第2話 がっかり王子は失恋してる

 天井まで吹き抜けているので、2階と3階からは頑丈な手すりから身を乗り出せば階下をのぞき込むことができる。

 逆に私たちの位置――踊り場から見渡せば、誰かいれば分かるという見晴らし。大階段の良さはお姫様ごっこができる、というだけじゃないのだ。

 此処ここが旧校舎とは呼ばれていなかった頃、教室は1、2階にあったらしい。最上階に至るには建物の両端に設けられたごく普通の階段を使うしかない――大階段は3階には通じていない。考えてみれば謎の構造である。

 階段の機能とは? こうやって腰を下ろしてひと時を憩うために作られたのか?

  

「……というわけなんだ」


 聞きながら考えごとをしていたが、がっかり王子の彼――小村春雨の説明した内容を要約すれば、つまり。


「委員長にフラれたってことだね」


 あのパーフェクト女子と付き合ってたというだけで誇っていいことだと思うよ。

 安い慰めみたいに聞こえるかもだけど、割と本気なんだ。バフっバフっとした私の拍手は天井まで響いたが、春雨は困ったような感じの笑みを見せる。


「なんて言ってフラれたの?」ストレートな野次馬根性で尋ねた。

「朱背、もうちょっとだけ慰めを続けてくれないか、安っいのでいいから」


 呼び捨てに……。でも私が先に春雨って呼んだか?

 春雨はまだ呆れたような顔をしながら、別れ際のセリフを教えてくれた。


 委員長ことパーフェクト女子。委員長と呼ばれているが、上に立つ強者感からそう呼ばれているだけだ。立石左織たちいしさおりの声はかなり難しい部類に入る。潤いがあって透きとおっている。ぼそぼそっと言うなら割と雰囲気出せるかもだが、声量がプリンセス、いつ歌い出してもおかしくないけど、私はできる。唯一の特技を見せつけてやろう。

 貸してもらったハンカチをまだ手に持ったまま宙に掲げ、私はもう一方の手をと動かしながら。


『じゃあ、約束どおりでいいかな? ハルくんは大丈夫?』


 映画でヒロインが最後にいうセリフみたいな雰囲気を帯びて私の声真似は大階段に響いた。

 きっと、ヒロインを救うことができなかった系の切ない映画だ。

 彼の切れ長の眼が見開かれ、私の顔と、右手にはめたパペットを交互に行き来する

  

「そっくりだな、うん、そっくりだよ」


 もう一回言ってみてと頼まれたので、左織の声真似を再びやってみせた。春雨は笑っているが、心の傷をえぐっているような気がしないでもない。

 安い慰めも思いつかないので私も一緒になって笑った。

 

「シャーペン咥えて授業中ノート取ってるよね、手の人形パペットで」

「何か不満か? そっちは膝の上にぬいぐるみ乗っけてるじゃないか」


 痛々しい笑顔を残したまま彼はまだ私の声真似を褒め続けている……。安い慰めのどれかへの感謝を伝えたいのかもしれないが、他人の気持ちがうまく想像できないところが私にはちょっとあるので分からない。正直に言うと、そんな時が結構あることを自覚している、だから友達がいない。ガンジーが「ダーンディー海岸」まで行進した時には多くの民衆が加わったが、私には蟻も付いてこないのだ。昨夜遅くまでGoogle Earthで「塩の行進」の経路を辿ってみたので分かる。


 ――何の話でしたっけ? あー。


 あーこれはな、パペタ氏っていう名前なんじゃよ……そうそうパペットだからパペタ氏、分かりやすくて最高にいい名前じゃろ。何って見ればわかるじゃろ。……違う! かわゆく丸みを帯びた耳をよく見ろ、どう見たってクマ!


 手を伸ばし、燕尾服を着た白クマを春雨の面前に突き出した。気が緩んで訛りが出てしまった。

 寄り目になった彼は、パペタ氏の耳をじっと見つめている。

 

「声真似がとっても上手なんだね、パペタ氏は」


 分かればいい。もっと褒めてもいいんじゃよ。


 怒りを収めると、彼がずっと抱いている猫のぬいぐるみにも言及してやろうかという気になってきた。だって、そういうのがコミュニケーションなんだろう。悪魔が王城から姫をさらうみたいに肘で抱きかかえるのは、手作りじゃない感じの小さくやわらかなものである。


「そうそう。縫丸ヌイマルって名前の猫……ありがとう」


 眼が虚無っててかわいいねって言ったら彼は今日一番の嬉しそうな顔をした。

 世界猫――色んな都市に暮らすクセの強い猫たちのぬいぐるみのシリーズの一つだ。

 うん、春雨は顔がいいのが長所だね、ぬいぐるみ持っててもまあまあ似合うよ。

 

 階段の二人――彼も私も常に片手が塞がっている。

 私たちはクラスではスペシャル……違うな。色物いろものというか、まあはっきり言って変わり者扱いされている。


 ――心外である。私は人形部員だからパペタ氏を手にはめていても何の問題もない普通のことなのだ。

 

 旧校舎の外、ユリノキの向こう側の新校舎の更に先――グラウンドでスピーカーのハウリングが聞こえた。創立祭まで1週間もあるのに気が早い人たちだ、私たちのクラスじゃないと思う。左織は地道に準備を進めているだろう。でもどうだろう、いっそ逆に、実地訓練的に荒稽古をはじめるタイプかもしれない。真砂土から陽炎が燃えるのを幻視して、直射日光を浴びると霧になって消えるタイプの私は白目剥きそうになった。 


 じゃあ、約束どおりでいいかな? ハルくんは大丈夫?


 よく考えたら何だそれ。


「夏休みまで付き合ってくれないかって言われたんだ、4月の初めに」

「左織が? へえ、なんて答えたの? あ、待って、ちょっと当ててみる」

 

 考えるまでもないが。


『お、おお……おう』


 パーフェクト女子に告白された時の男子の反応の8割方はこうなりそうなやつを春雨の声でやってみた。言いながら傷心をえぐっていることに薄っすら気づいた。


「まあ、合ってるけど」

 

 動揺を隠しているのか彼は縫丸ヌイマルをぎゅっとした。


「期間限定で付き合うってふつうのことか? よく知らないけど変じゃないの?」

 

 縫丸ヌイマルよ。お前もそう思うじゃろ。ちょっと腕が腹に食い込んで苦しくないかい?

 

 別れ際に大丈夫かと左織はわざわざ聞いてくれたのに……。

 どうやら、春雨はうまく返事できなかったらしい。つまり別れて大丈夫かと問われた返事は。


『お、おお……おう』


 まあしょうがない、相手は左織だからね、誰だってそうなるよ。

  

 でもさ、彼女はどうしてそんなことしたの?

 

 時間もあるし、ちょっと考えてみないか? まあ暇つぶし程度に。

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