34 彼は美しき首斬役人の死神

コウ


 赤紫の服を血潮にそめ、胡乱な眼をしたコウがたたずんでいた。


 月を映して、彼の眼は微かに紅を帯びていた。紅蓮地獄ぐれんじごくを想わせる暗い赤だ。


 転がってきた刺客のくびは、紫蓮シレンが息をのむほどに奇麗な斬りかたをされている。コウの素姓を理解して、紫蓮が息を洩らす。


「そうか、きみは――首斬役人くびきりやくにんだったのか」


 宮廷には処刑人の一族がいる。

 連綿と官職を相続させるほうが技能をつがせるのに都合がよく、死のけがれをその一族だけに被せることができるからだ。なかでも、斬罪を請負うけおう役人は魂まで絶つ死神として、昔から忌避され続けていた。


「軽蔑しましたか」

「僕がそんなことくらいで軽蔑すると想われていたのならば、それこそ軽蔑するよ?」


 紫蓮シレンがふらつきながら、身を起こす。コウが微かに笑った。


「ふふ、そうですね。あなたならば、そういってくださるとおもっていました」


 コウが死の穢れをおそれなかったのはそのためか。だが、ひとつ、腑に落ちない。処刑人の一族が、宮廷の官職につき第三官だいさんかんまで昇進するということは考えられないことだ。

 紫蓮の疑念を察したのか、絳がいった。


「先帝陛下ですよ」


 絳は眸を細める。


「宮廷はあらゆることが権力によってまわっています。なかでも最も強い権力とはなにか、あなたならばわかりますよね」


「産まれ、だね」


 もっとも強いのは氏素姓による階級だ。由緒ある家柄のものは特別な能がなくとも昇進を約束され、卑賎に産まれついたものは官職にもつけない。死ぬまで嘲られ、搾取されるだけだ。


「先帝陛下はそれを覆そうとしたひとでした」


 先帝の話を聴くとき、紫蓮はなぜか、胸さわぎをおぼえる。

 逢ったこともない父親の姿は想像しようにも輪郭がさだまらず、水鏡に映る月をつかむような心許なさが拡がった。


「私が先帝陛下の御眼にとまったのは八年前です」


紫巾しきんの乱があった年だね」


「左様です。宮廷に賊が侵入してきたとき、謀反をはかったのが有能な武官だったというのもあり、逃げだしたり寝がえったりする衛官えいかんや武官が後を絶たなかった。私は剣を取って抗戦しました。私は武官ではありませんが、剣にはおぼえがありましたので。敵を斬り、進んでいくと――あろうことか、先帝陛下がおひとりで敵とたたかっておられたのです」


「先帝をまもる武官はいなかったのかな」


「なんでも賊が、後宮に侵入せぬよう、重臣の制止を振り切って剣を取り、橋にむかわれたとか。よほどにまもりたいものが後宮にあったのでしょうね」


 戸惑う紫蓮をよそに、絳は続けた。


「先帝陛下は武芸に秀でておられましたが、敵は大勢おり、窮地であることは疑いようもありませんでした。私は分をわきまえず、陛下のもとに馳せ参じました。敵のくびを斬って、斬って、斬り続けて――やがて反乱は鎮静されました」


 紫巾しきんの乱のときの綺麗に斬り落とされたくびは、絳が斬り落としたものだっただろう。


「後から御呼びがかかり、私はてっきり罰せられるのだとおもいました」


「陛下を助けたのに、かい」


「助けた、というのは私の都合です。陛下は恥をかかされた、あるいはけがれをうつされたとお考えになるかもしれないと」


 コウが卑屈なわけではない。宮廷とはそんな不条理がまかり通るところだ。高貴なものが罪だといえば、なんでも死刑に値する罪となる。


「ですが、陛下はその功績を称え、家の者が就けるはずもない官職を授けてくれたのです」


 その後は科挙試験かきょしけんを受け、実績を積みかさねて、刑部丞けいぶしょうにまで昇格した。だがここまでこられたのも先帝陛下が取りはからってくれたからだとコウは語る。


