10 死化粧妃は屍に命を分ける
「素晴らしいですね。あれほど酷かった傷がすっかりと塞がって。いやはや、感服いたしました。処置はすでに終わったのですか」
ひとのかたちを取りもどした
「いいや、まだだよ。これからさ」
復元。修復。それだけでは、
てっきり報告を終えてすぐに帰るものだとおもっていたのに、
「側でみていても、構わないでしょうか」
「僕は構わないけれど……」
微笑を絶やさないが、
「逢ったときからおもっていたけれど、きみはちょっとばかり変わった男だね?」
だが、
「大抵のものは、死の
「はっ……」
「死の
窓から差す夕日が陰る。
「人の腹を斬ると収まっていた
「違いないね」
想像するだけで
「死んでいるものが
横たわる
「彼女らは悪意をもたず、ひとを欺かない」
指は踊るように頤をたどり、頚のつけ根にある血管を捉えた。
「ああ、ここだね」
絳が奇妙そうな視線をむけてくる。
紫蓮は黒曜石の医刀を執り、頚筋を僅かに切った。
絳が一瞬だけ、眼を見張る。紫蓮が屍を切りつけるとは想わなかったのだろう。傷に鑷子を挿しこみ、動脈、静脈をつまんで取りだす。
「いったい、なにをなさるのですか」
「血は腐る。だから、抜きとって、腐らない秘薬と換えるのさ」
動脈と静脈に管を挿す。動脈にうす
「……あなたはどうやって、このような技巧を身につけたのですか? 失礼ながら、
「母から教わったんだよ」
「あなたの母親といいますと」
「母は後宮につかえる死化粧妃だったからね」
死にまつわる官職は総じて身分が低い。
後宮では妃という階級におかれているが、便宜上にすぎず、実のところは
「
吸いつくような肌の張りがよみがえり、血が取りのぞかれたことで死斑もなくなっていた。ふるぼけた蝋を想わせた死人の肌が、すっかりと健やかな赤みを帯びている。
奇蹟だ。
「死者に効能がある薬か。どのように造られているのか、うかがっても?」
「ふふ、秘密だよ。でも、ああ、きみにだったら、あるものをつかっていることだけは教えてあげようかな」
紫蓮が指をたてる。
「水銀と、砕いた
「……どちらも致死毒ですね」
水銀は不老不死の
「ああ、そうだよ。死化粧には毒がある。だからね、死の穢れなんてものはないが、死化粧師の側にいると寿命が縮むという噂だけは
紫蓮が声を落として、瞬きをする。
「死者にちょっとずつ、命を分けているみたいだろう?」
動静脈を糸で縛った。血液の交換は終わりだ。
紫蓮は再度、
「ああ、そうだった。きみがいっていたとおり、腸も腐敗するんだ。だからね、
言いながら、紫蓮がひと息に
背後で
無理からぬことだ。
すでに死したものをなおも傷つけ、遺体を損壊するのはいまわしいことだと考えられているためだ。よって、検視官は外傷、死後の経過による損傷だけをみて、調査をする。
だというのに、
絳は言葉を絶しているのか、とがめるどころか、呻き声ひとつあげなかった。
さすがに蔑まれるか、おそれられるか。もっとも逮捕されるのはご免だ。弁明だけはしておこうかと紫蓮は苦笑する。
「おどろかせたかな。解剖は禁だが、死化粧師だけは特例として屍を
喋りながら振りかえった紫蓮は、言葉の端をかすれさせた。
紫蓮を映す絳の眼がそこにあった。その
「――きれいだ」
あふれんばかりの歓喜を湛えていた。
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