12 死せる花嫁はよみがえる

 夜天やてんに月が満ちた。

 女官は宿舎しゅくしゃを抜けだし、息を弾ませて、後宮の庭をかけていた。

 レイだ。レイには愛するひとがいた。オウ花琳カリン妃だ。身分が違っても、愛し、愛されていた。だが、黄妃は殺された。


 冤罪をかけられたレイは絶望していたが、逢ったこともない妃がきて、話を聴いてくれた。

 妃はいった。罪を晴らすため、再捜査を進めていると。


 とても信じられなかった。


 女官のためなどに官吏が動くとは思わなかったからだ。だが、その後、鈴の無罪が実証され、かわりに大理少卿が裁かれた。


「だから、そのときは、きみが黄妃をおくってくれ」


 妃はそういっていた。


 だが、罪が晴れても、それはかなわぬ夢だ。

 葬礼はオウ家が執りおこなう。奴婢ぬひあがりの女官では葬礼に参列することはできない。

 再びに愛するひとに逢うことは、かなわないのだ。


 だからこそ、最後に三階からみた黄妃の姿が、鈴の眼に焼きついていた。


 割れた頭から血潮を垂れながし、腕も脚も折れまがった悲惨なすがた。歌わなくなって、鳥篭から投げ捨てられた知更雀こまどりみたいな。


 きたならしく、みじめたらし、く。


 歌媛は死んだ。


 その事実が、鈴を苦しめ続けていた。

 彼女は幸せになるべきだったのに。


「恨みます。花琳カリン様。ずっと一緒よ、といっていたのに。なんで、さきに逝ってしまわれたのですか。私を遺して、なぜ」


 黄妃とそろいの耳飾りを握り締め、ひとり嘆いていた鈴のもとに遣いがきた。靑靑ショウショウという宦官かんがんだ。


「婚礼は今晩、鶏鳴けいめい(午前二時)に月季花ばらにわで」


 どういうことかと尋ねたが、宦官はレイに伝達するように命令されただけだと頭を横に振るばかりだった。


 ひとつだけ、思いあたることがあった。


「あなたの花嫁にふさわしく、よみがえらせるからね――」


 奇妙な妃は、確かにそういった。


 無理だ。彼女うたひめはすでに壊れてしまった。再びには還らない。それでも、もういちど逢えるのならば。


(最愛のひとの死を受けいれ、許すことができるでしょうか)


 鶏鳴けいめいの鐘が響きだすなか、鈴は月季花宛ばらえんにたどりついた。


 あたりはしんと静まりかえっていた。雪を欺くほどに純白しろい花が月影を帯びて、ぼうとあまやかに夜陰を融かしている。風が吹きつけると噎せかえるほどのこうが漂って、微かだが、眩暈をおぼえた。


「まっていたよ」


 月季花ばらに埋もれて、紫の睡蓮すいれんを身にまとった妃がいた。


 彼女の傍にはひつぎが横たえられている。

 オウ花琳カリン。あそこにレイの愛するひとが眠っているのだ。たまらなく胸を掻きみだされ、鈴はふらふらと柩に吸い寄せられていった。


「さあ、ふたりきりの婚礼だよ」


 紫蓮は袖を掲げて、踵をかえす。


 最愛の人が、どんなすがたになっていても、受けいれよう。


 意をけっして、柩を覗きこんだ鈴は息をのんだ。


「花琳様」


 最後に語らった時と変わらぬすがたで眠り続ける、最愛のひとがいた。

 穏やかに重ねられた花瞼かけん、微かにうす紅を帯びて華やいだ肌。折れてしまったはずのしなやかな指を胸もとで組み、刺繍のおうぎをもっていた。


 ああ、そうか。

 つぶれて崩れたあの死に様は、わるい夢だったのだ――


「……だって、こんなにきれい」


 花琳が身につけているのは経帷子きょうかたびらではなく、紅絹こうけんで織りあげられた婚礼こんれいの服だった。額には紅紙こうし花鈿かでんが施されている。


 サイでは婚礼のときはかならず、真紅の絹をまとう。紅はサイで信仰される火の神を表し、厄を除けて幸福をもたらすとされるためだ。


 幸福な花嫁にふさわしく、艶やかに潤んだ唇はやわらかく綻び、微笑を湛えていた。この唇がどれほど雅やかに歌を紡ぐのか、レイは知っている。


 だが、彼女は喋っているときが、もっとも愛らしいのだ。

 ころころと弾むような声で、花琳カリンは喋る。


 鈴だけが、知っていた。

 歌媛うたひめと称えられる知更雀コマドリの声ではなく、どこにでもいる姑娘おんなの声を。


 彼女はいつだって、嬉しかったことも、腹がたったことも、さみしかったことも、想ったことを想ったままに声にするのだ。


「ばかじゃないの」「うんざりだわ」

「歌なんかだいきらいよ」


 彼女の唇から紡がれた言の葉は、悪態ひとつでも可愛らしく。


「側にいて、わたくしをさみしがらせないで」

「だい好きよ」「愛してる」


 まっすぐに愛をぶつけてくる彼女が、どれほど愛しかったことか。


「花琳様、花琳様……愛しております」


 鈴が涙をこぼしながら、花琳カリンの髪に触れた。耳飾りが微か、揺れる。ふたりでひとつの比翼つばさだといって、花琳がくれたものだ。


「願わくは」


 鈴は歌をそらんじるようにつぶやいた。


「地にありては連理れんりの枝となり、天にありては比翼ひよくとりとなりましょう。天地あめつちは変わらずとも、万物は移ろい、つきる。されど、かなしみは永劫につきせぬと」


 黄花琳が教えてくれた宣誓だ。はるか昔の皇帝が最愛の皇后を娶るとき、この宣誓をしたという。


 オウ花琳カリンは今、レイだけの花嫁だった。


 風が渡る。花が舞いあがった。

 彼女は死せるひとの唇に接吻くちづけをする。


 月だけが、ふたりぼっちの婚礼をいつまでも祝福していた。

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