第3話 踊り場の適切な利用について

『わたくしはその場を目撃しておりましたので、一部始終を仔細にお伝えすることができます』

「違うね、縫丸ヌイマルは確かに見てたけど喋らないから「お伝え」はできないね」


 春雨の腰の顔を寄せた私が適当に声を当て、事件現場の第一発見者がモノローグする感じで話を進めようとしていたが止められた、せっかく面白そうだったのに。

 ふん、と涼しい顔をした春雨が。


「なんでそんな野太い声なの?」

「猫の顔面から想像した声だけど、鳴く時はもっと高いかな」


 問いかけるので、私が色んなバリエーションで鳴き声を試してみるうち。


縫丸ヌイマルはぬいぐるみだから鳴かない。でも話しかけたら笑うことはあるよ」

「私には分かるけど、あんまり大っぴらにしない方がいいと思うなあ世間的に」

「言ってまわってるわけじゃない」


 にっ、と彼は笑った。

 こんな奴だったなと再確認して左織は別れを切り出したんだろうか。付き合うのに期限を設けた理由は……うすうす正体に気づいていたから? うん。

 事件が解決してしまった。まだ登校から1時間も経っていないというのに。


 哀れみをもって彼を眺めているうち、張りのある声がグラウンドから響いてきた。マイクなしで此処ここまで届くのはすごいね。彼女以外の声は全然区別できない。


 普通の女子なら気軽な気持ちで付き合うということもあるだろうけど左織は多分違う。彼女はもっと……特別に賢く、曖昧なことを嫌うタイプなのだ多分。


 大階段の踊り場で、私たちは教室で起こったちょっとした出来事を再現してみることにした。


 **


 4月、始業式の直前、新しい教室で生徒たちは前方スクリーンに表示されている座席を確認する。


 がたん、と椅子を下げる音が重なって、隣り合って座る二人。かわいらしさ――本人ではなく、それぞれが手にする、やわらかいものが注目を浴びている。

 

「人形の子いるじゃん」「大丈夫、放っておけばいいよ」


 言われてもいない言葉が勝手に脳内に再生されて身体が固まる。


 全然知らん人がいっぱいいるし、見られている緊張が私を椅子から立ち上がらせて。


『はじめまして! わたくしはパペタ、ご覧のとおりの白クマ執事でございます』


 低い声音が教室中に響く。私は寸劇を初めてしまったのだった。


『隣にいるのは助手の岩井朱背くん、二人であちこちの保育園などを回って劇を披露するのを部活動の一環としております。お見知りおきください、怪しいものではありません』


 本当は、地の声でパペタ氏と掛け合いをするのがいつものパターンだが、観客の重たい視線に固まって、自分の声では出せなくなっていたので。


『おや、朱背くんは緊張しがちなところがあるので、今日はご挨拶がうまくできない様子、ご容赦くださいね』


 そっと着席して机に俯いて眼を閉じた。耳もふさぎたかったが手が足りない――ほら、そもそも手にはパペタ氏付けてるし、もしするなら、左手を左耳に、右肘で右耳をふさぐかな? ちょっと変な恰好になるけど仕方ないね。


 ガタっ


 近くで鳴る椅子の音に向くと、隣で春雨が立ち上がっているのが開いた片目で見えた。


ちゅうう! もおく! 担任が来る前に自己紹介やってしまおうってこと! 立ってるやつはさっさと自分の席に座れ」


 凛々しい声で麗しの王子が騎士団に命令を下した――みたいな感じにも見えた。だが今日集められたに過ぎない若騎士たちは戸惑って顔を見合わせている。その時。


 潤いがあって澄んだ声が教室に響く――


「時間あんまりないから今の場所でやろうよ」


 教壇で言い放ち、雑踏の動きを封じた。

 間髪入れず。


「左織、立石左織。話しかけにくいってたまに言われるけどいつでも何でも言ってね、今の気持ちは……、創立祭の野外劇、このメンバーでやるんだーと思ってわくわくしてる、楽しみだね、みんなよろしく」


 プリンセスはカーテシー(お辞儀)を完璧に決め、キラキラした光を放つ笑いを浮かべながら、隣にいた女子に眼を向けた。自然に自己紹介が続いてゆく。



「はい、カット!」

「上手い! 左織っぽいわー」


 彼が大きな手で打つ拍手は大階段によく響いた。

 

 私たちは踊り場で、高3の初日、始業式直前を再現していたのだ。

 声真似はすっかり慣れて左織特有の風格さえ漂い、春雨はまだ拍手を続けている。

 ってみて分かったことは三つある。


 ・ 動揺した私を、春雨は庇おうとしたのかもしれない。

 ・ だがうまくいかなかった。

 ・ 場を収めたのは左織である。


 彼女が私を庇ったのか、春雨を庇ったのか、それとも別の意図があったのかは分からない。

 

 新しいクラスメイトを見た瞬間、彼女は創立祭のことを考えた、らしい。

 野外劇――高3生が夏休みの最後の1週間で準備して、8月31日に行われる我が校の伝統行事ではあるが、クラス替え早々に普通そんなこと考えるかな? でも彼女ほど【普通】という属性が似合わない人物も珍しい。

 

 もやもやと思考してたら、こっそり思っていた自分の気持ちに気づくこともあった。


「野外劇でプリンセスやりたかったんじゃ、本当は!」

「代役、決まってなかったら朱背がすればいい」


 うっかり声に出た気持ちに、彼は気休め程度の慰めをくれた。

 安いやつでも嬉しいよ。でもね。


「そんなヘマすると思うか? 絶対にしない、万全の体調を整えてくるじゃろ」


 やっぱり彼女は完璧すぎる。

 遊びで付き合って冷酷に別れを告げるタイプじゃない。明確な意図をもち、期限付きの交際を選んだはずだ。見据えたものは達成されたのか?

 

「左織には特別な目的があったんじゃないか? 多分」


「どういうこと?」さっぱり分からんという顔の春雨。

「目的を達成するためには春雨と別れる必要があった……のかもしれない」


 神妙な顔をしているが、彼は全然ピンとはきてない。


 私だって答えをまだ掴んでいない……。


 試しに、全てを知りながら静観を続けている、みたいな顔をした縫丸ヌイマルを撫でてみた。


 ちょっと貸してよ……え、ダメなん?

 

 縫丸ヌイマルを奪われそうになった途端にひどくうろたえる彼を見て、私は素直に謝った。

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