9  死化粧妃は死に祈らない

  呼吸がとまったそのときから、ひとのからだは崩れていく。

 まずは肌が青ざめて強張り、背から項にかけて死斑しはんというあざが拡がりだす。唇はしぼんで厚みがなくなり、潤いを損なった眼は落ちくぼんで、頬が段々と垂れさがっていく。

 死後三刻(六時間)も経てば、腐敗がはじまる。

 死は刻一刻と変わり続けるものだ。


 だからこそ、死化粧妃しげしょうひがいる――



 牢屋から帰ってきて、四刻(八時間)は経ったか。

 黄昏のなかで、紫蓮シレンは横たわるオウ花琳カリンしたいに語りかけていた。


「どうかな。折れた骨をつぎ、破れてしまっていた肌を縫いあげたよ。しなやかな腕も元通りさ。これで愛するひとを抱き締めてあげられるね。割れていた頭は蝋で埋めさせてもらった。後から髪を結いなおせば、わからないはずだよ」


 紫蓮シレンは死者に祈らない。

 鎮魂の意を唱えるでもなく、死後の安寧を約束するでもなかった。ただ、ここに遺されたしかばねというものに、かぎりない愛をもって接する。


「ああ、唇がまた、乾いてきたね」


 紅筆べにふで椿つばきのあぶらをつけて、唇に施す。こまめにこれを繰りかえしているおかげか、オウ妃の唇はしぼむことなく、いまだに張りをたもっていた。

 歌媛うたひめにふさわしい唇だ。


「あなたは、ほんとうに愛しそうに死者を扱うのですね」


 後ろから声をかけられて、紫蓮が振りかえる。

 いつのまにか、コウがたたずんでいた。窓にもたれて、くつろいでいるところからして、宮にきてしばらく経っているらしかった。


「なんだ、きていたのなら、声をかけてくれたらよかったのに」


「かけましたよ。ですが、まったく聴こえておられないようでしたので」


 死化粧を施しているとき、まわりの声がいっさい聴こえなくなるのは紫蓮の瑕疵きずでもある。


「よい報せです。大理少卿だいりしょうけいオウ妃殺害を認めました。言い争いを経て扼殺やくさつしたあと、オウ妃を廻廊から投げ落としたと――すべて、あなたが語ってくださったとおりです」


「それはよかった」


 死者は嘘をつかない。だが、語られたことから、詳細を推理するのは紫蓮シレンだ。


「黄妃は、喋らずのきんを破ってまで、大理少卿だいりしょうけいになんといったんだろうね」


「それですが、大理少卿の話によれば――」


 大理少卿は、オウ妃と女官のレイが想いあっていることに勘づいていた。なんでもふたりが接吻くちづけしているところを覗いていたのだとか。

 だが、ふたりのあいだに愛があったとは想いもせず、たんに後宮におけるたわむれ・・・・だと思ったらしい。

 好色な眼差しでふたりをみていた大理少卿は、せっかくならば女ふたりを物にしようと考えたのか、「喜べ、レイめかけにしてやろう」といったそうだ。


 好きではない男に嫁いでも、みずからだけならば、まだ辛抱できた。

 だが、愛する女まで妾にされ、凌辱される――それを知ったとき、彼女はなにを想っただろうか。


 絶望し、悲嘆に落ち――腸が煮えたぎるほどの怒りが、湧きあがったはずだ。これまで、なにもかもを諦めて、たえ続けてきたのに。


 たったひとつ、愛したものまで奪おうというのか。

 許せない、許せるものか。


 歌だけを紡いできた喉を荒らげて、オウ妃は叫んだ。


「親の権力を振りかざして欲を満たす無能な男なんかに嫁ぐくらいならば、いま、この場で舌をかみきって死んでやる――――」


 罵られた大理少卿だいりしょうけいは青くなってから、顔を紅潮させ「だったら、死ね!」と黄妃の頚を絞めた。黄妃は殺され、その場にいたレイがその罪をかぶせられた――――大理少卿だいりしょうけいは想っていたはずだ。

 再捜査などされるわけがないと。 

 女官ひとつ、死刑になればことが収まるのだから。


 だが、証拠はあがり、真実が明らかにされた。


「これにより、大理少卿の身分の剥奪、宮廷からの追放処分がきまりました」


「女官のときは死刑だったのに、大理少卿ともなれば、ずいぶんと処分の重さが違うものだね」


「宮廷とはそういうものです」


 声の端に蔑みがまざる。不条理にたいする義憤というには昏すぎる怨嗟が一瞬だけ、眼の底で燃えた。


獬豸カイチと称された先帝が崩御されるまでは、このようなことはなかったのですがね」


 獬豸カイチとは法治と公正を象徴する祥獣だ。

 羊のどうたい竜頭りゅうとうを持っていると伝承され、争いがあれば姿をあらわしてことわりに背いているほうを裁くとされる。先帝はその称にふさわしく、産まれた時の身分にとわず功績をあげれば昇格させ、罪があれば公正に裁いた。


 だが、先帝は五年前に崩御した。

 顔が崩れて落ちるという異様な死にかたをして――


 紫蓮シレンはなにもいわず、まつげをふせる。


「ですが、大理少卿の罪を糺せた。レイも晴れて無罪となり、放免されました。充分です。あなたのおかげですよ、スイ紫蓮シレン妃」


 コウは真摯に紫蓮をみつめ、頭をさげる。


紫蓮シレンで構わないよ。僕はただ、彼女が語ったままに語り、推理しただけさ。それに耳を傾け、再捜査してくれたのはきみだよ」


 これまでは紫蓮が検視の結果をのべても、すでに捜査は終わっているといわれて、終わりだった。だが、絳は女官の冤罪を晴らしてくれた。

 紫蓮が袖を振り、微笑みかける。


「ありがとう、後宮丞こうきゅうじょうさん」


 コウは不意をつかれ、瞬きをする。照れたように視線を彷徨わせてから、彼はいった。


「よろしければ、ですが、私のことはコウと。役職だと、どうにも堅苦しくて」


「わかった。そうさせてもらうよ」


 斯くて、歌媛うたひめの死をめぐる事件の幕はおろされた。

 だが、まだオウ妃は葬られていない。


 紫蓮シレンの本領は、ここからだ。

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