第2話 初ダンジョンと女戦士
調達部の社員は、俺が部屋に入ってきた途端に一斉ににらみけてきた。
俺の事務処理はパソコンと顔を突き合わせているだけで一日が終わることが多い。
そのため調達部の連中とはまったく面識がなく、まぁ歓迎されないだろうとは思っていた。
それでも、ここまでとは思わなかった。
こういうときは一番偉そうなのを捕まえて手短に退散するのが吉だ。
俺はデスクが他の社員たちから離れている偉そうなハゲに当たりをつけた。
「事務の加藤です。上司から田中さんの代わりにダンジョンへ行くように言われて来ました」
「……」
無視かよ。
「あの、なんでもいいので武器を貸していただけないでしょうか」
『なんでもいいので』と口にした瞬間ものすごい顔でにらまれた。
ダンジョンをなめてると思われたのだろうか。まぁ実際なめてるが。
これは地雷を踏んだか?
偉そうなハゲは無言で壁の方を指した。傘立てに何本か剣が刺さっている。
「あそこの剣、使っていいってことっすか?」
「……」
せめてうなずくくらいしろよ。お前の育毛剤を除草剤と入れ替えてやろうか?
返事を待っていても時間の無駄なので、俺は傘立てから適当に一本引き抜いて、調達部をあとにした。
できれば銃火器の
この安っぽい剣でも、まぁ無いよりはマシだ。
「防具とかも、あった方が良かったんだろうな」
街を出て1、2時間歩いたところにそのダンジョンはあった。
もう着いてしまったし、どのみちあの状況で防具を要求するほど俺は空気の読めない男じゃない。
刃こぼれした剣一本と、会社からそのまま着てきた白シャツに黒いズボン。
『そんな装備で大丈夫か?』と聞かれたら、俺は即答する。
『大丈夫なわけない、問題だ』
それでも、なぜだかなんとかなる気がしてくるのだから不思議だ。
今回のダンジョンの入り口は、林の中にある洞窟だった。特徴という特徴はとくにない。
入ろうとして、ヘルメットのデジカメの電源を入れ忘れていることに気づく。
「ん? どうやるんだ、これ」
仕事で使うパソコンやプリンターの使い方くらいはある程度わかるが、デジカメとなるとてんでわからない。
こういうのはもっと、一目で見てわかるように設計して欲しいものだ。
苦戦していると、軽快な電子音がなった。画面を見ると録画中とある。
適当に画面をいじっていただけなので、どうやって録画モードになったのか検討もつかない。
「ま、どうせあとで編集するの俺だし、つけっぱなしでいいか」
準備を終え、俺はついに洞窟の中に足を踏み入れた。
「暗いな」
懐中電灯を持ってきて正解だった。俺は右手に剣を、左手に懐中電灯を持って進んでいく。今のところモンスターの姿はない。
腕時計を見ると、ダンジョンに入ってから10分以上たっていた。
未だモンスターの気配はない。鳴き声も足音も、何も聞こえない。
あまりに静かなせいで、洞窟の天井からしたたり落ちる水滴の音が大きく感じる。
ダンジョンはモンスターだらけだと思っていたが、そんなことはないようだ。
30分たった。このダンジョンがどれくらいの規模なのか知らないが、さすがにそろそろモンスターが出てくるはず。俺は右手に持った剣を構え、不意打ちで飛び出してきたモンスターに反撃できるよう注意を払う。
何事もなく1時間たった。命のやりとりをしなくていいならそれに越したことはない。
が、
「ひょっとして、俺より先に入った冒険者が全部倒しちゃったんじゃないだろうな?」
普通にありそうな話だった。
「あれ、これまずくないか?」
このままボス部屋まで行って何もいなかったら、当然トロールのドロップする棍棒は手に入らないし、新人教育の動画としても価値がない。
録画しているので証拠はあるが、あのクソ上司に聞く耳なんてものはあるだろうか。
ない。あるわけない。
ほぼ確定で、ダンジョンに行くフリをしてサボっていたと決めつけられるに違いない。考えるだけでイライラする。
