31 棺を蓋いて事定まる

 喪を表す白紙の提燈ちょうちんが、風に揺れる。

 華の後宮の院子なかにわでは、真昼から葬礼が執りおこなわれていた。


 列にならぶ女官たちは孝服もふくを着てはいるが、妙に落ちつかず、顔をみあわせてはひそひそと声をたてていた。


「ねえ、これって、どなたのお葬式なのかしら」


「さあ……知らない」


「かならず参列するように、とだけいわれたから」


 誰もが葬るべき故人も知らず、会葬かいそうしている。異様な事態だ。困惑するのも致しかたなかった。


 ひつぎがひらかれた。

 訝しんでいた女官たちが柩を覗きこみ、いっせいに声をあげる。


ゼン命婦みょうぶだわ」


 五年前に華々しく退職して帰郷したはずのゼンギンが横たわっていた。老いてなおたるむことなく凛々しい眼もとも、かたときもけしょうを落とさなかった唇も、宮廷を後にしたあの時となにひとつ変わらなかった。

 ゼン命婦みょうぶを慕っていた女官のなかには顔をみるなり、泣き崩れるものまでいた。


「わっ、私、ゼン命婦にあこがれてたの。男に頼らなくとも、女でも胸を張って生きていく道があるんだって、冉命婦が教えてくれたから」


「きびしいけど、情の厚いおひとだったよね。妃嬪さまに濡れぎぬをきせられて暴室ぼうしつにおくられそうになったときにも、冉命婦がかばってくださって」


「退職された時はさびしかったけど、故郷にご家族がいるって聴いて、よかったなあとおもっていたのに、なんで」


 女官たちは戸惑っている。


 やや離れたところから、コウは事態をみていた。


 紫蓮によって復元されたしたい庁舎ちょうしゃに持ち帰った絳は、官吏たちに確認してまわることで身元の特定を進めようとした。だが、なにぶん、後宮がとじられていたときの命婦だ。

 官吏たちは命婦みょうぶと接触することがめったになかった。

 おそらくは現皇太妃げんこうたいひつきの命婦みょうぶ、かつ現皇帝の養育係をつとめていたゼンギンではないかという意見が集まったが、まさか皇太妃や皇帝に遺体をあらためてもらうわけにはいかない。

 葬礼を執りおこない、女官たちに確認させればどうかとコウは提案し、それは功を奏した。あとは事態を収拾するだけだ。


「急なことで失礼いたしました。じつはゼン命婦みょうぶ遺言ゆいごんだったのです。死後は、彼女がもっとも彼女らしくいられたこの後宮で、愛する女官たちに葬ってほしいと」


 嘘だ。ゼン命婦みょうぶは遺言もなく横死していた。

 だが、女官たちはそうだったのかと納得して、感涙する。あながち、冉命婦の意からも遠くはないとおもった。


 柩の冉命婦は死んだときのすがたによみがえり、やすらかに微笑んでいる。今朝がた、逝去したばかりだといわれても疑えなかった。

 苔むした骨だったとはとても想えない。まして、肌も髪も造り物だなんて。


 女官たちは思い思いに冉命婦のことを語りあう。こんなことがあった、あんな言葉をかけてもらったと想いだし、故人の美談に花を咲かせる。


 あとは彼女らにまかせ、コウは退却しようとする。

 二階の廻廊で、ふわと紫の睡蓮が揺れていた。階段をあがる。


「やあ、お疲れ様だったね、後宮丞こうきゅうじょうさん」


 思ったとおり、スイ紫蓮シレンがいた。

 艶やかな髪を風になびかせて、葬礼の様子を眺めている。


「しかしながら、退職して帰郷したはずのゼン ギンがなぜ、後宮の堀に沈んでいたのでしょうか。足を滑らせての事故死か、あるいは」


 紫蓮が振りかえらずにこたえる。


「さあね。骨をみるだけでは、なぜ、死んだのかまではわからなかったな。死んでから、投げこまれたのか。誤って落ちたのか。みずからで飛びこんだのか」


「飛びこみ、ですか」


「……還るところが、なかったのかもしれないね」


 三界さんかいに家なしと、紫蓮は喉もとで微かに言葉を転がす。


「男に頼らず、最後まで誇りをもって働き続けた彼女の生き様は素晴らしいものだよ。でも、家族がそれを肯定するかは……難しいだろうね」


 おそらくは女の領分ではない、というだろう。

 領分なんて、それぞれがみずからのちからで拓いていくものだというのに。


「まあ、それもまた、憶測にすぎない。真実は水の底だよ。確かなことはひとつさ、彼女の死はきちんといたまれ、葬られた」


 紫蓮にうながされて、絳はあらためて葬列に視線を移す。

 女官たちは涙ながらに花を抱え、かわるがわる、ひつぎに花を収めていく。柩はあっというまに花で埋めつくされた。


蓋棺事定がいかんじてい――棺をおおいて事定ことさだまる、か」


 紫蓮がぽつりという。


「どういう意ですか?」


「そのひとがほんとうによい生き様をしてきたかどうかは、死んだあとにきまる――だそうだよ。生きているうちは、身分だとか利害だとかそういうものに縛られているが、死んだあとは平等だからね。どれだけ偉かろうと、骨に媚びて取りいろうとするものはいないさ」


 紫蓮ははすまなじりを綻ばせる。


ゼン ギンという命婦みょうぶは、ほんとうに素敵な生きかたをしたんだね」


 泣くものがいる、笑うものがいる。

 こんなに賑やかな葬礼があっただろうか。

 風葬地ふうそうちに捨てられていたら、こんなふうにおくられることはなかった。


 紫蓮は息をつき、やっと終われたんだねと睫をふせる。だが絳は、まだなにかが終わっていないような奇妙な胸さわぎをおぼえ、唇をかんだ。

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