第2篇 彼女に捧げる変なもの

第1話 本物って証明してね

 大きな瞳には全く艶がない――釣り目の中に真っ黒なフェルトが縫い付けられていて、微妙に中心からずれているのが、正視すると虚無を感じる所以ゆえんな気がする。

 黒曜石の色合いをしたビーズの鼻から、ちょこんとした口が刺繍されている。あどけなく拗ねているようにも、苦々しく全てを受け入れているようにも見える深淵な表情。

 

 稽古2日目。

 縫丸ヌイマル――春雨が腰の高さで肘で抱くぬいぐるみに私は顔を近づけて観察していた。暇なのだ。それに頼んでも貸してはくれないから自分の顔を近づけるしかない。

 

「その姿勢つらくない?」涼しげに尋ねる春雨の顔は今の位置からは見えない。

「腰が痛いね。でも、もうすぐ何かが掴めそうなんじゃよ」


 血が上ってきつつある頭で私は考えた。


 本校最大のイベント・野外劇の開催まで残り1週間を切った。昨日は久しぶりに顔を合わせたはしゃいでいたクラスメイトたちは、いきなりの通し稽古――完成度は10パーセント未満だったのを肌で感じ、迎えた本日、準備期間が残り僅かであるのにも気付いて焦りを抱きはじめている。


 8時半ちょうどに教室に入ってきた左織のまわりにわらわらと皆が集まって、私たち二人は取り残された。しばらく立ったまま、やる気はありますぜ、というアピールを右手にあるパペタ氏――白クマ執事のパペットの口をパクパクして示したがいっこうに声が掛からないので、うな垂れて此処ここ――旧校舎の大階段踊り場にやってきて暇をつぶしているというわけ。


 私に友達おらんのはなんでじゃろう。

   

 湧いた疑問に答えは出そうにないので、素直に春雨に意見を求めた。

 

「いるでしょ、ふつうに」

「おらんけども……え?」


 春雨は私の友達か問題が発生する。

 さすがに中腰で上半身を90度に折る体勢が疲れてきたので踊り場に腰を下ろしたら、春雨も横に座った。一段下に両足を付いて背筋を伸ばす。写真機の前で身構える幕末志士みたいな姿勢で、二人は隣り合ってまっすぐに正面扉を向いている。

 変な沈黙が保たれているので、私はパペタ氏に会話を任せようとしたところで、スマホが鳴動した。


 左織からの連絡だったら秒で反応しないと怒られる。

 文字打つの私苦手だから、春雨、ただちに返信せよ。

 ついでに「好き」って書いちゃえば? 

 

 時間がないので、ざっくり促してみた。


「左織が健康って分かっただけで安心してるみたいだけど、君はまだ言いたいことあるんじゃないか?」


 厳密に「好き」とは何なのか哲学的に考えてるのかもしれんが、大体で言えば「好き」で合ってるんだから問題はないんだよ。


「野外劇が終わったら彼女は……。左織はすっごく忙しいと思うなあ」

 

 進学しないことは口止めされている――バラすとどんな恐ろしい事象が生じるか分からないので誤魔化した。


 素早く動いて画面をタップしていた親指を止めた彼は、大丈夫、俺はやる時はやる男だ、と言いたげな表情を浮かべた。


 その顔見るの2回目だが?   


 **


 新校舎とグラウンドの間には和風な前庭が細く伸びて、クロマツの細い葉が建物に当たる陽をわずかにやわらかにしている。クロマツゾーンの中には、よく分からない古い石碑が立っている。松は塩風にも負けずに耐えるとかなんとか……。

 

 考えている猶予はない。

 左織からの参集指示が発報されている。速やかにグラウンドに行かねば。でも、まだ着替えてないんだ。


 衣装は黒いローブなので体操服に着替えて上から羽織るだけで済む。私は朝から体操服で登校したので、すぽっと被れば、あと30秒で完了するが、春雨は制服姿だ。


 着替えてくる、みたいなことを言って春雨が石碑の裏手にまわり込む。稽古に遅刻した経歴があるからね、彼は野外で着替えを決行することにしたようだ。


 うん、いい決断だ、男らしいと思うよ。そんな調子で頑張れ。


 30秒後、黒いローブをまとい終えた私は木漏れ日を眺めたりしてぼんやりした。


 ぎゃー


 はっきりした悲鳴。友達かもしれない春雨の声である。

 振り向くと、黒いローブ姿の彼が地面に尻もちを付いている。

 石碑――の土台の端っこに置かれた薄茶色く柔らかいモヘア。


 縫丸ヌイマルの丸みのある顔面でゆらゆらと波打つ光は、ギラっとしているが古めかしい。歴史を経ても変わることのない普遍への憧れなのか、色合いには品が備わっている。


 金箔


 ごく薄く叩いて箔――1万分の1ミリ程度まで引き伸ばされた金。

 

 夏の終わりの日差しがクロマツの木漏れ日となって、金箔はきらきらと輝いていた。

 

 縫丸ヌイマルの顔に張り付いたのが偽物でないのは見てすぐに分かった。日本の金箔のほぼ全て――99パーセント以上が私たちの住むI県K市で作られている。


 でもなんで? 不安げな顔から春雨も分かっていない様子。


 石碑の土台に鎮座する縫丸ヌイマルに私たちは身を寄せ合って近づいた。


 眼で合図して私は手を伸ばす。

 猫の顔面をすっかり覆うぐらい、手の甲ぐらいのサイズの金箔に指先で触れるとぬらっと揺れる。次の瞬間に吹いた風が縫丸ヌイマルの不機嫌そうな顔を露わにした。剥がれて散り散りになりながら飛ばされた金箔はクロマツゾーンを抜け、グラウンドに飛んで高く舞い上がってゆく。さらに高く昇りながら住宅地の方に消えていった。

 私たちのところに戻ってくることはない。陽の光を受けて煌めく金色が消えた空をまだ眺めているうちに再び悲鳴。

 

 ぎゃー


 何かを綺麗だと思う心の余裕を持とうよ。

 言ってやろうと春雨を振り返ると、両脇を持って高く抱き上げた縫丸ヌイマルの顔を正視した体勢で固まっている。


「……違う」


 違うって何が?

 どうやら、彼の手に持つぬいぐるみが縫丸ヌイマルじゃないなどと言いたいらしい。


 熱中症には早すぎる。彼はさっき水も塩飴も補給していた。


 あ、とにかく時間やばくない?


 撫で撫でより強めに縫丸ヌイマルの顔をはたいて、残った金箔の欠片を落としながら、私たちはグラウンドへ向かって急ぐ――

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