15「あなたは死に縛られている」
星あかりだけが微かにともるなか、
風もないのに、
「こんな時刻に妃の
振りかえれば、予想どおり、
「依頼かな」
「いえ、
彼の眼が昏く燃えているのをみて、
「宮廷は穢れています」
「権力者にとって都合のよい律令ばかりがつくられ、財は富めるものに貪られ、民は貧富の格差に喘いでいます。罪人であろうと、賄賂を渡すか、貴族ならば処されることもなく、かわりに身分の低いものが無実の罪で殺されていく――あなたは、知っていますよね?」
「ああ、そうだね。そのとおりだよ」
「不義を
絳は声を落とすことなく、続けた。
「
先帝の死、という言葉を聴いた一瞬。
絶えず、張りつめていた紫蓮の眼差しが、揺らいだ。
「陛下の死は異様だった。頬がひきつれ、瞼はねじまがり、唇がひずみ、おもかげもないほどに
紫蓮は唇をかみ締める。
「誰もが祟りだといった――陛下はその夏、民の集落を焼き払うという、これまでの穏やかさからは考えられないような暴挙に及び、まわりに強い不信感を抱かせていましたから」
だが、祟りなどはない。
死者の魂は、ただ黙するのみだ。
あるのは暗がりでうごめき続ける生者の思惑だけ。
「……それを、僕に解明しろというのかな」
「解明ではなく、証明です」
つまりは、皇帝が暗殺されたという証拠をつかめということだ。
「危険をはらむことです。ですが、あなたならば」
「あなたは死と語ることでき、なおかつ――先帝陛下の
彼女は紫の眼をゆがめた。
宮廷において、
「……先帝は、
怨みごとをこぼすように紫蓮がいった。
風が吹きつけ、窓を
「先帝の
「ですが」
紫蓮の眼差しは凍てついている。彼女は絳を睨みつけながら、拒絶する。
「諦めてくれたまえ、きみの頼みは聴きいれられない」
一拍を経て、絳は取り繕うように微笑した。
「わかりました。今晩はひきさがります。ですが――」
絳は紫蓮に触れるか触れないかのぎりぎりに腕を伸ばして、壁に身を寄せた。壁ぎわにいた紫蓮は捕らえられるかたちになる。
「な、にを」
「あなたは、死を愛し、死に愛されている」
絳は低く鼓膜に息を吹きこむように囁きかけてきた。
「それは、死に縛られているということですよ。あなたがどれだけ先帝を怨んでいようと、あるいは怨んでおられるからこそ、死のほうがあなたを絡みとって、離さないはずだ」
呼吸もできず、
「あなたは、先帝陛下の死に呪縛されている」
「……!」
「ふふ、先帝を怨んでおられるのですね。……
心から嬉しそうに
「……なぜ、笑うんだい」
「さて、なぜでしょうか」
絳が歓ぶときはいつだって、紫蓮には理解できない
いまだってそうだ。
例えば、紫蓮が父親たる先帝を愛していて、死の謎を解いて報復をしたいといいだせば、絳の思惑どおりにすべてが動き、歓喜するのも理にかなう。だが、紫蓮は彼の頼みを拒絶した。
それなのに、なぜ。
「強いていうならば、そうですね。あなたのことが、さらに愛しくおもえたから、でしょうか」
彼はさながら、
燃えていて、明るいはずなのに、現実にはそんなものは何処にもない。近寄ることもできず、触れることもできない幻のひかり。つかみどころがないというよりは、つかむことのできない虚ろさを感じる。
「つまらない冗談は――」
「冗談ではありませんよ。僕はあなたには誠実でありたいとおもっています。言ったでしょう? はじめて好きになった
それでいて、彼はこの期におよんでも、紫蓮に触れることだけは、しないのだ。指先ひとつ、彼女にかすめることがないよう、神経を張りつめているのがわかる。
誠実でありたいといった言葉を、実証するように。
「あなたはきっと、僕とおなじだ」
絳はそういうと紫蓮から身を離し、背をむけた。
「ああ、ひとつだけ、伝えさせてください――先帝があなたがたをわすれたことはありませんでしたよ」
なさけのようで、呪詛のような。
言葉ひとつを残して、絳は宮を後にしていった。
残された紫蓮は崩れるように壁にもたれる。
静まりかえった殿舎に死んだ花の
「なんで、いまさら……」
想いださせるのか。
五年前のことは、とうに終わったはずだったのに。
そう考えながら、ほんとうは紫蓮はわかっていた。終わってなどいない。ほんとうに終わっていたら、夜ごとの夢に現れたりはしない。
紫蓮はいまだ、ふたつの死に縛られている。
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