俺は走り出した。
いい年の大人の全力疾走である。洞窟の地面は湿っていたが、スキルのおかげで転ぶ心配はない。
こうなったらもうなりふりを構っている場合じゃないので、モンスターが飛び込んで来たら、というか生き物らしきものが迫ってきたらとりあえず斬ってしまおう。
冒険者はこのオンボロな剣で死ぬほどやわじゃないはず。
やがて道の先に明かりが見えてきた。進んでいくと、木製の大きな両開きの扉が現れる。扉の両サイドでは松明が燃えていた。
「ボス部屋じゃん」
とうとうモンスターにも冒険者にも、何にも会わずに最深部に来てしまった。
中からときおり人の声や金属が固いものにぶつかる音が聞こえてくるので、幸いボスはまだ生きているようだ。
今すぐ乱入すれば、俺の手柄にできるだろうか? いや、ここは賢くいこう。今戦っている冒険者が負けるなり逃亡するなり、願わくば相打ちになってぶっ倒れてくれるのを待つのがいい。
うん、我ながら完璧な作戦だ。
もしも冒険者が勝ってしまいそうならタイミング良く乱入して横取りしてしまおう。そうしよう。
結論が出たので、俺は両開きの扉の片方を体で押し開いて中をのぞく。
にぶい銅色の鎧を着込んだ若い女戦士が赤いポニーテールの髪を揺らして一人で戦っている。
相手は棍棒を持った毛むくじゃらの巨人、トロールだ。
女戦士は身長に迫るほどの大剣を軽々と振り回している。体格は普通くらいで、異常に筋肉が発達しているとか、特別大柄ということはない。
あれほどの大剣を苦も無く扱えるのだ、おそらく力を増幅する類のスキルを持っているのだろう。常時身体能力強化とか、多分そんな感じの。
女戦士が横目で俺の方を向いた。気づかれたようだ。
「お前が敵う相手じゃない、逃げろ!」
大剣を力強く振るうだけあって、男みたいな口調だった。
言われた通り逃げたらクビになるし、なにより俺のポリシーに反する。俺はその場を動かずに女戦士の戦いぶりを観察した。
3メートル以上ありそうなトロールに165センチくらいの女戦士が一人で立ち向かう様は素直にカッコいい。だがトロールの体にこれといった傷は見当たらなかった。
俺が来る前からずっと戦っていたのだろう、女戦士は息が上がっていて、足取りがふらふらしている。あと、胸のよろいのふくらみから察するになかなかに立派なのをお持ちのようだ。
トロールは無傷。デカい木の棍棒を平気で振り回して暴れている。
女戦士は大剣で応戦しているが、疲れが見える。そのうち倒れそうだ。
このまま放っておけば、あの子は死ぬ。
しょうがない、助けてやるとしよう。
トロールのドロップアイテムくらい、お礼としてくれるかもしれない。
「正気か!?」
俺がボロい剣を手に参戦すると、女戦士は目を丸くして驚いた。なんならちょっと引いていた。
片手剣一本に上は長そでの白シャツ、下はスーツの黒いズボンとかいうふざけた格好なのだから無理はない。
さて、ここらでトロールを軽くいなして好感度稼ぎでもするとしよう。
トロールを見上げる。至近距離からだと、とんでもない迫力だった。
俺が加わったためか、トロールは顔を真っ赤にして吠えた。
それだけで、体がすくみ上がって動けない。
認めざるを得ない。
俺はなめていた。甘く見ていた。
何かの奇跡が起きたとて、こんな怪物が俺に倒せるわけない。
女戦士が深いため息をついた。
「お前がいても邪魔なだけだ。下がっていろ」
軽蔑し切った眼差しだった。俺が戦意を失ったことを、このわずかな間に察したのだろう。トロールとかいう毛むくじゃらの巨人は、そのレベルの歴戦の戦士が傷一つつけられずに苦戦する相手なのだ。
そんなの、
「勝てるわけない……」
心の声が漏れた。
「だからそう言っているだろ!? クソみたいなプライドが邪魔して逃げられないのか知らないが、お前は扉まで下がって、指を咥えて見ていろ!」
