3 「屍は語るよ」

「〈後宮の死化粧妃しげしょうひ〉であるあなたに依頼があり、参りました」

「いいよ。しかばねの声ならば、僕は聴きいれよう」


 姑娘むすめがうっそりと唇を綻ばせて、微笑んだ。

 コウは低頭してから、いったんもどって、車に乗せられていた物を運んできた。それなりに重さはある。悪臭が鼻をついた。


「あなた様はいかに損壊した屍であろうと、よみがえらせることができるとか。このようなありさまでも?」


 こもほどいた。

 惨たらしいしたいがあらわになる。

 くびが折れてまがり、剥きだした眼のふちからはすでにかたまった血潮の塊があふれている。頭も割れ、結われた髪が垂れだした脳漿にまみれて、ぐずぐずに濡れていた。脚は骨折し、ふくらはぎから骨がつきだしている。


オウ花琳カリン妃です。後宮の知更雀コマドリと称される歌媛でした」


 不条理な死を具現したようなかたちで横たわる亡骸には、彼女がみなから愛される歌媛うたひめであったときのおもかげはない。いかに窈窕ようちょうたるひめであろうとも、死んでしまえば、肉の塊だ。


 華やかな服をきて、高値な耳飾りをつけているのがよけいに無残だった。

 酸鼻さんびをきわめる屍をみても、紫蓮シレンは眉の端ひとつ、動かさなかった。それなりに経験を重ねてきたコウでも直視に堪えかねるというのに、笄年けいねんを迎えてもいない姑娘むすめが視線を逸らさず、死を眺めるさまは異様な凄みがあった。


「ああ」


 水鏡みかがみのように紫蓮シレンの瞳が透きとおる。


「彼女は殺されたんだね」


 コウが息をのんだ。


「誰かに高いところから落とされた。三階くらいかな。石畳に勢いよくたたきつけられたみたいだね。死んでから経過した時は推定二刻(四時間)ほどかな」


「……左様です。しかしながら、なぜ、わかったのですか」


 コウはなにひとつ、語ってはいない。

 ただ、死体をひき渡しただけだ。

 損壊の程度から転落して死んだことまではわかっても、事故なのか、投身なのか、はたまた他殺なのかを推理することは不可能だ。


しかばねは語るからね」


 妖妃ようひという異称にふさわしい猫の笑みで、紫蓮シレンは唇を弧にする。


「霊媒のようなことができると」


「霊媒か、霊媒ねぇ。敏そうにしていて、ずいぶんと愚かなことをいうね」


 まっこうから愚かだといわれているのに、絳はなぜかいやな気分にはならなかった。


「死者は黙して語らず。死人に口はなしさ。けれども、死体は語るものだ。まわりに知らせてほしいと語られた真実ならば、喋るのが聴いた者の務めだろう?」


 コウつばきをのむ。妙な昂揚が胸のうちから湧きたつのを感じた。

 刑部省に勤める官人かんととしては、事件の概要をみだりに部外者には話すべきではない。だが、絳は想わず、といった調子で語りはじめていた。


「事件の経緯はこうです。晡時ほじ(午後四時)ごろ、オウ妃は女官に突き落とされて、三階にある廻廊から転落、頭を強打して死亡した。女官は現場にかけつけた捕吏に捕縛され、殺人罪で死刑に処されることになっています」


「女官が殺害したという証拠はあるのかな。突き落としたところをみたものがいるとか」


「三階のてすりから身を乗りだして、落ちた妃をじっと眺めている女官の姿を、ほかの女官および宦官がみています」


 ですが、とコウは続けた。


「女官は容疑を否認しています。それどころか、大理少卿だいりしょうけいオウ妃を殺害した、と嘘の証言を繰りかえしており、始末に負えません」


 大理寺だいりじは事件の審理しんりつかさど部署ぶしょで、第二官である大理少卿だいりしょうけいはその最高権力者である大理寺卿だいりじけいの補佐にあたる。宮廷裁判所における書記官だ。


「証拠もなく、身分のある官吏に疑いをかけるなんて、もってのほかです」


 コウが頭を振る。


「そうかな」


 紫蓮シレンがつぶやいた。


「その女官の証言は、あながち嘘ともいいきれないよ」

 意外な言葉にコウは眉の端をあげる。


「まず、ひとつ。オウ妃は背後から突き落とされたのではなく、揉みあってから後ろむきに落ちている」


「現場をみてもいないのに、なぜ、そんなことが?」


「わかるよ。彼女の鼻は、折れていない。もっともやわらかい骨であるにもかかわらずね。割れているのも後頭部から側頭部にかけてだ。うつぶせに落ちたわけではないということだよ。かわりに腰と背を強打しているね。まだ、確かめていないが、尾てい骨を骨折しているはずだ」


 紫蓮シレンは静かな声で続ける。


オウ妃のくびをみてごらん」


「折れていますね」


 美しい声を紡いできたであろう歌媛うたひめくびは、あらぬ角度にまがって、折れている。頭から落ちたのだろうか。


「いいや、潰れているんだよ」


 紫蓮シレンが乾いた布を取りだして、黄妃の喉もとについた血潮を拭う。


「ほら、痣があるだろう。これは鬱血痕うっけつこんといってね、転落死ではまずつかない。くびを絞められた証だよ」


 オウ妃の肌には赤紫がかった痕が散っている。

 紫蓮シレンは細い指をあざにそえて、続けた。


「ここが親指、こっちが人差し指だね。わかるかな、僕ではどれだけ手を拡げても押さえきれない。女では無理だろうね。きみ、頚に指をまわしてくれるかな」


 コウが頬をひきつらせる。指を添えるだけとはいっても、死人のくびを絞めるなど、進んでやりたくはなかった。だが、確かめるためにも指をあてがえれば、男が指をまわしてちょうどのところに痣がきた。


 紫蓮シレンの推理どおりだ。


 指をはずしたときにあたったのか、妃の耳飾りが微かに音を奏でた。

 一瞬だけ、コウの意識がそちらにむかう。

 隻翼せきよくの鳥を模った風変わりな耳飾りだ。だが、何処かで見掛けたことがある。確か、容疑者の女官がそろいの物を身につけていた。妃が女官にあげたのか? だとしても、そろいで身につけるだろうか。


 奇妙におもいながらも、いまはどうでもいいことだと視線を剥がす。


オウ妃は男に首を絞められ、殺害されたということですか?」

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