第5話 大抵、彼が悪いけど

「昨日まで左織は普段どおりだったよね」


 犀川大橋を過ぎると急に地元感がある。全部が地元ではあるのだが。真っすぐ行ったら学校の近くに出るという空間的把握による安心。

 繁華街を過ぎたので見物客は少なくなっている。たまたま見かけて、そういえば今年もそんな時期か、早いもんだねぇ1年は、という感じで手を振ってくれる。

 パペタ氏の付いた右手を振り返しながら、春雨への尋問を開始した。


 みんなは黙ってAirPodsに耳を傾ける様子。

 ちらっと眼を遣ると、思案顔の春雨。気を抜くんじゃない、まだ行列は続いている。


「昨日は……。集合写真撮った後、正門で解散しただろ」


 春雨が言った。顔面はいい男だ。笑顔を保持せよ。

 昨夜は電話もメッセージのやり取りもしてない。君らはそういうのがふつうなん? 女子勢からの思念を私は感じ取った。


「左織から連絡あったら電話する。けど昨日はなかった」


 受け取る思念が多すぎて読み取れない。とにかく君は女子の怒りを買っているようだ。

 もう推理をパペタ氏に任すことはできない。一度冷静になろう。


「君らが最後に交わした言葉はなんだろうか……あ、はい、頑張ります!」


 声援を受けると手を振って挨拶を返して行列は進んでゆく。


「……春くん、また明日ね、って正門で。朱背も隣にいただろ」


 聞いた記憶がある。だから彼女は明日、つまり今日に会うつもりでいたんだ。春雨はいつもと同じ……なら、左織が劇に出れない理由は彼のせいではないのか。

 まだ信用できない。女子勢の思念ではなく私自身の直感である。


「ホタル見に行ったんだよね、26日の夜。念のために確かめるのだけど、君は左織になんて言ったわけ? ……はい、ありがとうございます! 頑張りまっす!」


 むむ、とした表情を一瞬だけ見せてスマイルに戻った春雨が、3日前の出来事を語る。


 聞いてると悪くない感じに思える。


 急にお腹空いてきたな。お昼を食べる時間がなかったのだ。

 交差点角のファミレスからチープに美味しそうな香りが漂ってきた。今はそういうの食べたい。行列は坂道を上りはじめる。先にはもう学校がある。


 左織の家に行ってた二人もこっちに向かっていて、しれっと合流する計画だ。


 今までだって悪いのは大抵春雨だったじゃろ。でも今聞いた話は大丈夫そうに思えた。逆に不思議だから、会話を再現して確かめてみようか? 

 ……疑ってるのかって? そう聞かれるとまあ疑ってるね。


 **


「8月26日、午後8時過ぎ、白鳥路ほとりである」

 飯田がナレーションを入れた。さすがに音響はない。


『それ、小学校の時のやつだ、物持ちいいねえ』

 左織の声真似はこの音量であれば楽勝だ。


「春雨は、家から虫取り網を持参していた。

 虫とは主にセミである。水流に耐える強度はないので慎重に扱う必要がある。

 脆弱な網の取り扱いの観点から彼は左織に手渡して白鳥路への侵入を開始する。

 片足を伸ばすと思いのほか水路は深く、彼は縁を掴む両手に力をこめる。

 ぴしゃりと何かが跳ねる音が聞こえた。鯉かふなであろうか? 奴らにホタルの幼虫が捕食されるのではないかと彼は危惧した。つま先が水に入る。冷たさに声が出そうになるのを堪えていると、やがて靴底が砂利を鳴らした」

 

 ナレーション細かいな。飯田の趣味が入っていると思う。

 ともかく、行列を終える坂道を進むみんなは、空腹と疲労を一時は忘れて自然な笑みを浮かべている。

 

「春雨は左織から網を受け取ると水に浸けてみたが、浅い水流に対して網の輪は大きい。

 力をこめると輪は容易に歪んだ。脆弱である。

 しかし網なしに見えぬものをとるのは無理に思える。

 彼はとったホタルを彼女に見せながら言うべきことを告げようと決意しているのだ。

 脆弱な網をうまく使わねばらなぬ」


 ナレーション細かいな。


「網をほぼ水平に寝かせるように置き、上手の砂利をガラガラと荒らすと隙間にあった細かなものが水流に押し流されて網に入ってゆく。

 幾度か繰り返した後、網を引き揚げた。

 こう暗くては入ったものを確かめることができぬ。

 しかし思案する手元に目的のものがあると知った。

 彼は左織の元へ急ぐ。

 網の中にある、またたきの間に消えそうな淡い光を見せるためである」


 飯田著、短編『脆弱な網の中に』が完結した。

 出番だ、春雨。

 

「俺は……、左織が好きだ」


 行列で歓声が上がる。

 前方のトランプ兵たちが驚いて振り返った。

 伝統ある行列を乱してごめん、でも許してくれ。

 

 おかしいな。

 飯田のナレーションでやたら細かくなったが、左織の春雨のやり取りはシンプルでストレートであった。誤解を生むところもない。小学生の時に使っていた網を使用するのも過去を振り返った上での真情の発露って感じだったし、彼の言葉を変えたり重ねたりしても、結局は抱く感情を厳密な正確さで言い表すことなんてできないんじゃない?

 おかしいな。


 春雨はちゃんと好きって言えたのに……。

 なんで左織は今此処ここにいないんだろう?


 26日の夜8時過ぎから9時にかけて。

 二人は闇の中でホタルの光をほのかに浴びた。


 あ。


 みんなは行列してますって顔をして手を振るなどしながら、小声で告白シーンについてまだ話を続けている。


 私は聞いてみた。


「なあ春雨、ホタル見てから、左織は君に何か気持ちを伝えたか?」

「嬉しそうに見えた。顔みたら分かる」

「彼女は言葉で何かを表したりしなかったか、嬉しさの理由について」

「左織は言わないんじゃないのかそういうの。俺も朱背にしつこく言われなかったら言わなかった」


 あーあ。

 

 もしかして左織、好きって言えないだけ説ない? ほら彼女、ひねくれ者だから。

 

 坂の向こう、校舎が見えてきた――


 AirPodsから鳴る着信音――今は「左」アイコンの新規投稿を示している。


「スマホ触るから見えないように隠して!」


 隊列を組んでいた周囲の者たちが飯田に寄って、再び彼女は腹の辺りをごそごそする。

 今は見物人もほぼいないので、背の高い「絶望」と春雨がそっと周囲に視線を向けて教師たちの姿がないことを確認した。


「読み上げまーす」


 背を丸めたまま彼女が言った。左織の投稿した文を読む様子。




「私は今、12月に公演予定の舞台に出演するためにK市を離れています。

 ですから、野外劇に出ることはできません。

 謝って済むことではありませんが本当にごめんなさい。

 明日まではK市にいられるはずだったのですが、結果としてこうなってしまいました。

 公演のことを言わなかったのは今日の告知が出るまで言えない約束があったためです。

 今朝、学校には休学届を出しています。手続が終われば休学の扱いになるはずですが、戻ることはないので、昨日までが私の高校生活でした。メッセージへの返信はすぐにはできないと思います。

 野外劇は私なしでやって、みんなが楽しんでくれたらいいなと思っています。

 本当にごめんなさい」




 なんだそれ。

 飯田の淡々とした声を、頭の中で何度も響かせるが意味は1グラムも理解できない。


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る