「恩があるのです」


 その声は、異様なほどに重かった。


「だから、きみは先帝の死の真実を知りたいのかな」


 紫蓮シレンが鏡のように透きとおる。

 絳はわずかに視線を傾けて、続けた。


「……なぜ、あれほど素晴らしい仁徳じんとくを御持ちの御方が、あのような惨い死にかたをしなければならなかったのかと」


「僕に嘘はつかないほうがいいよ」


 絳が息をのむ。


「恩があるというくせに、きみは先帝について語るとき、きまって眼のなかに濁ったおりを漂わせる。ともすれば、怨んでいるみたいにね」


 恩義を感じている。それは事実だろうとおもった。

 だが、それだけでは、ない。

  彼の先帝にたいする想いはゆがんで、もつれている。紫蓮シレンにむける愛という言葉と一緒だ。


「は、はは……あいかわらず、さといひとだ」


 絳は唇の端をゆがめ、乾いた嗤いをこぼした。


「私はね、終わらせたいのですよ」


 強い風が吹き、花のと血臭が絡まりあいながら、あたりに漂う。せかえりそうな旋風つむじかぜのなかで、コウは呪詛めいた言葉をいた。


「陛下が崩御しても、終わらせることのできなかったものがある。それを怨嗟というならば、そうなのでしょう」


 死は、終わりではない。

 葬ってこそ、終わらせることもできる。


「あなただって、終わっていないくせに」


 コウが嘲笑うように袖を拡げる。彼は紫蓮シレンくびにむかって真っ直ぐに腕を伸ばし、細い喉をつかむぎりぎりまで指を寄せた。

 紫蓮は動かない。

 動けなかった。


「僕、は」


 暗雲を裂き、雷が落ちる。

 凄まじい地響きが押し寄せてきて、コウは我にかえったように腕から力を抜く。

 ひとつ、瞬きを経て、絳がいつもどおりに微笑を投げかけてきた。


「こちらの後始末はまかせてください」


 刺客のことだとすぐにわかった。張りつめていた緊張の糸が、弛められる。紫蓮は刺客のしたいに視線を落として、眉の端をさげた。


くびを、つないであげてもいいかな」


「刺客ですよ。あなたを殺すつもりだった」


「だとしても、だよ」


 誰かに命令されただけだ。刺客に罪があるわけではない。


「ふふ、あなたらしいですね。残念ですが、刑部省けいぶしょうで調査するときに修復のあとがあってはならない。いまはこらえてください」


 絳が背をむける。いま、声を掛けなければ、今度逢ったときには彼はこの晩のことなどなかったように振る舞うだろう。


 終わらせたい、といった絳の言葉が、鼓膜の底で繰りかえされる。


 ああ、そうか。終わっていなかったのだ。


 だから、紫蓮シレンはまだ、ふたりの死に呪縛されている。

 葬らないかぎり、永遠に。


 死は、葬られるべきだ。


 紫蓮はまなじりを決する。


「――先帝の死が暗殺だったと証明する、だったかな。いいよ、きみからの依頼を受けよう」


 コウが眼を見張って振りかえる。


 雷鳴がとどろいて篠突しのつく雨が降りだす。頬を敲かれながら、紫蓮は雨の幕を破るように声を張りあげる。


「先帝の死なんかは、僕にとってはどうでもいいことだよ。でも、ひとつだけ、不可解なことがある」


 皇帝を愛した母親。紫の双眸に皇帝を重ねていたのだとしても、彼女からもらった愛が、紫蓮をこれまで育んでくれた。


 愛していた。愛されていたのだ。


 だが、母親は殺された。


「先代の死化粧妃しげしょうひは皇帝と同じ死にかたをしたんだよ。頬をひきつらせ、唇をねじまげ、眼を剥いて――顔があとかたもなく崩れて、死んだんだ」


 宮廷の裏には底のない闇がある。真実をひつぎの底に隠して、冥昏めいこんのなかで蠢き続けているのは果たして、誰の思惑か。


 紫の眼が、嵐のなかでひらめいた。


「一緒に暴いて、葬ろう―― コウ


 …………

 ……


 弾ける雷雲のかなた、誰にも知られず、明星みょうじょうがあがった。



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 お読みいただきましてありがとうございます。

 カクヨムでの連載はひとまず、ここまでとなります。続き(第四部第五部)は「小説家になろう」もしくはアース・スタールナより出版の「書籍」にてお楽しみいただければ幸甚でございます。

 特に書籍版は夢子様の素敵なイラストがあるほか、書きおろしもたくさんありますので「この続きが読みたいかも」とおもったら表紙と口絵の確認だけでも覗いていただけると嬉しいです。

 重ね重ねになりますが、応援、ありがとうございます。

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後宮の死化粧妃 ワケあり妖妃と奇人官吏の暗黒検視事件簿 夢見里 龍 @yumeariki

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