トロールが、棍棒を両手で持って振り上げる。
ただそれだけで、俺の脳内は死のビジョンで埋め尽くされた。
俺は一目散に逃げ出した。
扉までとは言わず、このダンジョン自体から逃げるつもりだった。クビになったっていい。生きるためならクソ上司だってぶっ殺して、再審請求でもなんでもして、死刑を先延ばしにして生きてやる。
そのつもりだった。
が、
背後ですさまじい金属音が鳴り響いた。
それによって、頭が白紙にリセットされた。
足が止まる。つい気になって振り返った。
赤髪の女戦士の大剣が、振り下ろされたトロールの棍棒を受け止めた音だとわかる。
つばぜり合いになっていた。
徐々にだが、女戦士の剣が押されている。相手は剣ではなく棍棒なので、押し切られても死にはしないだろう。
しかし、そのつばぜり合いの優劣が、そのままこの戦いの勝敗を示しているような気がした。
「使うしかないか……」
女戦士は何事かつぶやいたあと、深々と息を吸った。肩の動きからそれがわかった。
そして、女戦士は溜め込んだものを一気に吐く。
「『パワー・ド・タイム』!!」
言い放った。効果は劇的だった。
劣勢だったつばぜり合いの形勢が逆転。トロールの棍棒がおもちゃみたいに弾き飛ばされる。
やはりこの子はスキル持ちだったのだ。常時身体能力を高める基本的な効果に加えて、特定のワードを宣言することで身体能力を瞬間的に向上させるもう一つの効果。
これなら勝てる!
武器を失ったトロールはひどく混乱した様子で棍棒を取り戻そうと走る。
女戦士はトロールのその無防備な背にあっという間に追いつくと、地を蹴って天井ギリギリまで飛び上がった。
大剣を頭の上にかかげ、トロールの脳天に向けて振り下ろす。
しかし、
「っ!?」
トロールが棍棒を拾うためにかがんだことで、後頭部に浅い傷が残るだけに終わった。
女戦士が着地するころには、トロールは棍棒を握り直し、怒りの形相で女戦士を見下ろしていた。
トロールが吠える。棍棒が横なぎに振るわれた。
女戦士は大剣を盾にして身を守るが、トロールの圧倒的な腕力によって吹っ飛ばされ、洞窟の岩壁に背中から叩きつけられた。
「がはぁっ!?」
肺の空気が押し出され、悲惨な声が漏れる。スキルによって力が増幅されても、体重は変わらない。トロールが棍棒を横方向に振るえば、いくらその場で踏ん張っても無意味だ。
女戦士の背が岩壁から剥がれ落ち、受け身も取れずに落下する。
女戦士がそばに転がり落ちた大剣に震える手を伸ばす。気づいたトロールが大剣を拾い上げる。女戦士の顔から血の気が引いていった。
「やめろ……!」
トロールは、大剣を棒切れのように無造作に投げ捨てる。それだけで、女戦士の身長に迫るほどの剣が何十メートルも先へ転がり落ちた。
「あ、ああぁぁ……」
真っ青になって、女戦士は叫ぶ。
「……げろ。逃げろッ!! お前だけでも、逃げるんだ!」
「何を言って……」
「早く逃げろッ!! 死にたいのかマヌケ!」
女戦士は泣いていた。泣き叫んでいた。この子はどう考えても殺される。次の瞬間には死んでいるかもしれない。それでも俺に逃げろというのだから、とんだお人好しだ。
とはいえ、この子の言うことも一理ある。いくらなんでも今回は、相手が悪すぎた。
別に俺が弱いわけじゃない。俺は強い。俺は特別だ。そうに決まっている。だがだからこそ、ときにはわきまえることだって大事だ。
立ち去ろうとする俺に、声がかかった。
『逃げるのか?』
心の中の
俺は武者震いを起こす体を奮い立てて、刃こぼれした剣をトロールに向けて構えた。
トロールは、俺に気づいて振り返る。
「何をしている?」
女戦士は、俺の行動が信じられないらしかった。
そんなの、俺だって信じられない。
だけど、ここで逃げたら、俺はもう──
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