第9話 王子様が王子様
「まだつながってる?」
「大丈夫」
足場の裏にへたり込みながら囁き声で尋ねると飯田は即答した。左織のAirPodsはつながってる。黙ったまま、スマホを持つ腕がガチガチに疲れてるけど保ったままで、配信される春雨の後ろ姿を見つめているのだ。
そっと足場の影から舞台を覗く。
目深にかぶっていたフードがばさっと外され、麗しい顔立ちが明かされた。
頬が火照っているのは暑さのためだけじゃない。
森の深部に消えた
潜む彼女をとらえて魔境の森を戻って抜けねばならない。
こちらからは見えない背中には決意が閃いているに違いない。
観客の期待が空気に伝わってくる。
どうする?
任せてくれと言う彼に託した私たちも知らない。
でも任せた、やってくれ。
舞台周辺で踊りを止めていた他の演者も、観客に背を向けて王子を見守っている。
「言っておきたいことがある」
足場をなぎ倒す気配を放ちながら切り出した。
声は相手を貫くような響きがある。声真似では再現できない彼に独特の音色の深み。
夜を表していた黒い幕が、今は地面で長い畝になっている。
足場自体に垂れ下がっていた遮光シートも落とされ、足場の壁は今、コンパネがむき出しとなって、オレンジ色の朝焼けの空みたいにも見えるはずだ。
森での長い夜が明けて、まだ二人は生き延びている。正体を明かした王子が木陰に潜む
観客がそう察しているのかは分からないが、現れた彼に心を躍らせて見守っている。
「勝手にぃ!」
掠れた叫び声だ。彼は声出しの練習をしていない。
でも大丈夫。ちゃんと聞こえる。
気持ちがこもってる声音だ。
「勝手に、どっか行くなよおぉ」
だよね。ホントにそう。ストレートでいいと思うよ。
「置いてかないでくれ」
情けなくないか、大丈夫か? いや春雨らしい。
彼のやり方で正しいのだ。きっと彼にしか、ひねくれ
ふう、と息を吐いてから、王子は再び足場――オレンジ色の壁を睨みつける。
「隠れてるのは分かってる、今すぐ返事をしろ!」
喉が馴染み、声の調子が出てきてる。どんどん言ってしまえ。
そう念じたところで王子は雰囲気を変えた。
「言わなくたって俺は分かってる。長い付き合いだから顔見れば分かる。でも言うことにした……。嬉しそうにしてたから良かったなあって」
続けて。
「やりたいことやればいいさ、なんだって。どこにでも行けばいい。俺は分かってる。ホタル一緒に見た時にもちゃんと分かった」
いいよ。過去のエピソードを語ってもいい。彼女の心をつなぎとめろ。
「だからっっ! ……ぅあーっと」
もしかして彼は今考えてるのかもしれない。急げ。
タイムキーパーが時間を気にしはじめている。残り時間はごくわずかだ。
「さっきのバイバイは違う。独り言みたいに言うんじゃない。どこまでも追いかけてやろうとしている男が
春雨はもしかして本当にバイバイさせる気か。
待て、という思念を送るが、呼びかけに集中している彼には届かない。
何を言う気だ、王子! 先が見えずに観客にも迷う空気が漂う。
「この先を一人で行くなら、ちゃんとバイバイって言って」
待て待て待て。
AirPodsを付けているから、小声を出して春雨を止めに入るかを、みんなが顔を見合わせて迷っている。大丈夫か、どうする?
私たちが戸惑う間に、彼の眼に湛える光が燃えるように輝きはじめた。
「じゃあ俺から言う、
好きだ!
逃げられたが俺は諦めない、どこまでも追いかける不死身の追っ手だ。
さあ、バイバイって言え!」
左織の返事次第だ。
飯田は頷いて視線を寄越した。まだAirPodsはつながっている。
言い放った王子は急にふらついている。視界に火花が飛んで倒れる寸前の感じを堪えている。
タイムキーパーが時計を見ながら木槌を手に取った。
グラウンドは静寂して
時間がない!
本物の
言って。
何でもいいから言って。
もうバイバイでもいいよ。
何か残して。
お願い。
ああそうだ。推理はこじつけだ。
左織が友達だって私は信じたいだけだ。
――言って。
最後に一緒に野外劇をやりたかっただけだよ。
それで十分だから。
――言って。
劇を見てくれてありがとう。
AirPodsもつないでくれてありがとう。
それでも十分だけどね。
――言って。
お芝居頑張ってね。
応援してるとか伝えたかっただけ。
――言ってほしかったなあ。
タイムキーパーは腕時計に指を差して確認した。
木槌が
チィィィン
私たちの劇は終わる――
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