19 微笑みの妃は真実の顔を望む
「死に
女官たちが幼い
男物の服を身につけた姑娘――
母親が熱をだして、倒れた。うなされながら、皇帝の
だが、皇帝が御渡りになっているという
紫蓮は涙をこらえて、女官たちに頭をさげた。
「おねがいします、陛下が、皇帝陛下がこちらにおられるのでしょう? どうか、逢わせてください。ぼくは皇帝陛下の
「ねずみのように卑賎な身分で、陛下の御子だと語るとは!」
「なんて浅ましいのかしら。けがらわしい職についているものは、根性まできたないからいやだわ」
母親を侮辱され、紫蓮はたまらずに声を張りあげる。
「違います。母様のおしごとは、けがらわしくなんか、ありません」
紫蓮は幼心ながらに
母親がいかに誠意をもって死にむきあい、屍を扱っているのか。紫蓮は絶えず、側で見続けてきた。腐敗を遠ざけ、崩れてしまった部分を復元する。おしろいをはたいて紅をさし、
それはともすれば、奇蹟のような。
「母様は、ちゃんとなすべきをなして、後宮におります。だれにも、ばかにされるいわれなんてありません」
「なによ、なまいきね」
幼い
「どうせ、おまえが産まれたのだって、なにか卑劣な手段を弄したに違いないわ」
「ほんとは宦官とのあいだにできたんじゃないの」
「男の服を着せて、男の言葉遣いをさせているのも、
紫蓮の瞳がゆがむ。
「そんなこと」
ないと言いかけて、声がつまる。
「どっかにいってちょうだい、死の
女官が想いきり紫蓮を突きとばす。あ、と声をあげ、紫蓮が橋から落ちた。さすがにまずいとおもったのか、女官たちは慌ててその場を後にする。
「っ……かっ、たす、……け」
真夏のなまぬるく濁った水が喉に絡みつき、呼吸もできない。もがいても水藻を掻くだけだ。
溺れる――
すぐ側に死を感じる。意識が遠ざかっていった。
「まあ、なんてこと」
「ひどいわ、こんなに幼いこどもを突き落とすなんて。ほら、呼吸をして……」
背をさすられて咳こみながら、紫蓮はなんとか息をする。
華が綻ぶように微笑する妃の姿が、ぼやけた視界に映る。場違いなほどに嬉しそうな微笑。
それが、
✦
他愛のないことを喋っているうちに、これが友だちというものなのではないかと紫蓮は想いはじめていた。
「紫蓮、また、いじめられたのね」
紫蓮がひとり、散りそうな
「琉璃」
「つらかったわね」
振りかえれば、
それなのに、彼女の微笑はいつだって、冬のにおいがするのだ。
「みんながいうんだ。母様がなさっていることは、けがらわしいことだって。
黄ばみはじめていた
「でも、あなたはそうは想わないのでしょう?」
「おもわない。だって死んだひとを、いちばん幸せだったときにもどしてあげるおしごとなんだから。ちぎれたところをつないで、へこんだところをなおして、お別れのときにわらって「さようなら」ができるようにするんだって、母さまがそういってた。だけど――」
他人からどう想われていても、紫蓮はすでに傷つかなかった。そういう諦めを、七歳ですでに身につけていた。
だが、皇帝陛下――彼女の父親が、母親の職をけがれたものだとおもっているのだとすれば、紫蓮にはたえられないほどにつらかった。
紫蓮はいい。どうせ、会ったこともない父親だ。思慕を抱いたこともなかった。だが、母親はいつだって、皇帝のことを愛し、慕い続けていた。
黙ってしまった
「
紫蓮が息をのむ。
「一度だけね、後宮で執りおこなわれた葬礼に参列したことがあるの。階段から落ちて頭を強く打ちつけたとか。でも、
だからね、と彼女は続けた。
「恥じることはないのよ。胸を張って。死化粧師は素晴らしい
これまで、
見張られた紫蓮の瞳からほつり、涙がこぼれた。
「うらやましいわ。あなたは涙が流せるのね。死んだひとのために涙を流してあげることも、できるのね」
「まさか、あなたが微笑みを絶やさないのは」
「……そうなの、微笑むことしか、できないのよ」
どこまでも穏やかな声で、彼女は言葉を紡いでいく。
「わたしってなんにもできないでしょう? 舞もできなければ、
彼女は、女らしいことが、なにひとつできなかった。
「でも、ほら、器量だけはいいのね」
人差し指を頬にそえて、彼女は華の
透きとおるような
「だから、微笑んでいれば、
「咳が続いて死にかけた朝も、大事に飼っていた猫が死んだ晩も、一瞬でも笑顔を絶やすことを、母親も父親も許さなかったわ」
「それは」
「
「ふふふっ、もう、おそかったの」
嬉しくてしかたがないとばかりに彼女は鈴の声を奏でる。だが、それは次第に咳にかわる。喋りすぎたせいか、
「つらかったね」
ほかにかける言葉が、なかった。
「つらかった」
「うん、つらかったんだね」
「でも、つらくても、哀しくても、腹だたしくても、わたしにできるのは微笑むことだけなのね」
青ざめて紫になってきた唇から、咳と一緒に血潮がこみあげてきた。それでも、幼いときからすりこまれた微笑が崩れることは、ない。
「だから、ねえ、紫蓮にお願いがあるの」
琉璃は
声も、唇も、眼も、微笑んでいる。だが、紫蓮にだけは彼女が今、泣き崩れているのだとわかった。どれほど真剣に願いを託しているのかもまた。
「あなたがいつか、
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