第6話 二人の踊り場 


 無言のうちに学校に着き、仮装行列は終わった。

 スマホを取り出して、自分で確認する。

 左織の投稿はクラスのグループ宛てに送られていた。


「教室に行こう」


 誰かが言うのに従ってぞろそろと向かう。

 汗まみれの衣装を脱ぐ……か? ペットボトルに汲み直した水を飲むだけした。

 

 左織の家に行っていたメンバーも戻って、教室には左織以外の全員が揃った。

 机に突っ伏している者もいれば床に寝転ぶ者もいる。

 創立祭前日の夕方が虚構じみて過ぎてゆく。ぼんやりした思考に身を任せた。


 12月に公演予定の舞台……。

 6日前の8月24日に私が聞いたのは、「秋には映画の撮影が始まる」という話だった。似ているが明らかに食い違っている。秋に映画じゃなくて、12月に舞台だ。左織は嘘をついた。後者について言えない約束があったからか? 知られていない新人をあえてメインキャストに起用する舞台はある。誰これ、とはならないだろう。一目見れば分かる存在感を彼女は有している。

 

 野外劇をってから学校を去るつもりだったが、舞台の制作の都合上、8月29日の夜か、翌日の今日、30日の朝にはK市を立った……ということ?


 告知? 左織の書いてる告知ってどれ?

 既に検索して見つけていた者のスマホをみんなで覗き込むことになった。


 流行ってるやつじゃん。

 タイトルぐらいは全日本人が知っているんじゃないかな。

 2・5次元舞台やるのか。やや意外だけど、彼女は何でもできるから。

 チケット販売のスケジュールでは、公式サイトの先行が最速だ。一般販売に残るのはごくわずかかもしれない。

 左織はメインともサブとも言えそうな主要ヒロイン。もう一人の主要ヒロインは、役者ではなく歌手らしい。ふーん。


 そっか、へえ。そうなんだ。


 ひととおり騒いだ後、教室は再び静寂する。




「明日は無理だよね、左織がいないんだから」


 まだプラカードを膝の上に置いている「迷い」が弱々しい声を上げる。

 彼女の顔の作りは、やや垂れ眼で口を閉じると口角が上がる。いつも楽しそうなのだが、今は笑っているようには見えない。


「どうなるかは知らん。俺たちは見捨てられたわけだ、左織の勝手な理由で」


 役と違って温厚な「絶望」が、今は闇に落ちかけている。

 テールコートを着て行列は暑かっただろうな。コートは身体のサイズぴったりに作られており保温性がある。彼は再び1・5ℓのペットボトルからがぶがぶ直飲みして、座り込んでいた床にばたんと身体を横たえた。


 すっと立ち上がった「希望」がすたすた歩き、教室から出て行こうとするのを飯田が袖を引っ張って留める。


 教室の隅で何人かが泣きはじめた。

 今日の行列は何だったんだろう。疲れた。

 長い間、笑顔をつくって歩いてきたので、私たちは感情を隠すことができなくなっている。


 左織、あんまりだ。

 

 何かあったんじゃないかって、みんな心配してたし、警察に通報するかどうか迷って止めた。行列で笑いながら左織の着信音を待ってたんだ。

 腹が立つっていうのとは違って、もうすっかり疲れてしまっている。


 何かする気力がない。

 もう左織を怒るのも、自分を憐れむのもできないな。

 どっちかできれば、まだましだったかもね。


「30分! 30分休憩しようよ。みんなちゃんと戻ってきて。帰らないでね」


 教室を出て行こうとする「希望」に向かって飯田が言って、一応、彼は頷いて見せた。

 何人かがふらっと出てゆく。戻って来るかどうかは定かではない。


 一人になりたかったので、私も立ち上がった。

 

 **


 旧校舎はいつもどおりヒンヤリしている。

 野外劇を控えて他クラスの者は忙しいんだろう、誰もいない。

 手すりを使いながら大階段をゆっくり上って、踊り場の床に腰を下ろした。

 あーあ。

 手すりに身体を持たれかけて眼をつむると眠ってしまいそうになったので、膝に両手を置いて、右手のパペタ氏を眺めることにした。


 ぼんやりしてるうちに時間が経っている。

 パペタ氏、何とかしてくれ。返事がないことは分かっている。


 分かってる? 


 一人きりで笑い声を上げたら、吹き抜けの天井まで気持ちよく響く。

 私の心の底は静かなままなのだ。

 パペットの魂の世界に帰ったパペタ氏が、長いテレスコープをボタンの眼に当てて私を見ている姿を想像した。「朱背くん」と私を呼ぶ彼の声を思い出す。


 左織はひどい奴だ。勝手にもほどがある。呆れ果てているよ。


 でも、なぜか心の中、彼女は友達のままの位置にいる。


 さっぱり理由は分からないが……。

 まだ信じたい気持ちは残っているんじゃないかな。


 自分の中で結論が出たところで、正面扉が重たく開く音がした。

 逆光となって人影にしか見えないが、背の高い男子である。ずるずるした衣をまとっている。多分、顔は良くて、可愛いぬいぐるみを背負ってるはずだ。

 彼は階段の途中までスタスタやってきて止まり、こちらに眼を向けた。


「捨てられた男、春雨じゃないか」

「安っい慰めをもらえないのか?」


 立ち上がった私は、彼を見下ろす構図で。


「次に会った時に備えて軍手を常備しようかと思ってる。投げつけて当てれば左織は逃げずに勝負に応じると思うんだ」


 予告すると彼は笑って、階段を上り切った。

 私たちは広い踊り場で決闘するみたいに対峙する。


「じゃあ春雨、安くない慰めをやるよ。左織は君が好きなんだ」


 真顔に戻った彼が、話の続きを待っている。

 

 行列で疲れすぎていたが、旧校舎のヒンヤリした空気が身体を癒し、冷静が戻ってきた。


 左織は、心の中の右夏ゆうかを捨てきれない。

 舞台の出演にかこつけて逃げたんだ。私は確信している。

 ほら、本番前に君がやたら恰好よく告白しちゃっただろ、だから逃げ道がなくなったってわけ。


「ちゃんと君みたいにね、右夏ゆうかにバイバイできればいいんじゃないかと思ってる、私はね」


「なんで左織のために?」


 そんなの当たり前のことだ。彼女は私の友達なんじゃよ。

 

「私は公女プリンセスる、春雨、君も手伝ってくれ」


 何をしようとしているのか彼は気づいたのかもしれない。

 鋭い眼差しをした春雨が尋ねる。


「どうやってみんなを説得する?」


 そろそろ体力回復して、怒ったりしてるかもね。

 もうみんな教室に戻って来てると思うな。


 だってさ、みんな左織のことが好きだからね。 


 ――そろそろ時間だ。


 右手からパペタ氏を取って、素手を彼に見せた。

 公女プリンセスは甲から前腕をおおうオペラグローブを付ける。

 君はどうする? と視線を向けると。

 おう、という顔をして彼はおんぶ紐を解いてゆく。

 背中から自由になった縫丸ヌイマルが、待ちくたびれたよ、という顔をしている。


 踊り場の窓際、腰壁に背をもたれ、パペットとぬいぐるみが並んで座った。


 ソフトな2匹を観客にして。

 

「ちょっとだけやってみようか、此処ここで」


 時間がないから少しだけ、私たちは踊った――

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