11 奇人官吏、妖妃に惚れる
「――きれいだ」
あふれんばかりの歓喜を湛えていた。
黄昏が強くなる。燃えつきるまぎわの
「っ……」
「好きです」
「……は?」
紫蓮は一瞬、なにを言われたのか、理解できなかった。
「ああ、恋に落ちるというのはこういうことなんですね」
なんだか「恋」とかいう言葉が聴こえたが、聞き違いだろうか。どうか、そうであってくれ――紫蓮はいっそのこと、祈るような想いになる。
腹を
だが、硬直する
「恥ずかしながら、私は人を好きになった経験がなく、愛というものはくだらないとばかりおもっていたのですが、なるほど、これがそうなのですね。胸が弾んで、頭がくらくらして、あなたに触れたくてたまらない」
「――――っ」
ぞくぞくとした悪寒が、紫蓮の背をかけあがってきた。我にかえった紫蓮は絳の手を振りほどこうと、ぶんぶんと袖を振る。
「ちょっ、ちょっと! なにがなんだか、わけがわからないよ」
「わかりませんか? 私は、あなたに惚れたんですよ、
「だから、そうじゃなくてだね」
なぜ、解剖をしているときに、惚れたとかいう発想にいたるのかと糾弾したいわけだが、完全に会話がかみあっていなかった。
「ああ、もうっ、わかったよ。わかったから、まずは離してくれないかな! 屍と違って、生きているにんげんの肌はなまぬるくていやだ! 触れられると悪寒がする!」
「っと、それは失礼」
いやがっているのがわかったのか、思いのほか、あっさりと指がほどかれた。
「あなたがためらいもせずに屍を
だが、まだ、眼のなかの熱はとけていない。
「……ちょっとばかりじゃなくて、きみはずいぶんな奇人だねぇ」
紫蓮は頭を振り、ため息をついた。
「でも、こまりましたね。振られてしまったようで。
絳は残念そうに肩を落とす。
先程までの昂揚からは、想像もつかないほどにしぼんでしまっていた。そのすがたは叱られた
「……わかった。ここにいても、構わないよ。ただ、僕には触れないでくれるかな。ほんとうに人肌だけは無理なんだよ」
「誓います。あなたにきらわれたくはないので」
ようやく落ちついた
「腐るのはこまるけれど、
「ふむ、
宦官は男の物を切除し、宮に入るが、男根を紛失してしまうと魂は死後、再びに男にはもどれないといわれている。
紫蓮はからっぽになった腹に
「さあ、ここからもっと、きれいにしてあげないとね」
「それは……化粧、ですか?」
「そうだよ、なんだい、意外でもないだろう? 僕は死化粧妃なんだよ」
寄木細工の箱には
「眉は細いほうがいいね。
「
箱を覗きこみながら、絳がへえと息をついた。
「赤といっても、青みがかったものから、黄みがかったもの、紫を帯びたものまであるからね。唇のかたち、厚み、肌の色調をみれば、似あう唇紅、似あわない唇紅がわかる。黄妃の素肌は黄みがかっているから、
喋りながら水おしろいを施して、刷毛でこなをはたいていく。
「ああ、きれいだよ。頬はどれがいいかな」
「なみだぼくろがあるんだね。可愛らしいな。隠さず、際だたせてあげようね」
紫蓮は
「……失礼ながら」
絳がふつと沈黙を破る。
「これまで私は、妃たちがこぞって施す化粧というものによい心証をもっていませんでした。ですが、あなたが施すと、なんでしょうか……とても、きれいだと感じます。うまく言い表せないのですが」
「ああ、妃たちは鏡をもっていないらしいね」
妃が鏡をもたないはずがない。
かといって、言葉どおりの悪態でもなかった。
「ただ、飾ればいいわけじゃないのさ。ちゃんと、なにが似あうのか、なにが似あわないのかを理解して、施さなければね。ついでにこれは、
水だけではなく薬もつかって
「ひとはなぜ、化粧をするとおもう?」
絳がなにかを言いかけて、唇を結んだ。おおよそ、男を誘うため、とでもいいかけてやめておいたのだろう。
「愛するためだよ」
虚をつかれたように絳が眉根を寄せた。
「愛されるため、ではなく、ですか」
「そう、産まれもった顔を――強いていえば、みずからを愛するためさ。死んではじめて、それは愛されるためのものになる」
愛することは受けいれることだ。
「葬ることは死者のためにあらず。遺され、哀惜するひとたちのため、屍は一度だけ、よみがえるべきだ」
花鈿とは梅や星のかたちに細工された紅紙で、婚礼のときにはかならず、これを額につける。
「さあ、愛するひとにさよならをいっておいで」
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