第2話 王子は両手が使えます
「買えるものは買ってしまおうって気持ちになってこない?」
刺し傷に絆創膏を巻いている春雨が王侯貴族的な発言をする。
よほど深くやったのかもう血が滲んでいる。
教室の片隅で佇んでいた彼を呼びつけ、「絶望」メンバーに入れ、試しに端切れを縫ってもらったが得意ではなさそうだ。彼の右腕は今日まで
「衣装チーフが聞いたら怒ると思うな」囁き声で私は戒める。
うんうん、と声枯れメンバーたちも大きく頷いて見せた。
漆黒のベロア生地のテールコートの形はシンプルで、袖と襟、腰の飾り帯はレースを使う。
サイズがぴったりじゃないとそれっぽく見えないんだよ、と春雨に教えてやる。
言ってる意味が全然分かんない、って顔してる彼に説明を加えた。
ぶかぶかの服着てる貴族っておかしいでしょ、貴族なんだし。
まあ、「絶望」は別に貴族じゃないけど。でも、私の言いたいこと分かるだろ。
「ちょっと大きめを買って女子のドレスみたいに直したりはできないか?」
そっちの方が面倒なんじゃないかな。無数に近い型紙を見ながら言った。
こんな複雑に縫い合わせるのに肩幅直すとか無理そうだ。
キュロットやらブーツは市販品なんだから、作るのはテールコートだけの最低限ってこと。
無言で作業に戻る春雨。背中におんぶされた
今気づいたが、春雨には私は緊張せずに喋れる、何でだろ。
ともかく、滑らかなベロア生地は光沢が美しい。サイズをしっかり合わせたらきっと遠目に見ても「絶望」に似合う絢爛で高貴なテールコートになるだろうと思った。
**
「台詞あると大変だなあ。関係ないけど……。ここ合ってる、こっち?」
他人事みたいに言う春雨。私にとっても他人事だけど、巻き込むのは止めて欲しいね。
こっちだよ。私は型紙の原本を確認してから線が掠れていた箇所を教えてやった。
「マイク使えばどうかな、みんなが急には左織とか朱背みたいに声出せないだろ、そもそも練習次第でどうにかならなくないか?」
まあ、言いたいことは分かる。
でも誰かに怒られそうだから声を低くしてくれ。
私の囁きに構わず、テールコートの重要部分とも言える襟パーツを構成するものにハサミを沿わせる。紙が切れて小気味いい音を立てる。実際の生地じゃなく、サイズを合わせるために紙を糊とテープで張り合わせた試作品を作っているのだ。
「音楽と一緒に録音した台詞も流せば、ダンスに集中できるかも。それだと口パクになるのか……。ちょっと違うかもなあ」
思ってること全部を口にしなくていいんじゃよ。
気配を教室にやって、左織がこっちの会話に気づいてない様子なのを確認した。
怒ったりしないだろうけど、彼女のやりたいのとはきっと違う。
果てしない力のかなりを野外劇に注いでると思うので、なんというか傷ついたりしないで欲しい。彼女は世界中のあらゆる物質より硬いのかもしれんけど。
「マイクはOKだと思うけどな、プロでも使ってるし」
コロナで野外劇はずっとやってなかったので私たちは先輩たちの劇を実際に見たことがない。
マイク? 使えるなら悪くない方法だと思うけど。
業者に借りるのは費用が掛かるし、委員会に却下されそうだ。
備品の手持ちマイク握って中世貴族するわけにもいかないだろう……。
「AirPodsのマイク使えないかな、飯田に聞いてみよう」
そんなんでどうにかなるわけ……。
「できるよー」
アップル最強説あるね。
インスタ女子の飯田が、春雨のほぼ独り言に気づいて寄って来て回答した。「飯田」は本名だが芸名みたいなもので、ほぼ全員から呼び捨てにされている。左織とは違うタイプの有名人だ。
飯田の話によると、AirPods――アップルの無線イヤホンはマイクも性能が良く、彼女もライブに使ったことがあるらしい。
「台詞のある演者は……20人もいる。同時に集音してちゃんとスピーカーに流せるのかな」
疑問を呟くと応答がある。
「みんながスマホを衣装の中に入れといて、音声データをスマホから飛ばせばいいんじゃないかな。オンライン授業みたいなものだよ」
私は独り言を言っただけのつもりだったが、会話してる形になった。流れに従って私は更に疑問をぶつける。
「オンラインだと画面固まったり回線切れたりしたけど、そういう心配はどうだろう?」
本番一発勝負だからね、舞台には不安定じゃないかな。
私の疑問を飯田が打ち消す。
「それぞれのネット回線じゃなくて、同じWi-Fiにつないで私のパソコンに集約するから安定性はあるよ」
0.05秒以上遅れたら耳のいい人は気が付くらしいが、飯田の言うにはそこまでの遅延は生じないらしい。
技術的には大丈夫という話に頷きながら、春雨が切り取とった襟パーツを横から受け取り、間違ってないことを確認した。
うん、春雨は縫うのはからっきしだったけど、ハサミの扱いはとっても上手だよ。
褒めると喜ぶ彼が、ハサミの柄をこちらに向けて私に渡す。
うん、じゃあ話が終わったらパーツを糊付けするの手伝いに戻ってきてよ。
私は彼を見送った。
春雨は飯田を連れてマイクの使用を提案しに左織のところに向かいながら、AirPodsが耳に目立つんじゃないかという問題を話している。右か左のどちらか一方だけ付けて肌色のテープで耳に貼り付けるようにしたらほとんど分からないんじゃないかという方向でプレゼンしにゆく様子だ。
結局、左織はマイクを使うことに決めた。
使わずにやれるならそうしたかったのかもしれないけど、左織の真意は分からない。
正直言うと、私はマイクなしでの左織の歌が聞きたい勢ではある。
パペタ氏、あなたはどう思う?
右手に尋ねても返事はない。へたりとしたまま。
なんで黙ってんのさ?
大きく丸い耳元で囁いてみても、沈黙が守られる。
何度か質問を繰り返した後、パペタ氏が朝から一度も喋っていないことに私はようやく気づいた――
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