらせてあげないと」


 官吏のからだを運んできてもらった。くびを縫い、つなぐ。膝に乗せた屍に語りかけながら針を動かしていると、コウがすぐ背後から覗きこんできた。


「すごいものですね。縫いあともわからないくらいだ」


 息が微かに耳にかかる。背筋がぞわりと痺れた。


「あのねぇ、近すぎるよ」


「そうですか? 約束どおり、触れてはいませんよ。紫蓮はおやさしいですから、まさか私が呼吸をすることまで、禁じたりはなさらないでしょう?」


「僕はやさしくないし、呼吸をしないでくれるなら、それに越したことはないよ」


「死んでしまうんですが」


「それがいやなら、距離を取ることだね」


「ひどいです」


 そういいながら、ふふと笑いを織りまぜた息が、項に触れる。ぜったいにわざとだ。


「まったく……きみがなにを考えているのか、僕にはちっともわからないよ。こんないやがらせをしてなにが楽しいんだか」


「いやがらせなんてとんでもない。私はただ、あなたのことが好きなだけですよ」


 熟れすぎた果実のように絳は瞳を蕩かせる。


「縁もない男の頚をたいせつに扱い、愛しげに縫いあげているあなたが――たまらなく好きです」


 ああ、これは、嘘じゃないとわかってしまった。

 だから敢えて、紫蓮は指摘する。


「嘘だね」


 騙しあいみたいに。


「ふふふ、疑っている振りをするなんて酷い姑娘ひとだ。わかっているくせに」


 絳はくつくつと喉を鳴らす。

 低い嗤いかただ。お得意の愛想笑いとはあきらかに違った。


「逢ったばかりのときは、あなたほどの技師が侮られ、妖妃ようひだなんてそしられている不条理に憤りを感じていました。ですが、いまは」


 背をむけているので、紫蓮からは彼がどんな表情をしているのか、わからない。微笑んでいるのか。真剣なのか。あるいは。


「あなたが嫌われものでよかった」


 酷烈な眼をしているのか。


「私は得をしました。しかばねを扱うときのあなたを、こんなふうに独占できるなんて」


 逢ったときから、そうだ。彼の考えていることは微塵も理解できない。

 彼はおそらくロクでもない男だ。誠実ではあるが、どこかが致命的に壊れているのだと感じる。

 それなのに、拒絶するつもりには、なれない。


 彼からは、死を感じるからだ。

 紫蓮が死を愛し、死に縛られているように彼もまた、死に捕らわれている。


「……きみというひとは、ほんとにどうしようもないね」


 やれやれとため息をついて、黙々と針を動かす。

 蝉噪せんそうだけが続く真夏の静けさが、奇妙に柔らかかった。

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