14 奇人官吏の初恋
とくに
だが、それはすぐに隠しきれない微笑にかわる。
(恋に落ちるというのはこうも幸せなきぶんになるものだったのか)
綏紫蓮――彼女のことを考えるだけでも、頬が熱くなり、ぎゅうと胸を締めつけられる。
絳はこれまで女人に言い寄られた経験も一度や二度ではなかったが、くだらないとおもうだけだった。きっと、死ぬときまで、恋愛というものは理解できないだろうと諦めていた。
だが、紫蓮が屍の腹を割いたあのとき、これまでの彼が
視線を奪われる、どころではない。たった一瞬で、呼吸も意識も、すべてを彼女に奪われた。酔って眩暈でも起こすようにぐらりと頭が揺れ、指の先端まで痺れた。それほどの衝撃があった。
(産まれてはじめて、ひとをきれいだとおもった)
聴くだにおぞましい
みせかけを飾りつけるだけではなく、腹のなかの汚穢まで浄め、最期の最期まで腐蝕や崩壊から人の尊厳を護ろうとする彼女の慈愛。
ほかの誰に理解できずとも、絳には――絳にだけは、
転瞬、胸の底から燃えたぎるような激情があふれてきた。
たまらなく愛しい――ああ、これが恋かと。紫蓮をずいぶんと戸惑わせてしまったが、あのときいったことに嘘はひとつもなかった。
もっとも、浮かれてばかりはいられない。絳はひと呼吸を経て、きもちを切り替える。
日が落ちて、人影が
「君が
初老に差しかかった肥えた男――
絳は袖を掲げ、低頭して挨拶をする。
「再捜査で裁定を覆し、女官の冤罪を解いたとか。いやはや、実に有能な若者で、頼もしいかぎりだよ」
「恐縮です。
「だが、君は考えてはみたかね。
あからさまに釘を刺された。よけいなことをしてくれたなという意が強く感じられて、絳は嗤いだしそうになる。
愛想笑いを張りつけて、はぐらかす。
「妙なたとえですね。
吏部尚書が呻り、侮るように眉根をゆがめた。
「ふむ、青いな」
吏部尚書は
「貫けるものならば、貫いてみたまえよ。月のある晩ばかりだといいがね」
「御忠告、痛み入ります」
吏部尚書が遠ざかっていってから、ようやくに頭をあげた絳は軒にさがった
「あいにくと産まれた時から月どころか、星もあった試しがないんですよ。
月がなければ、進めないのはそちらでしょうと喉に
風で燈火が揺らぎ、影の群がいっせいに渦をまいた。
宮廷は敵だらけだ。腹のうちを
後宮もまた、しかりだ。
華やかな暗がりのなか、彼は臆さず、進んでいく。
その眼には、復讐の火がごうと燃えていた。
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