13 妖妃、妃妾から苛められる
夏の朝は青紫がかっている。
翌朝になって、喪に服した
だが、黄花琳はすでに葬られた。
彼女を愛し、彼女が愛したひとによって。
「
遠くからそれを眺めていた
さきほどまではうす昏かったのに、段々と日があがってきた。暑くなるまでに帰ろうとおもったのがさきか。
紫蓮の頭上から、水が降ってきた。
「まあ、死臭がするとおもったら、
「いやねぇ、けがらわしい」
「後宮のなかで
振りあおげば、二階の窓から
「離宮にいれば、こんなことにならなかったのに。身の程も知らずに庭なんかにきたからよ。
侮蔑、嘲弄といったつぶての嵐が、紫蓮にむかって降りしきる。
だが、紫蓮は眉の端すら動かさなかった。ただ、やれやれとため息をついて、濡れた髪を掻きあげる。
「いとわしいとおもうのならば、僕には構わないことだね。触らぬ神に祟りなしというだろう?」
髪の帳から覗く紫の
「それとも、祟られたいのかな」
妃妾たちは背筋を凍りつかせて、わずかに後ろにさがった。
だが、こんな
「なによ、おどすつもりなの? ほら、それも落としておやり」
からっぽの水桶をかかえていた女官がためらいを覗かせる。だが、妃妾の
「っ」
紫蓮には運動神経がない。
どう頑張っても、落ちてくる桶を避けられそうにはなく、彼女はぎゅっと身を縮める。
だが、想像した衝撃は、やってこなかった。
赤紫の官服が、視界の端で揺れる。
彼は剣を抜き、一瞬にして桶を両断した。ふたつに割れた桶が石畳を転がる。
「これはいったい、どういうことですか」
「あ、あれって、
「なっ、なによ。ただの遊びじゃない。死臭がしみついていたから、きれいにしてあげようとおもっただけよ」
「遊びですか。
「どっ、どちらもこの女官がやったことよ」
妃妾はあろうことか、女官に責任をかぶせた。青ざめて縮みあがっている女官をみて、絳は女官を責めてもしかたがないと諦め、
「……再びにこのようなことがあれば、つぎは捕らえます」
「っ……いきましょう」
妃妾たちがいっせいに逃げていった。彼女らの背が遠ざかってから、
「厄介事にまきこんで、すまなかったね。これだから、生きているにんげんはきらいなんだよ」
紫蓮はため息をつきながら、濡れた袖をしぼる。
ほたほたと髪からは雫が垂れた。朝ということもあって、風がひんやりとしており、濡れた肌は微かに粟だっている。
絳がそれをみて、遠慮がちに近寄ってきた。
「触れるのはだめでも……
そうっと、いたわるように外掛をかけられた。
想わぬ心遣いに紫蓮は一瞬だけ、肩さきを震わせたが、拒絶することはせずに「ありがとう」と果敢なく微笑んだ。
「でも、気遣うことはないよ。幼いときから、ああいう扱いにはなれているからね。いまは、ましになったほうさ」
強がりではなかった。
幼少期から、ずっと繰りかえされてきた。つぶてを投げられたこともあれば、階段からつき落とされたこともある。なれたというよりは、諦めた。離宮をめったに離れないのも、他人にかかわると碌なことにならないからだ。
紫蓮は窓をみながら、たんたんと続ける。
「かわいそうなひとたちだよ。どれほど死を疎み、穢れだと遠ざけても、結局は彼女たちだって
妃妾を含めて、斉では柩の乗った柩車が通りがかると慌てて口を噤み、耳を塞ぐという風習がある。死者の穢れを避けるためだ。
「あるいは、だから、か。死に逝くとわかっているから、おそれるのかな」
おそれるだけならば、構わないのだ。
だが、ほとんどのものは、死にまつわるものを蔑む。
「死者は下等で、命ある身は上等であるかのような振る舞いには
紫蓮はふと妙な視線を感じて、絳を振りかえった。
「ほんとうにあなたというひとは……」
このあいだもそうだったが、なにが絳の琴線に触れたのか、紫蓮にはまったく理解できない。
「あなたは、あのようなことをされていながら、虐げてきた側を哀れむのですね」
強い風が吹きつける。
絳の髪がさらさらと、笹の葉のようになびいた。彼は嬉しそうに唇をなでて、かたちのよい口端を持ちあげる。
「……ますます、好きになってしまいました」
「えぇぇ……?」
たいする紫蓮は眉を曇らせて、あからさまにげんなりとする。
「そんなにいやがらないでくださいよ。
「えええぇぇぇ……?」
笑いかけられて、紫蓮はまた一段といやそうな声をあげたが、絳は幸せそうに
***
朝は終わって、また昼になる。
誰が逝っても季節は
だが、そんな
他愛のないことを喋りながら、ふたりして夏の庭をいく。咲きにおっていた夏椿がひとつ、ほたりと落ちた。
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